2013年3月29日金曜日

理由充満の水行十日、陸行一月コース



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録40:5頁

 《理由充満の水行十日、陸行一月コース
 「理由充満の水行十日、陸行一月コース


 しかし何故?

 そこで下船して、山越えコースを選んだのか?

 それは隼人町・国分市への最短距離であることと、球磨川沿いであるため、

 飲み水と野草、根菜・果実や川魚・カニ・エビ・川藻・鳥獣など、

 天産の食糧に恵まれていて、

 それらに飢えていた水行者たちには、

 極楽のように感じられたに違いない。

 それにも増して平素歩き慣れている古代人にとっては、

 足を使わない船上生活のほうが、

 地獄のように苦痛だったことも考えなければならない。

 だが八代~隼人コースには、

 さらに他に選択の余地のない必然的な理由があったのである。

 殺馬は壹国をマレー語で呼んだ名称で、

 壹與・壹国・伊支馬などを名乗る人々 は、

 隼人に都していた卑弥呼政権とは不仲で、女王政権に属さず、

 後にはその政権を武力で争奪した人々=敵だったのである。

 今の熊本圏に属した八代は安全だったが、

 それ以遠の薩摩には3度の食事を摂るために寄港することは愚か、

 沖を通過することも襲撃を受ける危険に満ちていたことを考える必要がある。

 八代⇒隼人間の陸行一月は、

 他には代替方怯も選択の余地もない、

 政治的にも経済的にも合理的な、

 唯一の上洛コースだったのである。

 すると今一つ、常に伊都で駐るという郡使の行動も理解できる。

 それは難路を歩く苦痛もさることながら、

 この紛争による深刻な危険を、

 避けるほうが大きかったのである。


 《スメル(シュメール)文明

 「スメル(シュメール)文明
 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

 『My ブログ』
 スメル8千年
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」

 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏         

 《参考》
 世界史年表・地図
 日本史年表・地図
 古代史年表・地図
 オリエント史年表・地図
 メソポタミア史年表・地図
 大シリア史年表・地図
 小アジア史年表・地図
 ペルシア史年表・地図
 イラン史年表・地図
 インド史年表・地図
 西アジア史年表・地図
 "南アジア史年表・地図
 中央アジア史年表・地図
 北アジア史年表・地図
 東南アジア史年表・地図
 東アジア史年表・地図
 中国史年表・地図
 朝鮮史年表・地図
 ヨーロッパ史年表・地図
 ギリシア史年表・地図
 エーゲ海史年表・地図
 エジプト史年表・地図
 北アフリカ史年表・地図
 考古学ニュース
 装飾古墳
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

0 件のコメント: