2013年3月31日日曜日

伊都から水行10日=千五百余里で八代



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録40:7頁

 《伊都から水行10日=千五百余里で八代
 「伊都から水行10日=千五百余里で八代


 次は「水行陸行」部分の里程を見てみよう。

 郡から女王国まで萬二千余里とあるのだから、

 それから「郡~伊都間の距離」を引けば、

 「伊都~女王国間の距離」が出る。

 それが「水行、陸行」と同じ部分の数値距離なのである。

 郡から狗邪韓国までが七千里、末盧まで三千里、

 伊都まで五百里だから計一萬五百余里、

 残り千五百余里が伊都~女王国間の距離なのだ。

 これを地図で計ってみると、

 ほぼ牛津~八代間の距離である。

 もちろんこれは郡使の聞書きでしかないが、

 当時は既に精密な天測や三角測量が行われており、

 その重要な器具が鏡であり、

 地方長官の名乗り「卑狗」も漢魏音の発音「ピク」で、

 オリエントの面積単位名からきている。

 これは『記・紀』に多出する「彦・日子」の沖縄発音で、

 領地を測量して農林牧畜の経済基盤とし、

 それに課税する資格を持つ者=貴族を意味する名乗りだった。

 それだけの文化背景をもったこの距離・行程記事は、

 郡使が聞き書きした概数ではあっても

 精度の高いものだったことは間違いない。

 さらに補足すると、オリエント由来の面積単位名には、

 この他にも耕地の面積=広さを表わす「セ」がある。

 これは我が国の「畝(せ)」に当り、

 バビロンの麦の量(体積単位)「1 セ」を撤くのに必要な畑の広さで、

 我が国でも南九州では現代でも田畑の面積を「1 シュ(升)撤き」と、

 太古の農耕文化通りに表現し続けている。


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2013年3月30日土曜日

「至○○国○里」は「○○国まで○里」



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録40:6頁

 《「至○○国○里」は「○○国まで○里」
 「「至○○国○里」は「○○国まで○里」


 この「水行10日、陸行1月」は、

 一見暖昧でいい加減な表現に見えるため、

 『魏書倭人(ウワイト)章』そのものを粗雑な文献だと思わせ、

 「大和説」を発生させた原因の一つになっている。

 だが、これも読む方が「いい加減」だったのであって、

 全文をよく読めば、

 この「水行10日陸行1月」や「水行20日」が、

 他の部分にさらに里数で表示されている。

 これは文献の正しい読み方を教えているから、

 この機会にお話ししておこう。

 旁国の後に狗奴国を書いた後、

 「自郡 至女王国 萬二千余里」と書いてある。

 いうまでもなくこれは帯方郡から女王国までの距離の「総括」なのである。

 ここにもう一つ、大切な証拠がある。

 それは「至女王国」である。

 この書き方は「至奴国~至不弥国~至殺馬国~至邪馬壹国という記事の、

 正しい読み方を説明して教えている。

 「自郡 至女王国」は「郡から女王国に着く」ではなくて、

 「郡から女王国までは」(菖二千余里ある)が正しい読み方である。

 伊都国を起点にした「至奴国~至不弥国~至殺馬国~至邪馬壹国」も総て、

 伊都国から「奴国までは百里」「不弥国までは百里」という、

 伊都を起点にした距離説明である。

 それを「至」は「着く」だと思い込んで、

 次々に連続通過するコースだと主張した大和説者は、

 余りにも漢文に無知過ぎたのである。


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2013年3月29日金曜日

理由充満の水行十日、陸行一月コース



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録40:5頁

 《理由充満の水行十日、陸行一月コース
 「理由充満の水行十日、陸行一月コース


 しかし何故?

 そこで下船して、山越えコースを選んだのか?

 それは隼人町・国分市への最短距離であることと、球磨川沿いであるため、

 飲み水と野草、根菜・果実や川魚・カニ・エビ・川藻・鳥獣など、

 天産の食糧に恵まれていて、

 それらに飢えていた水行者たちには、

 極楽のように感じられたに違いない。

 それにも増して平素歩き慣れている古代人にとっては、

 足を使わない船上生活のほうが、

 地獄のように苦痛だったことも考えなければならない。

 だが八代~隼人コースには、

 さらに他に選択の余地のない必然的な理由があったのである。

 殺馬は壹国をマレー語で呼んだ名称で、

 壹與・壹国・伊支馬などを名乗る人々 は、

 隼人に都していた卑弥呼政権とは不仲で、女王政権に属さず、

 後にはその政権を武力で争奪した人々=敵だったのである。

 今の熊本圏に属した八代は安全だったが、

 それ以遠の薩摩には3度の食事を摂るために寄港することは愚か、

 沖を通過することも襲撃を受ける危険に満ちていたことを考える必要がある。

 八代⇒隼人間の陸行一月は、

 他には代替方怯も選択の余地もない、

 政治的にも経済的にも合理的な、

 唯一の上洛コースだったのである。

 すると今一つ、常に伊都で駐るという郡使の行動も理解できる。

 それは難路を歩く苦痛もさることながら、

 この紛争による深刻な危険を、

 避けるほうが大きかったのである。


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2013年3月28日木曜日

伊都からは「放射状読み」以外にない



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録40:4頁

 《伊都からは「放射状読み」以外にない
 「伊都からは「放射状読み」以外にない


 伊都国に次ぐ奴・不弥・投馬・邪馬壹の記事は

 伊都を起点として放射状に読むしかなく、

 連続して通過するのではないと決定した。

 伊都は今の牛津以外にないから、

 その東は到底、水行できない陸地ばかり、

 それでも東へ行くのだと主張する人は、頭脳を疑われる。

 また水行10日の距離は九州を出ず、

 その後1 カ月歩いて行けるのは

 四国の西半分止まりで到底、奈良へは行けない。

 これひとつだけでも「大和説」は既に壊減してしまっている。

 また邪馬壹国への行程の細部をみても

 「水行10日、陸行1月」は、

 始めの郡からの行程説明

 「到~狗邪韓国~渡一海千余里」のような到着点の国名がなく、

 「水行10日〈または( or ) 〉陸行1 月」と

 いったor に当たる言葉「亦、或」もないから、

 「水行10 日+(プラス)陸行1月」で○○に着く」という文章である。

 船で20日の距離は九州南部の西岸で、

 投馬=殺馬=薩摩= 川内・宮之城(面土国)あたりだと判っているのだから、

 10日はその半分、真南に走る幹線道路の起点「八代」がぴったりの所にある。

 ここには河童が上陸したという伝承があり、碑も建てられている。

 オリエントのカッパドキア人も連想させられて、
 
 そこが古来の重要ポイントだったことを証言している。

 距離、方向、重要コースの起点という地理条件から伝承までを兼備した、

 このコースに勝る考証は、他には全く考えられない。


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2013年3月27日水曜日

大和説を生んだ『連続読み』の欠陥



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録40:3頁

 《大和説を生んだ『連続読み』の欠陥
 「大和説を生んだ『連続読み』の欠陥


 「邪馬臺国は九州か大和か」という

 「所在」 を明記した「決め手記事」が、

 『魏書倭人(ウワイト)章』の中に40以上もあり、

 そのことごとくが南九州を示しており、

 またそれを傍証する記事が『記・紀』にもあることはご納得戴いたと思うが、

 まだ全部を検証し尽くしたわけではなく、

 最も重要なものが残っており、

 『三国史記』にも補強する記事があるので、

 それらを省略したままでは後でお叱りを受ける。

 先ず『 倭人(ウワイト)章』の、その補足からお話しして行こう。

 「連続読み」完全消滅

 原文は「南 至 奴国 百里」と書いてある。

 「南へ行けば奴国に着く。そこまで百里ある」だが、

 これは単に「南に奴国が在る」ではなくて、

 「伊都国から何処も経由せずに直行できる」という意味である。

 途中他の国を経由するのなら前の韓国の様に「○国を歴(へ)て」と書く。

 なのに「大和説」は

 「伊都から奴へ行き不弥へ行き投馬へ行き、更に東に行くと邪馬壹国に着く」

 と読むという。

 それなら「歴奴、歴不弥、歴投馬、到邪馬壹国」

 と書いてなければならないのに、それがない。

 だがこれを抜きにしても「大和説」式の連続読みでは、

 既に解決済みの「投馬=薩摩」から、

 南へ十日も船で行って上陸した後、更にーカ月陸行して、

 やっと都市に着くような大きな陸地は奄美にも沖縄にもない。

 「連続読み」は全滅で、

 それが唯一の拠り所だった「大和説」の復活は、

 もう絶対にない。


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2013年3月26日火曜日

神道を崩壊させる邪馬台国大和説



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録39:30頁

 《神道を崩壊させる邪馬台国大和説
 「神道を崩壊させる邪馬台国大和説


 縦横がほぼ同じで、

 西と南は大海、

 東と北は大きい山が国境だという。

 これに合う土地は日本列島全体を見ても、

 鹿児島県一カ所しかない。

 新舊の両唐書は「小国・日本」は鹿児島県にあったと、

 それぞれ別の証拠を挙げて説明しているのである。

 唐は7世紀に出来た国だが新旧の『唐書』は、

 倭国はまだ四国にあると思っていて、

 奈良の大和朝廷を知らないし、

 『隋書』の記事も四国に都があったとしか読めない。

 奈良の大和朝廷は4世紀に鹿児島から出発した

 「倭の五王」が

 天草、宇佐、四国、淡路、紀伊、和泉、河内と拡大を続けて、

 倭王・武=雄略天皇に至って、

 初めて奈良の高市を確保したが、

 それが真の大和朝廷の誕生であることを

 各天皇の合理的な首都地名の名乗りが精密に証明している。

 この事実を寓話化したものが『淡路島国生み』だとしなければ

 『記・紀』は嘘の塊りに過ぎないことになり、

 それでは淡路島にある伊弉諾神宮などは、

 詐偽のための偽物だという烙印を押されてしまう。

 3世紀に奈良に邪馬台=大和朝廷があったと主張する

 「大和説」は、

 我が国の神道を初め、

 素朴な神社崇敬までも、

 根拠のないウソ記事に満ちた『記・紀』を

 迷信させる賽銭詐取犯罪だということにしてしまい、

 その大本である天皇家まで、

 嘘で固めた醜悪な支配者に見せてしまう。

 そんなに罪深く浅薄な思い付き説、

 それが『邪馬台国大和説』なのである。


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2013年3月25日月曜日

『唐書』の倭国は四国、日本は鹿児島



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録39:29頁

 《『唐書』の倭国は四国、日本は鹿児島
 「『唐書』の倭国は四国、日本は鹿児島


 『奈良の北の国「略載」?』

 また『魏書倭人(ウワイト)章』には「女王国以北は略載できるが」という、

 旁国の前書きがあるから、

 大和説だと奈良の北の国々が略載してなければならないが、

 奈良の北の京都、福井の記事は全くない。

 略載してあるのは対馬から殺馬までの九州の国だけだ。

 「いや女王国『以西』の国々だ」といっても

 大坂、兵庫、鳥取、島根、岡山、広島、山口の

 各府県のものも一つも書かれていない。

 その理由は『新唐書』の日本の章末が説明している。

 そこには

 「邪古(ヤク)、波邪(ハヤ)、多尼(タネ)の三小王有り」と書いてあった。

 これが本州を含む日本列島のことで小王とは屋久島のような島の王だとすると、

 まだまだ隠岐の島や佐渡が島、淡路島、天草、五島列島などの大きい島の他にも、

 瀬戸内海の沢山な島々や伊豆諸島などが書かれていなければならない。

 それなのに屋久島、隼人、種子島の、

 鹿児島県の僅かな地名しか挙げられていない。

 これは初唐時代の小国・日本が、鹿児島県にあった証拠である。

 そこで『舊唐書』を見ると、

 その記録は

 「大国・倭国と、小国・日本国」

 との二本だてになっていて

 「倭国は東西五月行、南北三月行」とある。

 東西が長く、南北が短い。

 これは四国以外は考えられない地形である。

 それに続いて

 「日本は舊小国…その国界、東西も南北も各数千里。

  西界南界みな大海に至り、東界北界は大山を限りとなす」

 とある。



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