ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年3月29日金曜日
理由充満の水行十日、陸行一月コース
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録40:5頁
《理由充満の水行十日、陸行一月コース》
「理由充満の水行十日、陸行一月コース」
しかし何故?
そこで下船して、山越えコースを選んだのか?
それは隼人町・国分市への最短距離であることと、球磨川沿いであるため、
飲み水と野草、根菜・果実や川魚・カニ・エビ・川藻・鳥獣など、
天産の食糧に恵まれていて、
それらに飢えていた水行者たちには、
極楽のように感じられたに違いない。
それにも増して平素歩き慣れている古代人にとっては、
足を使わない船上生活のほうが、
地獄のように苦痛だったことも考えなければならない。
だが八代~隼人コースには、
さらに他に選択の余地のない必然的な理由があったのである。
殺馬は壹国をマレー語で呼んだ名称で、
壹與・壹国・伊支馬などを名乗る人々 は、
隼人に都していた卑弥呼政権とは不仲で、女王政権に属さず、
後にはその政権を武力で争奪した人々=敵だったのである。
今の熊本圏に属した八代は安全だったが、
それ以遠の薩摩には3度の食事を摂るために寄港することは愚か、
沖を通過することも襲撃を受ける危険に満ちていたことを考える必要がある。
八代⇒隼人間の陸行一月は、
他には代替方怯も選択の余地もない、
政治的にも経済的にも合理的な、
唯一の上洛コースだったのである。
すると今一つ、常に伊都で駐るという郡使の行動も理解できる。
それは難路を歩く苦痛もさることながら、
この紛争による深刻な危険を、
避けるほうが大きかったのである。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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