2013年8月31日土曜日

スバル人の商業活動(2)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:176頁

 第三章 スバル人の商業活動(2)

  メソポタミアの人々は、大ザブ川峡谷の

 ザウィ・マミ遺跡で発見されたように紀元前一万年から銅を使い始めた。

 新石器時代に入る紀元前六千年頃には

 失蝋法による金属成型法が発見され、

 金、銀、鉛、砒素銅の容器を作るなどの工業が始められ、青銅器時代に入る。

 紀元前三千年を過ぎると錫を混ぜた青銅が普及するようになる。

 青銅はシュメルで zabar と総称されるようになったが、

 スバル人が取り扱っていたため、

 そのスバル名が商品名に転化反映したものであろう。

  青銅器の需要が大量に増大すると銅の産地は拡大されただろうが、

 主な生産地はアナトリアで、特にティグリス川の水源地帯、

 現在のダイヤバキル(トルコ語で銅の町)一帯は

 その中心であった。

 この立地がスバル人たちを金属を流通させる商人へと育てたと考えられる。

 ザウィ・チェミ遺跡についての見解で述べたが、

 この地方の羊飼いたちはすでに商人育成の素地を持っていたのである。



 ARPACHIYAH 1976

 『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

スバル人の商業活動(1)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:175頁

 第三章 スバル人の商業活動(1)

  紀元前二千年頃のアッカドのセム族たちが

 なぜ北メソポタミアへ興味を示し進出していったのだろうか。

 人口が増加して居住地を求めたからなどをいう単純な理由はありえない。

 この地域が商業活動の重要なセンターになっていたからである。

 紀元前三千年頃よりの活動によってスバル人たちは

 北メソポタミアから東はザクロス山脈を越え、

 西方はアナトリアから地中海沿岸までの商業ネットワークを形成し、

 産業開発の基地を設立して、

 商人たちを有機的に組織して運営していたと考えられる。

 紀元前二千年を越えた

 シャムン・アグト一世がシンジャール山脈の北側の平野、

 スバル人の中心的地域に首都シュバト・エンリルを開いた頃、

 私的商人組織が対外貿易に忙しく従事していたとの記録がある。

 彼等の主に扱ったのは金属と織物である。

 特に金属工 thveli たちは、旧約聖書創世記の「カイン」のように

 原料を求めて歩き回っていたと考えられる。

 スバル人たちは「北方山間の蛮人」などでなく、

 真に金属時代の扇を開いた先進的産業開拓者であったのである。



 ARPACHIYAH 1976

 『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 セム族

 ザクロス山脈

 アナトリア

 シュバト・エンリル

2013年8月30日金曜日

スバル人とスバルトゥ(6)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:174頁

 第三章 スバル人とスバルトゥ(6)

  ニネヴェ、アルパチヤ遺跡のある地方は、

 古来スバル人による呼称は Asuli であったが、

 アッカド人が北上してきて、

 アッカドでも娘を意味する shartu と呼ぶようになり、

 紀元前十四世紀の中期アッシリアの時代に

 アッシュル・ウバルト一世により

 アッシリアの名称に統一された(命令された)のである。

  スバルないしシュバリ svari の地名はスバルトゥ svarti 、

 イシュワル isvar 、シブリア svria 、ニシビン nisibin と改名し、

 現在はヌサビン nusaybin とその遺称を留めている。



 ARPACHIYAH 1976

 『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 アッシュル・ウバルト一世

スバル人とスバルトゥ(5)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:173頁

 第三章 スバル人とスバルトゥ(5)

  以上、日本で出版されたオリエント史における

 アッシリアと絡めたスバル人についての解説を取り上げてみた。

 「スバル人」との名称を上げるものは一書だけで、

 アッシリア、スバルトゥ、シュバリの用語法に

 統一が取られているようにみられるが、

 地方名であったり多少の混乱がある。

 これらを整理すると次のようになる。

  コーカサスのグルジア語によると、

 シュヴィリ shvili は「息子」を

 アシュリ asuli は「娘」を意味するが

 この両語は古代のシュバリ shvali 及びアッシュール assur に

 対応するものと考えられる。

 古アッシリアが王国として北メソポタミアに君臨し始めたのは

 紀元前二千年頃からであるが、

 スバル人はそれより古くから、史料に表れてからでも千年間以上、

 実態はさらに古い時期から

 西アジアの広い範囲で活動していたと思われる。

 彼等の祖地名を svarti (スバルの土地)というのである。

 スバル人のシンボルは十字紋であるが、

 その交差する二つの軸を「息子・娘」と考えていたようにみられる。

 シュバリとアッシュールはスバル人の構成要素である。

 アッカド語にある

 少年を意味する suharu と少女を意味する shartu は、

 シュメル語の sabal 子供・子孫の派生語と考えられる。



 ARPACHIYAH 1976

 『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 オリエント史

 コーカサス

 グルジア語

2013年8月29日木曜日

スバル人とスバルトゥ(4)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:172頁

 第三章 スバル人とスバルトゥ(4)

  一九九八年発行のミネルヴァ書房『西洋の歴史・古典中世編』は

 アッシリアについて次のように述べる。

  「紀元前三千年紀半ば頃から紀元前二千年紀の初めにかけて

   現在のイラク北部、北緯37度付近から小ザブ川との合流点に至る

   ティグリス川中・上流域と西方の原野へと広がる逆三角形の地域は

   シュビルないしスバルトゥと呼ばれた。

   この地域が後のアッシリア本土である。

   そこには土着語を話すフルリ人と

   親縁関係にある原住民スバル人のうえに、

   東セム系遊牧民が支配的要素として加わり、

   さらにシュメル文化の影響の下に都市アッシュール、ニネヴェが造られた。

   南方のアッカド王朝やウル第三王朝の支配を受けた後

   紀元前二千年頃からアムル人の侵入を受けたが、

   このころから紀元前一四世紀までを古アッシリア時代と呼ぶ。」



 ARPACHIYAH 1976

 『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 ミネルヴァ書房

 ニネヴェ

 ウル第三王朝

 アムル人

 古アッシリア時代

 

スバル人とスバルトゥ(3)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:171頁

 第三章 スバル人とスバルトゥ(3)

  一九八五年発行の山川出版社

 『民族の世界史//アフロアジアの民族と文化』は

 「アッシリアとディヤーラ地方の民族」の項に次のように述べる。

  「アッシリアとはアッシュール市とそれを中心とする

   王国の名に由来する歴史的地名であり、

   かってはスバルトゥがその地方の名称だった。

   アッシリア王国の主人がセム人だったゆえに、

   アッシリアの住人はセム人と思いこみやすいが、

   歴史的には最古の住人はディヤーラ地方同様に

   シュメル人でもセム人でもない、

   おそらく西イラン山地系ないしフルリ人と考えられる。

   楔形文字文書は彼らをシュバリ(スバルトゥ)人と呼んでいる。

   その居住地域はアッシリアやハブール川上流地域で、

   紀元前三千五百年頃以来

   南の地方とは異なる独自の発展を遂げてきたが、

   南の初期王朝期に相当する時期に西からセム人

   おそらくアッカド人がやってきて、

   シュバリ人と融合した結果、

   アッカド語の方言を話す民族の原型が成立した。」



 ARPACHIYAH 1976

 『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 民族の世界史//アフロアジアの民族と文化

 アッシリア

 ハブール川

2013年8月28日水曜日

スバル人とスバルトゥ(2)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:170頁

 第三章 スバル人とスバルトゥ(2)

  一九七七年(昭和五二年)発行の講談社『世界の歴史1』は

 「アッシュール市」について次のように述べる。

  「アッシュール市の古い時代の支配者の中には、

   明らかに北方山間の蛮人シュバリ人と思われるものがいた。

   アッシュールの市壁を初めて築いたキキア、

   同市の神殿を創建したウシユピア、

   そしてアッシリア最古の支配者イティティらは

   いずれもシュバリ人である。

   アッカド人はシュメル人を圧迫したと同じように、

   アッシリアにも支配者として現われた。

   彼等は不撓不屈の努力で先住のシュバリ人を同化していった。

   その結果、シュバリ人は新来のアッカド人の言語や文字を採用し、

   その信仰をも取り入れることになり、

   古来の性質をまったく失ってしまった。」



 ARPACHIYAH 1976

 『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 アッシュール市

 アッカド人

 シュメル人

スバル人とスバルトゥ(1)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:169頁

 第三章 スバル人とスバルトゥ(1)

  一九六九年に出された岩波書店『世界歴史Ⅰ古代』は

 「アッシリア帝国」の中で次のように述べる。

  「アッシリアの起源は、その名よりはるかに古く始まる。

   近年発見された『アッシリア王名表』によって補ってみると、

   最後の王アッシュール・ウバルリト二世(在位B.C.612-606)まで

   一一七代の王を数えるが、そのうち初めの三十代くらいまでの

   諸王の名は明らかにシュメル名でもセム系のアッシリア名でもない。

   いわゆる古代人によってスバルトゥと呼ばれた

   この地方の原住民の名であり、

   のちにフルリ人と呼ばれたものの名である。

   かれらの由来は明らかでないが、

   少なくとも今日のカウカサス語系に属するものと考えられ、

   後にはフルリ人の国からミタンニ王国が成立することになり、

   その後裔が

   アルメニアの先住ウラルトゥ(ハルディア)人であることことは

   近年ようやく認められるようになった。」



 ARPACHIYAH 1976

 『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 世界歴史Ⅰ古代

 アッシリア王名表

 カウカサス

 ミタンニ王国

 フルリ語

 アルメニア

 ウラルトゥ(ハルディア)人

 ※ウラルトゥ王国

 前9世紀半ばにヴァン湖を中心に形成された古代のアルメニアの国家。

 さまざまな種族の連合国家でした。

 「ウラルトゥ(Urartu)」はアッシリア読みで、

 自称「ビアイニリ(Biainili)」。

 ハルディ神(Haldi)を主神としたので、

 住民たちは「ハルディア人」と自称。

 現在のイラン・イラク・トルコ、

 そしてザカフカス地方に及ぶ地域にまで勢力を伸ばすほど強力になりました。

 首都はトゥシュパ(現在のヴァン市)。

 メヌアシュ王の時代にかつてのヒッタイトの北シリア領を奪取、

 その子アルギシュテシュ1世とサルドゥリシュ2世の時代に最盛期となります。

 アッシリアとは常に敵対し、

 北の騎馬民族と協力関係を保つこともあったようです。

 彼らの文化レベルは高く、

 周辺民族からの影響を受けつつ独自に発展し、大いに繁栄しました。

 しかし、

 北からキンメリア人やスキタイ人、

 南からアッシリアによって攻められ衰退。
 
 前590年頃にメディア王国によって首都トゥシュパは略奪され、滅亡します。

 (参考文献・『世界歴史大系ロシア史1』P5、『角川 世界史辞典』P124、)

「創世記」カインの本実(6)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:168頁

 第三章 「創世記」カインの本実(6)

  マルタ語においての「記号、しるし」を表す用語

  singal について先に触れたが、

 この語から派生した用語 sengha は「商業、技術」を意味する。

 また同じく「記号、しるし」を意味する用語として tebgha があり、

 同根語 thigh ha は「売る」で商人と関係していることを示す。

  tbahar は「航海する、出帆する」意味となる。

 この tebgha は、シュメル語ではないが

 シュメルの楔形文字に表記された thveli と対応する用語であろう。

  thveli は金属工と理解されているが、

 『創世期』第四章に「青銅や鉄の全ての刃物を鍛える者」の名として

 挙がるトバルカイン Tubelcain の構成語で、

 この名は「金属工匠」と理解できる。

 旧約聖書におけるヘブライ語の「しるし」は TSYVN(tsion) であるが、

 商品と解釈できる「供給品、必需品、設備」を表す用語が TSYVN(tsiod) で、

  TSYVN の語尾NがOに代わっただけである。

 そのd(ד)  r(ך) に極似しており、

 旧約聖書のシオン TSYVN(しるし) にする挿話は

 スバル人の商業活動の盛大さから創造されたものと考えて

 差し支えないと思う。

 スバル人とは北メソポタミアのカルト人のうち、

 金・銀・銅・錫・鉛を取り扱うことを中心に

 織物・木材・貴石をも交易する商人たちであったのであり、

 青銅器時代を迎え、

 その需要が増大した紀元前三千五百年頃から

 彼等の活動が活発化したものと推察できる。



 ARPACHIYAH 1976

 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

2013年8月27日火曜日

「創世記」カインの本実(5)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:167頁

 第三章 「創世記」カインの本実(5)

  セム語の支派とされるウガリット語に mark という用語がある。

 「記号、しるし」を表し、英語にも同義で移入されている。

 『創世期』第四章の

 「主はカインを見付ける者がだれも彼を打ち殺すことのないように

  彼に一つの”しるし”をつけられた」という「しるし TAYVN 」で、

 英語版の聖書は全てこの語を mark と記している。

  Mark は「しるし」とともに商人を意味する。

 ウガリット語を祖語として成立したフェニキア語時代、

 フェニキア人はスペインの南端に近い現在も同名であるが、

 植民都市 Maruga を開くが、その意味は商館を意味する。

 同語はポルトガル語に反映し、ポルトガル人が十五世紀以後

 大航海時代に世界を航海したが、

 現在のマレーシアのマレー半島の西岸にある町

 Melaka は彼等の商館都市で、

 その名はカナン語に祖語があるのである。

 また、英語の商人は marchant 市場を market

 ドイツ語における広場または市場を Marche というのも同類語である。

 フランス語の marche も「市場、取引、売買」 を

 さらに「行列、歩くこと、進行」を意味する。
 
 
ARPACHIYAH 1976

 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 セム語

 ウガリット語

 フェニキア語

 フェニキア文字

 フェニキア人

 カナン語

 Melaka

2013年8月26日月曜日

「創世記」カインの本実(4)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:166頁

 第三章 「創世記」カインの本実(4)

  カナン Canaan は地方名として知られる。

 その地域範囲については諸説あるが、

 北はシリアのオロンテス川河口地帯から

 地中海東岸を南下してパレスチナ地方までとみられる。

 ウガリットはその北部の文化的経済的中心であった。

 ここはユダヤ人の地ではなく、

 カナン人の代表ともいうべきウガリット人の祖地で商人的性格が強い。

 この第九章にいうカナンは

 商人であるウガリット人の名代と考えてよいであろう。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 オロンテス川

 パレスチナ地方

 ウガリット

「創世記」カインの本実(3)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:165頁

 第三章 「創世記」カインの本実(3)

  「創世記」第九章には洪水神話後の挿話で

 ノアの第二子ハムの子として

 カインの名に近似したカナンの名を持った者を登場させる。

 父ハムが、その父ノアがぶどう酒を飲んで酔い、

 天幕の中で裸になっているところを見てしまったために

 ノアはその孫に当たるカナンに対していう。

  「カナンはのろわれよ。

   彼はしもべとなって

   その兄弟たちに仕える。」

 またいった

  「セムの神、主はむべきかな、

   カナンはそのしもべとなれ。

   神はャパテを大いならしめ、

   セムの天幕に彼を住まわせられるように。

   カナンはしもべとなれ。」

  カナンは、

 しもべ(召使)である労働者となることを役目づけられたのである。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

2013年8月25日日曜日

「創世記」カインの本実(2)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:164頁

 第三章 「創世記」カインの本実(2)

  この挿話の語っている内容は明らかに土地(野原・畑)を離れた

 労働者(カイン)の誕生譚である。

 「土を耕す者」、サンスクリット語でいう karasu (農夫)が

 「羊を飼う者」アベルを殺してしまい、

 土地がアベルの血を吸ったことにより

 「土地を耕しても、土地はもはやあなたの実を結ばなくなり、」

 「土地を離れなければならなくなる。」

 「地のおもてから追放されて」
 
 「地上の放浪者」となったのである。

 カインは「エデンの東、ノドの地に住み」、妻を得て子孫を得る。

 その六代の後に「家畜を飼う者の先祖」ヤバルと

 「青銅や鉄のすべての刃物を鍛える者」トバルカインが誕れる。

 もはや多くを付け加える必要はないであろう。

 カインは「労働者」となったのである。

 ヘブライ語の「カイン」は鍛冶屋である。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 エデン

「創世記」カインの本実(1)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:163頁

 第三章 「創世記」カインの本実(1)

  「創世記」第四章はアダムとイブの子カインについていう。

 「アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。

  日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物をした。

  アベルもまた、その群れの初ごと肥えたものと持ってきた。

  主はアベルとその供え物とを顧みられなかったので、

  カインは弟アベルに「さあ野原へ行こう」といって誘い、

  その野原で弟を殺してしまう。」

  それを知って主がカインに対していこう。

  「あなたは何をしたのです。

   あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。

   今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。

   (中略)あなたが土地を耕しても、

   土地は、もはやあなたのために実を結びません。

   あなたは地上の放浪者となるでしょう。」

  カインは主に答える。

 「あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。

  わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。」

 「そして、主はカインを見付ける者が、

  だれも彼を打ち殺すことのないように、
  
  彼に一つのしるしをつけられた」と結ぶ。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 旧約聖書「創世記」第四章

 アダムとイブ

カルト人の進出


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:162頁

 第三章 カルト人の進出

  サンスクリット語にカルマン karman という

 「職業、労働、作業」を表す言葉がある。

 労働とはどういう行為だろうか。

 それは karma-kara の意味するところの「他のために働く」行為である。

 そして、

  karman を行う人たちが(雇用された)労働者、召使、職人、工匠など、

 そのうちでも鍛冶工はその代表でもある。

  karman に対応するシュメル語は hun (就労する) humtu (行く)で、

 地中海の島のマルタ語では

  ghamil という「作業、労働」を表す用語と関係する。

 マルタ語のうちに「労働」の意義を探ってみると、

 野原、畑( ghalga )に盲目の( ghama )人がする

 あるいは作る( ghamel )ことを ghamil というのである。

 この ghamil に対応するドイツ語は商人を意味する Kaufman で、

 動詞 kaufen は(物を) 買うことをいい、

  krämer は小売商人、動詞( krämen )は「探し回る、捜し歩く」の意味である。

  これらの資料は旧約聖書「創世記」第四章に登場する

  Cain の謎を解くのに重要である。

 そして、

 それがカルト人の別称であるスバル人の性格を説明することになるのである。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 マルタ語

 旧約聖書「創世記」第四章

 Cainの謎

2013年8月24日土曜日

エンキ神と「メ」の職能(4)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:161頁

 第二章 エンキ神と「メ」の職能(4)

  「イナンナとエンキ」は、

 エンキ神の専有物であった「メ me 」が

 エリドゥ市から他の地方へ伝播されていったことの挿話を語る。

 ウルク市の女神イナンナがエンキ神から

 「メ me 」を入手しようともくろみ、エリドゥを訪ね、

 エンキ神がもうけた酒宴で同神の酔いが回って朦朧としている間に

 「メ me 」をエンキ神から掠め取り、ウルク市へ船に乗せて持ち帰った。

 この挿話の意義をジャン・ポテロは

 「エンキやエリドゥから メ me が奪われたという意味ではなく、

  イナンナとウルクもまたこの時以来エリドゥ同様

  メ me を所有し利用するになったことを意味している」

 といっている。

  つまり、

 エリドゥの神殿の権威が

 他の都市にも波及したことを示しているのであり、

 各都市によって守護神は変わっても

 権威を象徴する神殿の概念が踏襲されていることの証左となる。

 また、

 エリドゥの神殿の信仰に従い奉献が行われたのである。

 森林がなく木材を輸入しなければ入手できない

 南メソポタミア地方にとって、

 北メソポタミアでのように高床式神殿を作るためには、

 木材は不適当であっただろう。

 当然大量に作り得る煉瓦を積み上げた建物を

 神殿とすることに転換されたことは明らかで、

 大規模化も可能となったのである。

 階段は神殿が巨大な土塁の上に造られるようになったために

 必要になったのではない。

 高床式神殿にあった階段が

 「天への門」であるという観念を尊重しているのであり、

 ジックラトの主要な特徴となっているのである。

 エリドゥ文化が南メソポタミア全域へ広がった

 証左の代表的要素である。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 イナンナとエンキ

 エンキ神

 エリドゥ市

 ウルク市

 ジャン・ポテロ

 ジックラト

エンキ神と「メ」の職能(3)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:160頁

 第二章 エンキ神と「メ」の職能(3)

  これらの項目は、

 都市の国家において

 文明化された文化生活を送るための規範を示しており、

 エンキ神によって教唆された天則であり、

 律法をも想定していたことがみえてくる。

 しかし、違反に対する罰則などという内容はなく、

 法律という規範でない。

  「メ me 」は南メソポタミアにおいて

 北メソポタミアに誕れた牛頭信仰の象徴である

 角の変身したものであることがを述べたが、

 その説明援助する事実がバローチー語にある。

 先にバローチー語の角を表す用語が khald の転訛である

  kārt であることを紹介したが、

 同語における「法律」は kārūd で kārt の派生語となっている。

 パキスタンのバルチスタン中心に居住するバローチー人は

 メソポタミアの歴史と密接な関係にあるが、その訳は後述する。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 バローチー語

 バローチー人

 バルチスタン

2013年8月23日金曜日

エンキ神と「メ」の職能(2)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:159頁

 第二章 エンキ神と「メ」の職能(2)

 神職者については男女の司祭について述べ、

 性的行為を行う神職者の職能を解説している。

 さらに灌漑についても洪水と比較して説明されている。

 その他

 文字、書紀術、音楽、幾何学の方法、家庭生活、祓魔儀礼も含まれている。

 これらはエンキ神の創造によるもので、

 同神により指導される分野なのである。
 
 バビロニアの叙事詩にうたわれたとおり、

 葦や木は生えておらず、家もなく、都市もできてなく、

 すべて海であった大地に諸機能を植え付け、

 エリドゥ市をエンキ神は創り上げたのである。

 しかし、

 百余の項目全てが紀元前五千年前、

 エリドゥ市が始まった当時に存在したとは思えない。

 シュメル人やバビロン人が文明の進展の中で

 獲得した知識と技術を神話化して

 まとめ上げたものと判断するのが妥当であろう。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 バビロニアの叙事詩

エンキ神と「メ」の職能(1)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:158頁

 第二章 エンキ神と「メ」の職能(1)

  エリドゥ市の守護神エンキについて賛歌はうたう。

   鋤とくびきを彼あやつれり、

   偉大なるエンキは

   かの神聖なる畝溝を切り開き、

   年を通じ野に穀物を実らせり、

  エンキ神は豊饒をもたらす創造主であった。

 シュメルの神話には「地の主」として淡水を意味する

 アプス apsu と深い関係にあり、

 灌漑を推進することにより農耕地を誕生させ、

 作物を栽培することにより穀物の実りをもたらしたのである。

  エンキ神の創造主としての役目は、

 「メ」の原初的保持者として権威付けられている。

 「メ」の内容については

 「イナンナとエンキ」と呼ばれる粘土板に書かれた神話によって知られる。

 シュメルの「神学者」たちが、

 百余の項目にまとめ上げたエンキ神の職能である。

 ここで重要なことは都市や神殿の建設方法をもたらすことである。

 木工や家造りの技術、皮細工は「神殿の建設」とも関係する。

 家畜飼育についても「羊小屋」によって代表される。

 金属加工に関しても「金属鋳造」「青銅加工」技術について、

 また旅をしての商売にも触れられていr。

 政治的側面として支配権を明確化する

 「司牧」「王」「高貴な王杖」を挙げている。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 エンキ神

 シュメル神話

 アプス

 イナンナとエンキ

角と「メ」信仰(7)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:157頁

 第二章 角と「メ」信仰(7)

  規模は百十ヘクタールの広さがあり、

 ウルク後期に当たる南メソポタミアの

 ウルクの市の神殿と同等の大きさで

 内部装飾も壁画を石製の円花飾りと

 テラコッタのコーンで構成したモザイク、

 祭壇には色石で継ぎ合わせた帯状装飾と

 金の帯が組み込まれているなど、

 ウルクの市の神殿に匹敵するものであったことが知られる。

 テル・ブラクのある地籍はスバルトゥの重要な地域で、

 スバル人によって創建されたと十分考えられる。

 これは、紀元前四千年紀から紀元前三千年紀にかけて

 後期ウバイド期文化が北メソポタミアへ影響した結果である。

 その文化的特性は煉瓦による神殿造営を第一の要素とする。

  Me の信仰が北上し、信仰の象徴として

 「眼の偶像」の神殿が作られたのである。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 ウルク文化

 テラコッタのコーン

 スバルトゥ

 紀元前四千年紀

 紀元前三千年紀

 後期ウバイド期

 「眼の偶像」

角と「メ」信仰(6)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:156頁

 第二章 角と「メ」信仰(6)

 この遺跡の紀元前四千年紀の神殿から

 「眼の偶像」と呼ばれる石に彫られたか焼成粘土で作られた

 高さ二から十一センチメートルの奇妙な像が

 三百体も数千個の破片とともに発見された。

 この神殿跡にはこのような偶像が

 二万個は埋まっていると推測されている。

 同様の像は同時期の遺跡、例えば

 シンジャール山脈のグライ・レシュ遺跡などからも発見されており、

 奉納のためのシンボルと考えられている。

 エリドゥ神殿の丁字形粘土焼成品と同じ役目である。

 偶像の形象は「二つの眼」と思われる造形が強調され、

 人間の上半身から腕や手・頭の部分は元より鼻や口耳などを除いた、

 時には台の上にドーナツ状の輪を二つ造形しただけの像さえある。

 神殿の内部には十字形の中央広間が組み込まれていた。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 眼の偶像

 シンジャール山脈

 グライ・レシュ遺跡

2013年8月22日木曜日

角と「メ」信仰(5)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:155頁

 第二章 角と「メ」信仰(5)

  この me の信仰を最も盛大に行ったのが

 スバル人たちと思われる証拠が」ある。

 スバル人の土地を流れている大河はティグリス河で、

 ギリシャ人が虎の意味で付名したものであること、

 またその名が Dicle 河であることを述べたが、

 この ディクル は虎を意味していない。

 円いもの、敷衍されて、眼ないし瞼を表す。

 シュメル語によるティグリス河の呼称は idigna である。

 これまでアラビア語による解釈によって

 「急流の河」などと解釈されてきたが、

 「眼の河」と考えられるのである。

 シュメル語で id は川を、

 igna は igi-na の短略語で「眼の」を意味すると解釈できる。

  ハブール川がトルコ国境から多くの支流を集めるながら西流し、 

 西方から流れ来るシャブール川と合流して南流する地点の少々東に

 テル・ブラク Tel-Blak 遺跡がある。

 遺跡名は現代名であるが、

 Blak はアルパチア遺跡の碗形土器の垂幕に推察した

 brag に係わる聖所の呼称であろう。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 Dicに係わるle河

 ハブール川

 シャブール川

 テル・ブラク遺跡

角と「メ」信仰(4)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:154頁

 第二章 角と「メ」信仰(4)

  me は「眼」を表すばかりではない。

 日本語で「台風の目」といわれるように「その中心」を意味するが、

 英独語の例にみられるとおり、

 「自己・主体」に係わる用語である。

 インド・ヨーロッパ語圏において

 「自己・主体」を表す用語は「スバル」に係わる。

 「スワ sva ・ スヴェ swe 」である。

 例を挙げると、インドの十九世紀植民地からの独立運動を

 スワデシュ Svadesh 運動、

 現在のアフリカ南部にある国名 スワジ Swazi 、

 スイス Swiss の国名から スラブ Slav の民族名まで、

 さらに日本の諏訪から太平洋の ハワイ Hawai まで関係する。

 スバルは十字紋、卍字紋が起源であることはすでにみたが、

 十字紋の交差点、卍字紋の中心を me というのである。

 北メソポタミアからスバル人とも呼ばれたカルト人が

 南メソポタミアへ持ち込んだ

 高床式神殿の象徴「牛頭」は

 エリドゥの神殿における信仰の歴史のなかで、

 「 me 」に変身したのである。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 台風の目

 スバル

 十字紋

 卍字紋

 スバル人・カルト人

 高床式神殿の象徴「牛頭」

2013年8月21日水曜日

角と「メ」信仰(3)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:153頁

 第二章 角と「メ」信仰(3)

  si は角を意味するとともに「眼」としても使われた。

 シュメル語の「眼」を表す楔形文字は※で me の同類である。

 ※は igi と読まれるが、この用語は興味深い。

 目を意味する

 ドイツ語は Auge 、

 英語は eye であるが、

 それぞれ「自己」を表す一人称主語となり、

 Ich(ドイツ語)、I(英語)へと転換され、

 「自己の、わたしの」を表す所有格は

 my(英語)、mein(ドイツ語)、
 
 目的格「自己を、わたしを」は

 me(英語)、mich(ドイツ語)となり、

 目は自己を表す用語と直接的な関係を持っている。

 バローチ語では一人称単数の主語「わたし」は man で、

 一人称複数「我々」は mā で

 所有格が may となる。

 また、グルジア語の一人称単数の「わたし」は me で

 複数「我々」はスバルと関係するが tschven である。

 シュメル語の me も指示動詞「ある」の意味で使われているが、

 また me は「眼」であるとの解釈も成り立ってくる。

 日本語での「眼」の訓読は「メ」であり、

 また死語になっているが「マツ」と呼ばれた。

 睫は「マツゲ」つまり「眼の毛」で眼は「マツ」である。

 この me 及び mat は日本語だけに特異な用法ではない。

 サンスクリット語に mat 、

 ギリシャ語に mati とあるばかりでなく、

 中本正智が『日本語の系譜』で

 その調査を発表しているように

 ヨーロッパ、アジアに広がっている。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 楔形文字

 バローチ語

 グルジア語

 日本語の系譜

角と「メ」信仰(3)

角と「メ」信仰(2)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:152頁

 第二章 角と「メ」信仰(2)

  角を表す si の絵文字※の形象がエリドゥ遺跡から

 発見された釘状の土器と関係あるだろうことを先に述べた。

 この丁字形の角を模したと思われる楔形文字が

 シュメル語 me の礎でもあろう。

 「メ me 」は「信託、天測、律法、摂理」を意味するが、

 重要事項は神話においてそれが原初的に

 エンキ神の持ち物であったことである。

 粘土で焼成された角状の si は

 エンキ神の象徴であったと解釈できる。

 さらに、

  me は「高み」を意味する mah と発音が近似しており、

 e-mah 寺院の「高み」から抽象化されたと考えられる。

 高床式神殿の概念が踏襲されているようなにみられるのである。

 ※シュメル絵文字

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 エリドゥ遺跡

 エンキ神

 高床式神殿

角と「メ」信仰(1)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:151頁

 第二章 角と「メ」信仰(1)

  シュメル語における角を表す用語は si であることはすでに紹介した。

 この si の発音はどちらかというと qi に近かっただろうと思われる。
 
  si を含む王子を表す patesi は

 サンスクリット語の同義 pataka と同根語とみられるが、

 ここでは ka と表音されている。

  si と表記される角は khald の語頭の残存であると判断できるのである。

 サンスクリット語には arāda という「長い角のある」を意味する用語が、

 あるいは「登ること」に係わる ārudha ないし ārudhi という用語があり、

 アッカド語の aradu (降りる) に対応する。

 これらは都市名エリドゥ Eridu 関係すると思われ、

 Eridu は khald の二千年を経た後の転訛である可能性もある。

 角 khald が階段 galam を象徴していただろうことはすでに推察した。

 王子を表すシュメル語には patesi のほかに nun がある。

 『シュメルの王名表』の冒頭に表れる

 「王権が天下から下った時エリドゥに王朝が成立した」の

 エリドゥの都市名である

 ヌンキ nunki は「角の王子」の市と解釈することもできる。

 そうすると、

  patesi の同義語とされる ensi は「地方長官」の意味もあるが、

  エリドゥの都市であることになり、

 エリドゥ市の守護神ということにもなる。

  Enki であることになり、エリドゥ市の守護神ということになる。

  En は長官とともに「主」を表すので「角の主」となる。

 これまでエンキ神について、

 その神話から「地の主」との理解が一般化しているが、

 ジャン・ボデロが「メソポタミア」の中で

 「その正確な意味は確かめられていない」

 と述べるよう「地の主」と解釈するだけでは十分でないのである。

 参照のために角を意味する

 ペルシャ語は shākh 、

 バローチー語は hānt 、

 スィンディ語では siñu であることを付け加えておきたい。

 また、ギリシャ語の έρδω は「犠牲を献げる」を、

 άρδωは「灌水(家畜に)水を飼う」を意味する。

 ARPACHIYAH1976


 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 シュメル王名表

 ペルシャ語

 バローチー語

 スィンディ語

 ギリシャ語

2013年8月20日火曜日

カルト人と南メソポタミア(3)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:150頁

 第二章 カルト人と南メソポタミア(3)

 カルディアの名称は部族名ではあるが、

 その居住した地域名に依るものと考えた方がよさそうである。

  紀元前八世紀の半ば

 新アッシリアの帝王ティグラト・ピレセル三世は

 統治政策として被征服民の集団的強制移住を行い、

 アラム人をエラム方面に

 イスラエル人をアッシリアへ移させたが、

 移住させられた人民の名として

 オロンテス河畔へ移されたカルトゥ人の名がある。

 旧約聖書創世記には

 「カルデア(Chaldaea)のウル」の地名が出てくる。

 ウル、エリドゥなどユーフラテス川の河口に近い地域で

 同河の南岸一帯を当時カルデアと呼んでいたのである。

 旧約聖書には創世記のほかに

 エゼキエル書、ダニエル書、ハバクク書にも

 カルデア人の呼称が出てくる。

 その内容からすると、

 新バビロニアのユダヤ人

 バビロン捕囚の時代及びその後にも

 この地方はカルデアと呼ばれていたといってもよいであろう。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 ティグラト・ピレセル三世

 アラム人

 エラム

 オロンテス河畔

 カルトゥ人

 旧約聖書創世記

 カルデア(Chadaea)のウル

 ウル

 エリドゥ

 ユーフラテス川の河口

 エゼキエル書

 ダニエル書

 ハバクク書

 新バビロニア

 バビロン捕囚

カルト人と南メソポタミア(2)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:149頁

 第二章 カルト人と南メソポタミア(2)

 紀元前九世紀になると、南メソポタミアのペルシャ湾沿岸に

 カルディア(Chaladae)人と呼ばれる有力な部族が現われる。

 彼等は西セム系の民族といわれ、

 紀元前十一世紀ころから現在のシリア方面から
 
 アラム人と前後して南下してきた部族とされている。

 その民族名について、

 故地から持ち込んだ呼称との推察もできるが、

 彼等が占拠した地域名に依るものであったとも考えられる。

 西セム系であるアラム人の一派との見方もあるが、

 文書に表れた両者の関係は明確に区別されている場合が多い。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 カルディア(Chaladae)人

 アラム人

カルト人と南メソポタミア(1)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:148頁

 第二章 カルト人と南メソポタミア(1)

  これまでアルパチや遺跡遺跡出土の碗形土器にこだわって、

 ハラフ期の北イラクにおける宗教的状況について追求してきた。

 紀元前六千年頃

 すでに高度に洗練された信仰世界が成立しつつあった

 証左がここにあると思われる。

 そして、

 「祝:はふり」が取り行う祝祭の起源が北メソポタミアにあり、

 牡牛の屠殺による奉献が極めて重要な信仰行動であったことが解った。

  また、この文化を創造した人たちがカルト人であったこと、

 及び彼等は

 後になってスバル人と呼ばれたことを確認しなければならない。

  南メソポタミアのエリドゥに移住してきた

 第一の先住者はどういう人たちであったかが焦点である。

 先にはエリドゥに来た人々は

 すでに神殿を作る慣習を持つ人々であることを推察した。

 そして、これまで傍証してきたとおり

 北メソポタミアで高床式神殿を建てる信仰心と技術能力を

 獲得したカルト人こそ第一の先住者と考える。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 カルト人・フルリ人→スバル人

 ハラフ期

 祝:はふり

 高床式神殿

 エリドゥ

2013年8月19日月曜日

太陽神


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:147頁

 第二章 太陽神

  アルパチヤ遺跡ではハラフ期の終末、

 紀元前五千四百年頃にも彩色土器が盛んに作られたが、

 その中には菊花紋を意匠した大皿などが出土している。

 アッシリア時代になって菊花紋は太陽神で帝王の守護神

 アッシュル Assur の象徴となる。

 同紋様の起源がエジプトにあるとの解釈もこれまでにされてきたが、

 アッシリア王が「角のついた王冠」をいただいていることを考えると、

 やはり北メソポタミア土着文化の継承と判断した方がよさそうである。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 ARPACHIYAH 

 ハラフ期

 彩色土器 

 菊花紋

 アッシリア時代

 北メソポタミア土着文化 

2013年8月18日日曜日

高床式神殿の祭神(三)創造主(3)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:144頁

 第二章 高床式神殿の祭神(三)創造主(3)

  シュメル時代に実在した王の名ドゥムジは

 アッカド語に tammuz と転訛し、

 神格化され賛美歌が寄せられているが、

 その中で「太古の母」である zikum とすでに紹介した

 「天空」が名指しされていると同時に

 「空を横断する偉大な母」と太陽を想起させる表現がある。

 シュメル語では母は「アマ ama 」といい、

 絵文字では「米□」と描かれ、

 天空 zikum 「絵文字」を神「絵文字」が移動していく図柄で、

 楔形文字では「絵文字」となり天空の中を神が動くことを示す

 「絵文字」が付け加えられている。

 明らかに母神が太陽である証明となっている。

  ここで、

 巻頭に紹介した日本の信濃風土記逸文に残る

 「箒木」を思い出していただきたい。

 あるとみえるが、近づくと見えないというのが主旨であった。

  目を直に向けると眩みして

  何も見えなくなる現象といったものと考えれば

  碗形土器の幕の内に何も描かれていない意図は

 太陽を表していると理解できる。

 因みに tammuz は聖木の呼称となっており「箒木」に対応される。


 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 シュメル絵文字

 箒木

2013年8月17日土曜日

高床式神殿の祭神(三)創造主(2)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:143頁

 第二章 高床式神殿の祭神(三)創造主(2)

 まず布幕に付けられている房は紐状で、

 幕の内が神聖な場所(聖所)ないし事柄を秘めていること

 及び二人の女性が侍していることから

 女性に係わる秘所であると思われる。

 ベイルは英語の呼称ではあるがヒントがある。

 シュメルの絵文字を捜っていくと、

 この図柄に酷似した文字「絵文字」があり、

 シュメル語で bar と読まれ、

 「聖所」の意味であり、 veil と近似している。

 絵文字には碗形土器の意匠では空白であった囲みの中に

 V のマークが書かれているが、

 これは土器の女性にも白抜きで逆三角形が取られているように

 女性の性器の象徴であり、幕の内に女性が坐すことを示している。

 シュメル語 bar を同じ英語に捜ってみると bear があり、

 その意味は「子供を産む」であるばかりでなく

 「支える、持つ」の字義があり、

 二人の女性が垂幕を支え持っている行為自体が

 「出産」を表意していると解釈できる。

 産み出す役目をするのは母の役割である。

 この幕の内には母神が坐すことが解ってくる。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

高床式神殿の祭神(三)創造主(1)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:142頁

 第二章 高床式神殿の祭神(三)創造主(1)

  碗形土器には垂幕の図絵が二ヶ所に描かれている。

 双方とも幕の端に房を付けているので、

 明らかにベイル veil である。

 一方のベイルは髪の長い二人の女性の手によって掲げられている。

 布幕の中は空白で何も無い。

 ベイルとは何かを覆い隠す幕のことであり、

 その向こうに何かが存在するが、

 空白はそれを敢えて語らないことにしている意思の表明である。

 この図柄から読み取ることができる状況は

 まさに「ありてなきもの、なきてあるもの」を見る者が

 感得しなければならない形而上学的表現である。

 しかし、

 「なきもの」の実体を推測するための材料が

 全く提供されていない訳ではない。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 高床式神殿の祭神


 








  



 

2013年8月16日金曜日

高床式神殿の祭神(二)水神(2)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:141頁

 第二章 高床式神殿の祭神(二)水神(2)

 楔形文字になると、

 刻文は一つでも「池・堤」を表し、amber と読まれた。

 また、天空 zikum を表す楔形文字は engur とも読まれ

 「深海」ないし「深水」の意味で、大量の水を想像させる。

 河川は「 id イドゥ」であるが、

 その楔形文字は水とengur/zikumとの合成語である。

  エリドゥの神殿の呼称は e engur で「水の神殿」の意である。

 Engur の楔形文字を分析すると、

 容器( gur )が星型米( an )を囲んでいる。

 つまりengur は an-gur であり、「天にある容器」と解釈でき、

 雨を降らせるために水を貯える天の壺と考えられる。

 壺は dug ないし duk と呼ばれた。

 この楔形文字はまた buk とも読まれ、動詞形になり、

 「所蔵する」の意味になる。

 さらにこの語は「耕作する」にも使われ、

 神殿の壺が穀物の豊饒を祈っていることも理解される。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 楔形文字

 エリドゥの神殿

高床式神殿の祭神(二)水神(1)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:140頁

 第二章 高床式神殿の祭神(二)水神(1)

  アルパチヤの碗形土器には

 二人の人間の身長よりも大きい壺が描かれている。

 壺はアッカドのマルドゥク王の場合のように王の象徴でもあった。

 ハラフ期・ウバイド期の神殿に残された壺の中からは

 穀物、動物の骨、魚の骨などが発見されていて、

 神殿への奉納のための容器として使われたことを示している。

 しかし、牛頭・マルタ十字紋と並列された壺には

 単なる貯蔵用容器を表すだけでない

 神への期待が込められている。

 「水の恵み」を祈願しているものとみられるのである。

 シュメル語の畑を表す aša は「真ん中に水がある」字義で、

 農耕のために水がいかに貴重視されていたかが解る。

 「ア a 」が水、

 「シャ sa 」が中央を表す。

 高床式神殿の「高み」にある聖所は

 suku ないし sug と称したことは紹介済みだが、

 この用語の絵文字は「○の中に横∬」で、

 容器の中に水があることを表している。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 シュメル絵文字  

 アルパチヤの碗形土器

 アッカドのマルドゥク王

 ハラフ期

 ウバイド期

 牛頭・マルタ十字紋


 

 
 

2013年8月15日木曜日

高床式神殿の祭神(一)豊饒神(7)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:139頁

 第二章 高床式神殿の祭神・(一)豊饒神(7)

 カルトがスバルに代わったことを証明する明白な根拠がある。

 先に述べたように「創造者・創物主」を表す用語は、

 サンスクリット語で kartr であった。

 同義の用語がドイツ語にあって、

 Schöpher がその用語で、シュメル語 śubal に対応する。

 サンスクリット語の成立は紀元前一千年頃からであるのに対し、

 ドイツ語の祖語を使うゲルマン人が現れるのは

 紀元前二、三世紀頃と遅い。

 ゲルマン神話の主神オーディン伝説を記す

 「ヘイムスクリングラ王朝」の成立は紀元後のことである。

 相互の時代的経緯を考え合わせると

 カルトがスバルに代わっていることの証左である。

 ドイツ語の schöphe には前記の他神、

 それも「全能の神」を schöpher 、

 さらに「すくう人、汲む人」を内容とする。

 スバルがひしゃくの神であり、

 北極星を含む角座あるいは北斗七星が

 信仰の対象になっていたことを物語っている。

 その動詞形schöphen の意味は「汲む」のほか、

 植物を対象とする使用方法で「受精する」、

 戯曲表現で女性が「妊娠する」の使用例があり、

 高床式神殿の豊饒祈願と合致するところである。

 シュメル語に kalu と表記してスバルと発音させる慣用句がある。

 「豊饒の門」の意味で、神殿への信仰を思わせる。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 ヘイムスクリングラ王朝

 オーディン

高床式神殿の祭神(一)豊饒神(6)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:138頁

 第二章 高床式神殿の祭神・(一)豊饒神(6)

 彼らが十字紋 šabal 信奉者であり、

 それが種族名の由来と考えられるので、

 カルト人の中から興ったか、その別称であったと思われる。

 スバル人の呼称の始原は、

 しかし紀元前二千五百年期よりかなり遡ぼるだろう。

 ある見解によると紀元前三千五百年前には現れたとしている。

 紀元前三千年頃のシュメル語に取り入れられた

 鍛冶屋を表す thveli はスバル人の職業的変名である。

 スバル人のアナトリアの銅を商業的にに発展させた結果を表す。

  このように後世スバル人と呼称されるが、

 ハラフ期からウバイド期にかけて北メソポタミアで

 活動していたのはカルト人であり、

 彼等は高床式神殿で天空の極点にある北極星を

 スバル星(中心星)とし、

 周辺の七星を角座として信仰したと解釈することができる。


 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 プレアデス星団

高床式神殿の祭神(一)豊饒神(5)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:137頁

 第二章 高床式神殿の祭神・(一)豊饒神(5)

  小熊座にある北極星は天空の中心点にあるものとして

 感得されていたと思われる。

 小熊座の名称は便宜上使うが、

 ギリシャ人が名付けたもので紀元前六千年期のカルト人には係わりがない。

 牡牛座などの星座名も全く同様である。

 サンスクリット語では

 十字紋、卍字紋を総称してスワスティカといい

 吉兆のシンボルであることはすでに記述した。

 この「スワ」はシュメル語にある šabal の同義語と考える。

 文法的解釈では「交差する中央」ではあるが、

 十字を表し、子供・子孫をも表す。

 紀元前二千五百年頃の史料に、

 アッカドのサルゴン王に征服された土地の中に

 北メソポタミアの種族として

 スバル人ないし、レスバルトゥが現れる。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 アッカドのサルゴン王

 フルリ人

高床式神殿の祭神(一)豊饒神(4)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:136頁

 第二章 高床式神殿の祭神・(一)豊饒神(4)

  サンスクリット語に七星を表す krittika (星座名)がある。

 この星座は小童である医方神 karttikeya の乳母とされているが、

 khard を祖語とする同類語と考えられる。

 Rarttikya神の性格はエンキ神によく似ている。

 Krittikaは漢訳では昴(すばる)宿とされている。

 しかし、

 インドの神話から判断すると北斗七星か小熊座であろう。

 サンスクリット語には大熊座(北斗七星)内の星を指す Kratu もあるが、

 karttikeya が小童であることを考慮すれば小熊座の方である。

 七つの星はひしゃくを表す配置になっていて、

 北斗七星の「斗」はそのひしゃくを意味するが、

 またこの形象は角を形作る。

 古代のメソポタミアにおいても

 khard座と呼ばれたことは十分ありえよう。

 サンスクリット語 kratu は

 「知恵、知識、犠牲、供犠」を意味し、

 カルト人の性向に一致する。

 また同類語 kartr は祭官を意味するばかりでなく、

 「創造者」あるいは「創造主」を字義としており、

 最初の知恵者であったことを髣髴させている。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 北斗七星

 小熊座

 大熊座
 

2013年8月14日水曜日

高床式神殿の祭神(一)豊饒神(3)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:135頁

 第二章 高床式神殿の祭神・(一)豊饒神(3)

  十字紋はハラフ期の当時何と呼ばれていたのであろうか。

 マルタ語の「主」を表す sinjur の同類後に

 「しるし、標識、記号」を表す sinjal がある。

 Sinjur と北イラクの山脈名 Sinjer は同根語で、

 sinjer は先にみたように神殿を表わした。

  この用語は現在のマルタでは「主、主人」の意味ではあるが、

 古代においては「神」そのものを意味したように思われる。

 するとマルタ十字紋である「しるし sinjal 」自体が

 「神体」の象徴であったことになる。

 「神への信奉」を字義とする karita を持つこの島の人々の基層には

  khard 人が存在したと考える。

 彼等がマルタ十字紋を「シンジャル」と称していたといってもよいだろう。

 牛頭崇拝の文化を北メソポタミアから持ってきたのである。

 シュメル語に入った神をいう場合の dingir は

 この sinjer の祖語の転訛であると考えられる。

 Dingir の絵文字「米」は星の抽象化によるものと解釈がされている。

 シュメル語の天空を意味する zikum は「□の中に米」に作られ、

 星のある世界ということである。

 「高床式神殿の高み」にある「聖所」はsukuで、

 十字紋の坐すさらなる「高み」の天空を「神の坐す聖所」と考え、
 
 zikum と称したと考えられる。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 ハラフ期

 Dingir の絵文字

 シュメール語事始

高床式神殿の祭神(一)豊饒神(2)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:134頁

 第二章 高床式神殿の祭神・(一)豊饒神(2)

 北メソポタミアの影響と考えられる単語である。

 国名 Malta はラテン語の「結婚させる」の marto に関係する。

 結婚は男女が「交わる」ことであるが、

 同島の地理的環境は東西南北の交通の要所でまさに

 「交差点」であり十字の中心である。

  以上のことを根拠とすると、

 「交差する」ことは「結婚するする」ことで、

 動物の場合は「交配させる」ことで、繁殖を意味することとなる。

 シュメル語 bal の派生語 šabal は子供、子孫を表す。

 碗形土器に描かれたマルタ十字紋は

 豊饒祈願のシンボルと考えられることになる。

 別の一角にも二つのマルタ十字紋とともに蛇の姿が描かれている。

 これは牡牛の男根の象徴であろう。

 シュメル時代に入ってからの、

 碑文を刻んだグディア王像を先に取り上げたが、

 同王の時代、紀元前二千年頃に作られた神像と思われる人、

 頭と牡牛の体した像には、

 その腹部に男根がが浮き彫りされている。

 土器の蛇には首のあたりにリボン状の紐を結っている。

 紐をつけることは祝福されていることの目印で神聖の象徴である。


 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 グディア王像

 グディア王像

高床式神殿の祭神(一)豊饒神(1)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:133頁

 第二章 高床式神殿の祭神・(一)豊饒神(1)

  あの碗形土器の高床式神殿には屋根がついているが、

 その形状は牡牛の角のように上に向かって弧を描いており、

 牛頭の象徴であろうことをうかがわせている。

 碗形土器の意匠にはマルタ十字紋様が四つ描かれている。

 十字紋や卍字紋意匠はサマッラ土器に特異な紋様である。

 十字紋の上に星形と動物の横身姿と思われる小さな図形がある。

 このことにより十字紋が信仰に係わる何かの象徴と判断できる。

  マルタ十字の名称は地中海のイタリア半島の西

 シシリア島のアフリカ側にある小さな島マルタ Malta国 と関係がある。

 首都は Vallette である。

 マルタ国は古来独自の文化を保持継続してきたが、

 言語的にもラテン語・アラビア語などの影響を受けながら自国語を守ってきた。

 そのマルタ語の中に

 神への信奉、敬愛、供施、慈愛を表す言葉 arita があり、

 また、

 Sinjurは宗教的表現でないが、

 主・主人・紳士を意味し、

 一般的に男性を呼ぶ「~さん」に使われている。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 高床式神殿

 マルタ十字紋様

 十字紋

 卍字紋

 サマッラ土器

2013年8月13日火曜日

高床式神殿と「高み」(3)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:132頁

 第二章 高床式神殿と「高み」(3)

 サンスクリット語の縄・紐を表す gardura と同義語である。

 またカトリック教の聖紐は Zinglum と称される。

 以上の言語から理解すると、

 原初的には紐による縄張りが行なわれていたと推測される。

 高床式神殿を動物の害から守るため周囲に紐を回らしたのである。

 紐を張ることを Zingel といったのである。

 紐は動物の皮革であっただろうが、

 次第に垣根を作るようになり、

 壁を建てる工夫を思いついたと思われる。

 これがジンジャ sinjer である。

 このように理解すると、

 供儀所を備えた神殿の発祥地が

 北メソポタミアにあったと考えてよいであろう。

 なお、神殿に穀物を貯蔵する行動は

 ウバイド期からウルク期の遺跡シンジャール山脈にある

 グライ・レシュの至聖所内から大麦・小麦を大量に納めた

 甕が見つかっていることからも慣習であったと考えられる。

  Sinjerの祖語は、

 シュメル語に波及し、

 神・天を表す dingir へ転訛したと考える。

 また、

 シュメル語Sahar、Sakarは

 ドイツ語のSchrein、

 英語のShrineと同根語で、

 容器・箱を表すが、

 日本の神社も英独語に翻訳する際には

 この用語が当てられている。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

  シュメル語・日本語

 《Key Word》