2010年1月31日日曜日

パーリ語→魏語→マレー語の順に変化した国名

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録03:10頁

この答えは簡単で、邪馬壹国は壹與時代に初めて命名された国名だから、

薩摩のほうが後なのである。

前にサツマがあって、それがイチマに変わったのなら、今はイチマの方が残って

これはも少し精密に、国名の歴史をさかのぼると、もっと詳しく経過が頭にはいる。

まず壹與は本当は「イチヨ」ではなく、

「イエッジョ」という発音だったことから始めねばならない。

その意味は「伊江津女(イエツじょ)」だったから

「伊江津女王」に簡単に変われたが、

このイエッが帯方郡使の張政には、ぴったり「壹」の字で写せた。

だから以後、国名に対する当て字は、「壹」になってしまい、

やがて発音がマレー語に変わっても意味は「壹国」のままで、

内容には変わりはなかったのである。

張政の当て字が薩摩を生んだことを忘れてはならない。

これで明瞭になったのは、

親魏倭王時代の国名には、魏(中国)の発音が使われたという事実だ。

それは当然、魏の勢力が盛んになって卑弥呼政権にまで及んだ時だけのものである。

それ以前はどうなっていたか?。

いうまでもなく「倭(ウワイ)」と呼ばれていた。

それは唐代の発音「ワ」であるはずがないから、

帯方郡使が発音した通り「ウワイ」だったのである。

それもまた「ナーヤ」と同じパーリ語だった。

これで各語の時代差がおわかり戴けたと思う。

『参考』

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2010年1月30日土曜日

その「時」によって異なる名詞の国籍

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録03:9頁

「ナーヤ」の実在はパーリ語が使われていたことの動かぬ証拠になったが、

古代日本にはパーリ語だけでなく、ギリシャ語もマレー語も間違いなく入ってきて、

日本語を構成した。

だがそれらは同時に入ってきたわけではない。

地域差もある。

ここではそれを明確に立証し、後で混乱の起こらないものを挙げて、

そうしたものは、どうすれば発見でき、証拠力を発揮できるのか?、

立証の手法を体得して戴こうと思う。

壹與が位宮とともに卑弥呼政権を倒して、

女王に就任したのは魏の正始八年、247年だった。

このとき初めて「邪馬壹国が生まれた。

それ以前には邪馬台国はもちろん邪馬壹国もない。

当時の官名「伊支馬(いちま)」はピッタリ「壹国(いちま)」に合うから、

この国名がイチマと発音されていたことが確認できる。

魏の支配下に入ったため魏語の数詞「イチ」を使ったとみて間違いない。

それ以前は今の十島を「投馬(トウマ)」と書いていることなど、

当時の国々がヒフミヨの日本語数詞で呼はれていたことは、

本講でリストをご覧にいれたように疑いのない事実である。

ところが壹国と、全く同じ「1の国」の意味をもつ国が、

中国語でなくマレー語で呼ばれている。

マレー語で「1」は「サツ」なので、薩摩(さつま)は間違いなく1の国なのだ。

こうなってくると、

あなたはどちらを使って原稿を書けばいいか?とお考えにならずには済まない。

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2010年1月29日金曜日

歴史は本来、小説のように叙述するもの

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録03:8頁

こうして『オオヒルメ伝承』が史実にもとづいた『記録』であって、

宗教上の説話に過ぎない神話や伝説ではないと、さらに完全な証拠群が揃った。

ここまで進めば、それをもとにした状況描写をすることは、

フィクション小説の仲間入りではない。

その時代に合った風俗・習慣・文化を参考にして、具体的な要素を補えば、

史学に興味のない読者にも興味をもって読んでもらえる優秀論文が書けるのである。

その実例はこれまで、

しばしば取りあげてきた『記・紀』の垂仁天皇をめぐる悲劇

『狭穂(さほ)のはやさめ』である。

『記・紀』自体が史実をノンフィクションとして「作品化」している。

歴史とは本来、しっかりした記録性があれば、

小説のように叙述されて当然のものなのだ。

私たちはその事件が種子島での政権争いであり、

そのとき生まれた皇子が誉津別で、

これは応神天皇の誉田別=八幡のこと、

皇子を連れて隼人へ行ったのが壹與=オオヒルメであり、

卑弥呼が混入した部分を除いた神功皇后でもあることも、

よくご理解戴いていると思う。

だから文体は読者に喜ばれるものがいい。

そこに使われるデータや地名などが正確でウソでなければいい。

だからこそ事前にしっかりした考証が必要なのである。

功を急いで、いい加減なものを使うと、後で取り返しがつかなくなる。

その実例をご覧にいれよう。

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2010年1月28日木曜日

一語がもつ巨大な証拠力、ナーヤの移動分布史

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録03:7頁

これはさらに追及できる。

「ね!?」「な!?」「の!?」の内、「な!?」に一番近い。

これは、大阪弁といわれる近畿一円で使われている言葉である。

種子島人が近畿の天皇家の先祖だという事実は、

すでにこの講座で充分ご納得になっているが、

それがこの1語でも立証されているのである。

真実の史実には至る所に動かない証拠が見つかる。

また沖縄語の「ナヤびらん」はさらに、「ナヤ」まで揃っている。

種子島にはパーリ語の原形どおりの「ナーヤ」が残っているのだから、

沖縄語は通過後に残った名残だとわかる。

隼人町に巴利国を作った人たちは、

間違いなく種子島から隼人町へ移動してきた。

それは『大隅正八幡縁起』が

「オオヒルメが幼児の八幡を連れて渡海して、着いたところが八幡崎で、

八幡が都したところが隼人町だ」

と記録しているのだから、

この「ナーヤ」が立証したパーリ語を話した人たちのコースは、

これで少しの疑いもなくなった。

それはほかの多数の証拠群の証言と完全に一致しているから、

疑いなく種子島からの移動だったのである。

この単語のルーツがわかったことで最も大きい収穫は、

沖縄語の「なやびらん」が日本語と同系だという証明が成立したことである。

それはこれまで日本語とは別の系統の言葉で、

繋(つな)がりはないものとして扱われてきた。

パーリ語の存在の大きさがおわかり戴けたと思う。

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2010年1月27日水曜日

種子島に現存するパーリ語の遺物

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録03:6頁

標準語で「そうだろう!違うかい?」と語尾につけるのは、

関東農村語では「だんべえ!ちがうけヨ?」、関西語では「そやろ!ちゃうか?」、

南九州語で「じゃろが!ちごけ?」、沖縄語「なやびらん!?」、四国東部では「ナーシ!?」、

西南部の「ナシ!?」、愛媛の「ナモシ!?」、

また四国の地域によっては「ドーゾイ!?」というところもある。

これは「本当だろう!」という標準語と同じもので、

「私がお話ししたのは『真実』だと認めてくれますね」という話題の内容についての、

相手に対する「ダメ押し」の言葉である。

日常会話では、余りに多く使うから、

省略が進んで、肝心の「本当・真実」の部分がなくなっている。

それはさらに進むと「ね!?」「な!?」「の!?」「け!?」「べ!?」にまでなるが、

それで充分「本当だろう・真実でしょう!?」という役目を果たしている。

これと同じ言葉を種子島では「ナーヤ」と言う。

これは「ね!?」「な!?」「の!?」と同じナ行だから、

同じ先祖をもつ方言だとすぐわかるが、この種子島語が、この言葉群のルーツを記録している。

それパーリ語の「naya ナーヤ」で、辞書では「真実・正法」などと書いてあるから、

種子島のナーヤも「本当だろう!?・真実でしょう!?」と言うのが本来の言葉で、

すでに古代に種子島で、省略語になっていたことがわかる。

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2010年1月26日火曜日

宗教と史学との混同が生む破滅への犯罪

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録03:5頁

 史学とは祖先たちの遺業を明瞭にするためのものなのに、それを闇(やみ)に葬って、

 ただ崇拝せよと強制するだけのものは、『宗教』であって『史学』ではない。

 「皇国史観」は史学ではないことをこの際しっかりと認識しておいて戴きたい。

 この史学と宗教の区別さえつかない連中が、大学教授という肩書きで国民を教育し、

 世界の人々に日本人極悪観を植えつけてしまった。

 それが今も違和感を醸成し、日本人排斥に悪用する者を生み出しているのである。

 アメリカで同時多発テロが発生したが、宗教が偏狭なナショナリズムを生み育てるとき、

 どんな災禍をもたらすか、今回のテロの根は十字軍の昔にさかのぼり、

 その卑劣な闇討ちは真珠湾改革を真似、犯すべからざる市民を標的にした悪魔行為は、

 トルーマンの原爆に、よる広島長崎市民抹殺と、

 重信房子らの赤軍派テロ、オウム真理教のサリン・テロを真似、

 その特攻自殺改革は特攻隊を真似たことは全世界が知る。

 日本人憎悪はさらに濃くなっている。

 これは絶対に見過ごせない禍根だが、時と共にどんどん悪化し、暗雲をはらむからこそ、

 私たちは本学によって世界の人々に我が国の『真の史実』を教え惨禍を防いでいるのである。

 それには『動かぬ証拠』で説得するしかない。

 では『動かぬ証拠』とは何か?、

 それを身近なサスペンスものを読むように楽しんで戴きながら、お話をすすめて行きたいと思う。

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2010年1月25日月曜日

復原史学の実質は理学であり法学でもある

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録03:4頁
 
 B だから架空の想像が混じるフィクション作品でないだけでなく、

   ノンフィクションの報道や小説の仲間でもない。

   在来のいわゆる文学ではない。『理学』に入いる学問である。

 C 史実だと認めてもらうためには、それが真実であることを立証する必要がある。

   証拠が揃っていて、その一つ一つが本物であることが、広く正当に認められねばならない。

   こうした分野は『法学』にはいる。

 D 法学で有罪・無罪を決定するのは、いわゆる「動かない証拠」である。

   『刑法』上の「動かない証拠」と同じものが、

   私たちの言語復原史学でも要求されているのである。

 E もちろん本学は法学ではなく史学である。しかし全く同じものが要求され、

   それによって成立しているのだから、その『動かない証拠』とはどんなものか、

   先ず何をおいても、それからよく知っておかねば本学学徒の資格はない。

 F ところが在来の史学には、古記録の記事をそのまま紹介するだけで、

   解明しようとはしないもの。

   例えば天照大神の「光学明彩」などを、

   「神聖にして犯さないのが、国史学の神髄である」と称して、

    意味不明のまま放置し、ただ有り難い、素晴らしい、というだけのものまであり、

    皇国史観と軽蔑されながら、まだ僅かに余命を保っている。

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2010年1月24日日曜日

1万トンのゴミより1gのダイア

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録03:3頁

 本学会員の研究発表用『文体』や、『表現法』などの工夫は、

 どうすればいいか前2回で充分ご理解戴いたと思うので、

 次はあなたのご説の正しさと、その信頼性をどう主張し表現すればいいか、

 という根本的な基本問題を、ご一緒に考えていく。

 いうまでもないが、幾ら表現が巧みでも、その実質が空虚だったら、

 それは単なる暇潰(ひまつぶ)しでしかない。

 読者に対して失礼なだけでなく、

 貴重な時間を浪費させて取り返しのつかない損害をかけてしまう。

 自分では良い積りでも善意の読者に被害を及ぼすことは許されない。

 在来のような、ダラダラわけのわからない論文が書ければ資格が得られる、

 といったような、前世紀の遺物のような野蛮な論文は、我が学会貝にはおすすめできない。

 それには本学の研究発表は、本質的には、どんな内容をもち、どう処理し、

 どういう発表を要求されているのかを、はっきり把握して、

 明確に頭を整理しておくことが欠かせない。

 A 私たちの学問は「史実を復元する」ためのものである。それがたとえ、

   歴史のひとかけらであっても、それが真実なら非常に尊い価値をもつている。

   1万トンのゴミより1gのダイアのはうが高価なのと同じである。

   逆にそれがどんなに名文で、眼に見るように書かれていたとしても、真実でなければ、

   史学にとって有害であり、禍いを残すだけである。

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2010年1月23日土曜日

ヤマタイコクもヤマイチコクも存在したことはない(論文24)

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:30頁

 「『三国志』は、後世の中国人が、まとめてつけた個人的な呼び名で、

  陳寿は一冊ずつ別々に『魏書』『呉書』『蜀書』を書いただけなんだ。

  私たちは彼が書いたオリジナルを研究しているのであって、

  後世の作品『三国志』を研究しているんじゃないから、

 『三国志・魏志・倭人伝』などという間違いだらけの名は使ってはいけないんだ」

 「イヤねえ!どうして日本には、いい加減な学者が多いのかナ…?」

 「間違った名前といえば、それだけじゃない。

  ヤマタイコクなどという国も、地球上には、かつて存在したことのない国なんだ」

 「ヤマイチコクが正しいんですものね!?」

 「いや!ヤマイチコクなんて国もどこにもなかったんだよ」

 「えっ?ヤマイチもなかったの?!?」

 「そんな名の国は、世界のどこにも一度も存在したことはないんだ」

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2010年1月22日金曜日

『魏志倭人伝』などという本は存在しなかった(論文23)

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:29頁

 「魏」の国の記録は、張政が書いた報告書1通だけじゃなかつたのね」

 「正確に写したものが、たくさん残っていたんだ。

  それを魏の国が晋(シン)という国変わったあと、

  陳寿(チンジュ)という人が史料集めをして整理編集して、

  『魏書』という本にまとめた中に、

  『倭人』という一章として加えた。

  これまでそれを『魏志倭人伝』と呼んできているが、

  『魏志』という本はないし、

  『倭人』も『東夷(とうい)』という東方地域住民の記事の中の一章にすぎないから、

  『魏志倭人伝』というのは幾重にも間違った、でたらめな名なんだ。

  正確に呼ぶとすれば『魏書・東夷伝・倭人章』だから略しても

  『魏書倭人章』という以外に正しく表現することはできない」

 「でも魏と呉(ゴ)と萄(ショク)の三国の歴史をその陳寿が書いたので

  『三国志』というと聞いたわ…?」

 「私のもっている本も全部『三国志』魏志倭人伝と書いているわヨ…」

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2010年1月21日木曜日

太守たちは文字だけでなく発音でも邪馬壹国だと知っていた(論文22)

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:28頁

 「ずいぶん厳重だったのねえ!」

 「あとで間違いだとわかれば、出世できなくなるだけじゃない。

  責任をとらされて、重大な場合は命まで奪われた時代なんだ。

  今のようにいい加減なことはできなかったんだよ。

  それだから郡の太守だって、報告書を読んだだけではない。

  張政を呼んで直接、報告を聞き、納得できないところは確かめた上で、

  彼の意見書をそえて政府に届けた。

  だから女王が都する重要な国の名などは、

  繰り返し話題の中に出てきて、

  よく知りつくしていたはずだから、

  問題のその一字が壹(イエッ)か臺(ダグ)か、

  その発音でもよく知っていた。

  それを政府に送るために清書して、

  写した役人が写し間違えたとしても張政がそれを検査し、

  太守が読みかえして間違いを直させる。

  どんなにしても間違った文字のままの文書が、

  政府の記録として残るりことはありえないんだよ」

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2010年1月20日水曜日

写し間違いなど絶対起こらない魏の官僚制度(論文21)

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:27頁

 「その文字の構造をみても、

  壹の字の上部(冠(かん)という)は

  [士(さむらい)]だが臺の冠は[吉(きち)]で、

  3画もの文字[口]が多い。

  下部(脚という)も、[豆]と[至]で全然ちがう。

  こんなに違った文字を、

  漢字については学者といっていい専門家の役人が、

  見間違えたり、写し間違えたりすることはない。

  が、それだけではない。

  邪馬壹国という名は一度きりしか出てこないが、

  この壹の字は、卑弥呼の死後、

  女王になった壹與の名として幾度も連続して出てくる。

  次々に出てくる壹與の名を、

  その役人が全部、写し間違えることなど考えられるだろうか?。

  もし仮に、一人の役人がうっかり間違えたとするとどうなるか…?。

  魏の制度では帯方郡などの郡の報告書は、

  太守が眼を通したものを本国の秘書監に送り、

  それが左民尚書(さみんしょうしょ)・尚書僕射(ぼくや)・尚書令・

  御史中丞(ぎょしちゅうじょう)・太傅(たいふ)と次々に経由、

  記録して皇帝にとどけられる仕組みになっていたんだ」

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2010年1月19日火曜日

証拠は簡単に、ただし徹底して提示して締めくくる

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:26頁

 その2つの証拠が確定的に立証して下(くだ)す判決は、

 当時の文字の一字一字が、

 官制によって厳重に監視されていて誤りを許されず、

 決して誤りが起こりえなかった事実と、

 それ以前に、現代の忙しく粗雑な、

 そして見誤(みざやま)りを起こさせる小さな活字選択とは全然異(こと)なった、

 木竹簡という紙でない素材に書き、あるいは彫った、文字の大きさと、筆法と、

 時間を掛けた書き方と、教養のある書き手といった、

 重なりあった要素の実在が確認できるから、

 絶対に「臺と壹」を間違うことはないと万人が確信するである。

 これまで我が国に、むだな論争と出版で厖大(ぼうだい)な物質的損害と、

 何とも恥ずかしい精神的損害とを与え続けた「邪馬台国大和説」の、

 たった1つの拠(よ)りどころだった「臺は壹の間違い説」を、

 ついに終結させるこの動かぬ判決は、

 もう永遠に変わることはないが、事が重大であるだけに、

 さらに入念に証拠を揃えておくことは無駄ではない。

 その意味で小火(ぼや)の火種(ひだね)も残さないように、

 漢字の構造と、

 その問題の原字の「壹」が同時に沢山書かれているから、

 国名を間違った上に女王の名まで間違うことはないこと、

 仮に間違えても肯定にまで読まれた文書は、

 多くの官職を経由する魏の制度で必ず訂正されることを、

 当時の官制を列記して理解させた上で、

 文字は発音という強力な要素があって誤りを許さないのだと締めくくる。

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2010年1月18日月曜日

「書いてない」ことを強力な証拠にする工夫

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:25頁

  19頁は、その奈良はおろか近畿も銅鐸圏も、

 みな邪馬臺国でも邪馬壹国でもないと、

 『魏書倭人章』そのものが、はっきり証言していることを話す部分である。

 ここでも説得はせずに、

 ただ「張政が書いた報告書=『魏書倭人章』に銅鐸のことは一字も書いてない」

 ということだけを告げる。

 だが続けて、

 それがどんなに強力な証拠かを力(ちから)を込めて教える。

 張政の記事が、倭人の生活の細部まで詳しく観察して記録している事実を指摘し、

 倭国に銅鐸があったのなら、長期間滞在していた張政は、

 必ず銅鐸を鳴らす音を聞いたはずだし、

 それは彼の鋭い注意力と責任感によって、必ずその正体が突き止められ、

 倭人の特徴を示す珍しい習慣または風俗と楽器として

 特筆大書したはずだと読者に注意をうながし、

 その記事がないのは、彼が記録した倭国は、

 銅鐸圏ではなかったことの動かぬ証拠だと、

 記事が全く「書いてないこと」が最も強力な証拠だという

 『証拠』を提出するるである。

 これで読者はしっかりと「倭国は銅鐸圏内にはあり得ない」と認識する。

 それを高校生に代弁させることで、

 この問題が決着して

 『大和説』が完敗したこと印象づける結論の言葉を引き出し、

 さらに次の大きな問題である

 「臺(ダイ)か壹(イチ)か」の問題を、

 過去に論じられたことのない

 2つの視点による証拠=魏の官僚制度と木簡・竹簡を提出して

 明確な結論をだす。

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2010年1月17日日曜日

木簡や竹簡の大きい漢字を、中国の高級官僚が間違えるか?(論文20)

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:24頁


 「そうなんだ。

  『卑弥呼のいた都は大和(ヤマト)だから邪馬臺(ダイ)が正しいのだ。

  中国人は「臺(ダイ)をか「壹(イチ)」と見間違えたのだ』と

  いう大和説の主張にはまだオカシイところがある。

  それもついでにお話ししようか?」

 「お願い!明日は土曜だからお休み、時間は幾らでもあるわ!」

 「それじゃ、魏の役人が臺(ダイ)の字を壹(イチ)の字と間違えるか考えてみよう…。

  中国で文字が使われはじめたのは殷(イン)の時代だから、

  卑弥呼時代までには1500年たっている。

  魏の前の漢の時代には文字の国と呼ばれる完成した文化になっていた。

  ことに重要な外交記録を扱う高級官僚は、

  その漢字を使いこなして立派な文章が作れるかという試験を幾度受けて、

  次第に進む制度で選び抜かれて昇進してきた秀才たちだった。

  また当時の文書は木簡や竹簡で、大きい字を書く。

  今の活字のように小さくも、細かくもないから、

  読み間違えることなんか絶対にない」

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2010年1月16日土曜日

記録にないことが証拠」女王国の位置は張政の記録が決定(論文19)

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:23頁

 「これで、たとえ邪馬臺(ダイ)が正しくて、

  それがヤマトと読めたとしても

  それは奈良県の大和ではなかったことがわかった。

  ではその邪馬臺国は奈良県以外の、銅鐸の多い国だったのだろうか?」

 「大阪や讃岐(さぬき)や阿波(あわ)、出雲(いずも)が多いわね」

 「ここでそれを決定する重要な証拠は、張政が書いたあの報告書なんだ。

  だが、そこにはどこにも、銅鐸のことなんか一字も書いてないんだ」

 「彼は見落としたのかしら?」

 「それはないね…。

  彼は葬式(そうしき)の様子などまで実に詳(くわ)しく描写している。

  銅鐸があったなら、必ず音を聴き、それを見て、

  中国にない珍しい器具として詳しく書くはずだが、全然、書いていない。

  これは彼が観察した倭人たちは銅鐸とは

  無関係な人たちだったことの動かぬ証拠なんだ」

 「卑弥呼の倭国は銅鐸の出土しない地観にあったのね…」

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2010年1月15日金曜日

『論文』の本当の機能と『裸の王様』の衣装

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:22頁

 すると、たとえ女王国の首都名が「邪馬臺国」であったとしても、

 弥生時代にはその首都は奈良県以外にあり、

 『邪馬臺国はヤマトだから大和で、

 卑弥呼のいた場所は奈良県だ』という説が絶対に成立しないことが、

 改めて強調する必要もないほどに強く読者に意識され、

 『邪馬臺国は奈良県ではない』と、はっきり確信させるのである。

 このことは、論文は読者を「説得」するものではないことを教えている。

 論文の主目的は「証拠の提出」なのである。

 誰もが納得する証拠さえあれば、説得する必要はない。

 ところが過去の論文は、説得に力を入れていた。

 それも自力でなく、他人の説を紹介して、

 「誰々はこう言っている」と、

 「権威」に頼ったり、

 まるで多数決で決まるというように、

 沢山の説を羅列したりしたものが絶対多数を占(し)めている。

 正しく動かない証拠なら、

 数行で済む立証を、

 長々と数十ページも費やしたものが、

 良い立派な論文だと錯覚している人物が、

 どれくらいの知性の持ち主か簡単に判断できると思う。

 そんなものは誰も喜んでは読まないから、

 世の中の役にも立たない。

 せいぜいが明治型権威主義の大学教授の部屋の装飾品にしかならない。

 それさえも私たちには、

 その教授の空っぽの正体を証明している

 『裸の王様』の衣装と同じものにしか見えないのである。

 『参考』

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2010年1月14日木曜日

短い会話で銅鐸の歴史まで明かに

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:21頁

 続いて17ページでは、それをさらに補足して、

 銅鐸の出土地の大半が海に近い場所で、

 使用者が海人族だったことを指摘する。

 これで海も湖もない奈良が、

 銅鐸圏の中心地になるわけがないことを論理的に納得させる。

 それなら何故?そんな奈良で銅鐸が出土するのか?、

 この当然でる疑問に、

 そのあとから次の一八ページまでを使って答える。

 それには質問者が銅鐸について高校で習う程度の知識をもっていると、

 会話の進展に都合がいいし、

 疑問が具体的で、続者にそれ以上の疑惑感をもたせない。

 高校生を質問者に設定したのは、

 こうした利点を想定した上のことである。

 それを充分に活用して、

 銅鐸絵画が農耕技術の教科書(大学講義録21参照)だったこと、

 を挙げて海人族説への不安を表面化し、

 それへの回答で銅鐸圏の海人族が、

 ここではまだ表面にでないが、

 ウッタラ仏教宣布団による水稲稲作を中心にした農耕教育を受けて、

 次第に海から離れた地域に進出していった歴史まで理解させて、

 その疑念を一掃するのである。

 これで銅鐸とは何だったかがわかり、

 その発展の歴史がわかり、奈良との関わりと、

 奈良の実体がわかるから、結論としそ、

 当時の奈良が卑弥呼当時には単なる

 「粗末な開拓地」にすぎなかったことを、

 はっきり印象づけることができる。

 『参考』

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2010年1月13日水曜日

弥生時代の奈良は単なる稲作開拓地(論文18)

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:20頁

 「銅鐸人は初めは海で働く人々だったのね!」

 「それが次第に淡水のビワ湖に進出し、

  次には農業を取り入れて水稲を作りはじめたという記録が銅鐸絵画なんだ。

  だから、海から離れている地域にも銅鐸が残っているのさ」

 「それでナゼ、山地の大和にも少しだが銅鐸があるのか、やっと理由がわかったわ!」

 「弥生時代の大和は稲作のための単なる開拓地だったのね」

 「これで、たとえ女王国の首都の名が邪馬臺(ダイ)国だったとしても、

  首都は大和以外のところにあったこと。

  弥生時代の奈良県には邪馬臺国も邪馬壹国もどちらもなかったことが、

  よくわかったはずだ」

 「ではどこが首都だったのかしら?」

 「それは、もっと動かぬ証拠を集めて、整理しないと確定できない」

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2010年1月12日火曜日

「大和は女王国の首都ではない」と否定する銅鐸(論文17)

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:19頁


 大和がなぜ?

 女王国の首都ではなかったか?その理由もわかっている。

 地図をよくみてごらん。

 銅鐸が出る地域は海岸に沿った地域が主流だ。

 これは銅鐸を使う人たちが

 海の生活者=漁業や海運に従事する人たちだったことを物語っている。

 これまで海人族という名で呼ばれてきた人たちの信仰だったんだ。

 そうだとすると、海も湖もない山地の大和がその中心になるわけがない。

 大和が倭の女王国の中に入っていたとしても、

 女王が都した所だった可能性はぜんぜんない。

 奈良は絶対に邪馬臺国でも邪馬壹国でもないと、はっきり立証しているのさ」

 「でも銅鐸には米をつく絵や稲の益虫などの絵がかいてあって、

  稲作をする農民の器具だといわれてきたのでしょう?」

 「そうだが、

  それは後期のもので、

  初期のものは渦状の模様で

  水の神への祈り=安全と富を祈る信仰を表わしている」

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2010年1月11日月曜日

ちょっとした数字と、白紙地図の働き

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:18頁

 するとそれで、

 『魏書倭人章』解読の最重要点の1つであるコース記事が、

 朝鮮半島から真っ直ぐ南の「九州」へ向かっており、

 さらに九州上陸後も南下していて、

 帯方郡使が半島から伊国まで行く間(かん)に、

 一度も半島と九州の東にある近畿へ向かった記事がない事実も、

 対馬から不弥国までの6カ国を挙げることによって、

 明確に印象づけることができる。

 また国数を比較して、その不一致を強く認識してもらうには、

 国をいちいち数えていては、

 そちらに気をとられてしまうから、

 それを防ぐために前もって国名にナンバーをつけておく、

 これで読者は一見しただけで全体の国数を知り、

 その中から必要な数字を見つけだして比べ、

 必要な数を記憶することまで苦労せずに短時間にでき、

 その結果、その名の発音が一致する国が余りにも少なく、

 反対に銅鐸圏の国数が多過ぎることを知って、

 無駄な苦痛を味わうことなく得られた結果の大きさに満足して、

 さらに読み進む意欲と興味を掻きたてられる。

 そこで次のページで

 『魏書倭人章』には銅鐸の記事がないことを話す。

 これは地図に書くと全くの白紙状態だということである。

 白紙の地図を思い浮かべることは少しも難しくない。

 頭のそれと銅鐸圏地図を並べて見れば、

 近畿中心の地域が、いわゆる邪馬台国ではなく、

 卑弥呼がいた地域ではなかったことが、

 疑う余地のないものとして意識されるのである。

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2010年1月10日日曜日

表現は「目的のものだけ」に絞る

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:17頁

 その銅鐸圏の地図が何を立証するか、を読者と共に考えるのが、

 この部分の目的である。

 地図には銅鐸の出土量に比例した数の銅鐸型の標識と、

 古代の国名が書いてある。

 この2つのファクターがここの主題になるから、

 現代の県名や他の出土品などの、

 画面を複雑にして印象を破壊する因子は皆とり除いてしまう。

 これだと読者の記憶力に余り負担をかけない。

 この2つのうち国名は『魏書倭人章』に記録があるから、

 直接、比較することができるが、

 その国名は読者を悩ませて嫌わせる「難解な発音」でできている。

 在来ならそこで倭の国名の読み方から説明にかかるのだが、

 それではますます目的から遠ざかるから、

 読み方の説明は省略してしまう。

 その代り比較する国名にルビ(カナ)をふっておく。

 これだと読者には負担がかからないし、

 読者自身が簡単に比較できるから、

 自発的に比較して再確認し、

 文字は違っていても発音が共通していることを明確にし、

 共通の国名が少ししかないことを、しっかり納得してもらえる。

 この場合も、過去の論文なら、発音の一致しない国名も、

 全部ならべて「完全」にしようとしたが、それは読者の頭を、

 いたずらに混乱させ、過労させて、

 それ以後を読み続ける意欲を殺(そ)いでしまうから、

 肝心の目的を達成できない。

 形式悪のために自滅することになる。

 だから、それより半島から倭へのコース上の国々に話題を変える。

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2010年1月9日土曜日

明かに銅鐸連邦の都ではなかった奈良県(大和)(論文16)

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:16頁

 「でも…中央に大和(やまと)があるわ。

  そこが邪馬台国で、まわりむ少なくとも6カ国の旁国があるじゃないの?…
  
  他の国名は後世に変わったのじゃないかしら?」

 「だとすると大和が銅鐸宗教の中心地で銅鐸連邦の都だったことになる。

  それなら銅鐸の遺物も他の国々に比べて、

  飛びぬけて大量に残っていなければならない。

  しかし地図で見るとおり、

  そこには大阪や讃岐(さぬき)などに比べると僅かな銅鐸しか

  みつかっていない。

  他の地域なら調査不十分ということもあるが、

  奈良県には我が国最大の考古学専門機関である奈良国立文化財研究所と、

  奈良県立橿原考古学研究所とがあって、

  世界でも類をみない徹底した調査が長年にわたって続けられてきた。

  調査不足による大量の銅鐸未発見などという可能性は、

  まずないといっていい」

 「なるほど!…大和はどうみても銅鐸連邦の都じゃないわネ……」

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2010年1月8日金曜日

旁国15国も不足。なのに国の総数が多過ぎる銅鐸連邦(論文15)

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:15頁

 「その国名と比べてみると

  4 美濃(ミノ)と弥奴(ミノ)国

 10 志摩(シマ)と斯馬(シマ)国

 11 伊賀(イガ)と為吾(イングァ)国

 15 紀伊(キイ)と鬼奴(クィノ)

 21 播磨(ハリマ)と巴利国(ハリマ)

 32 土佐(ツチサ)と対蘇(ツイソ)国
 
 が合うが、6か国では5分の1しかない。

 またこの倭人の6カ国は皆、『旁国』と呼ばれる国々だが、

 銅鐸国が旁国なら全部で21カ国なければならない。

 銅鐸国は15国も旁国が足りないから、

 とても女王国だとはいえない。

 また倭人30カ国のうちの対馬(つしま)と壱岐(いき)(一大国)は

 朝鮮半島と九州のあいだの海上に

 浮かぶ島国で、続く末盧(マツロ)国も

 九州北岸の松浦地方だとわかっているから、

 そこから500里(約30km)離れているだけの伊都(イト)国も、

 そこから100里(約5.5km)離れた隣国・奴国(ノマ)。

 そのまた隣が100里離れた不弥(プーミ)、

 この3カ国も九州の中にあったことは間違いない。

 とするとこの6カ国を引いた国は24国しかないから、

 32国もある近畿中心の銅鐸の国々とは、また国の数でも合わない」

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2010年1月7日木曜日

続者を安心させる「ノン活字」部分

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:14頁

 大学院講義録01の最後には出版が、

 古い「文字印刷物」だけだった時代が過ぎて、

 次第に発達してきた新しいメディアによって、ますます解りやすく、

 完全なものになって行く例として、

 視覚に訴える図や地図の効果を再確認して、

 古い印刷物タイプの論文にも、

 それらをもっと活用しようというお話をした。

 いまの読者がもつ「マイナス印象」が「漢字」なら、

 この図や地路、写真やマンガなどは「プラス印象」を与える。

 それは「百聞は一見に如かず」ということわざ通り、

 面倒な長ったらしい文章を苦労して読まなくても、

 一見して理解できることを、

 読者たちはよくご存じだからだ。

 これで現在の論文出版事情と、

 その対策、執筆の基本問題ははぼ検討できたので、

 次は大学院講義録01の実例の続きに戻ろう。

 大学院講義録01の地図は銅鐸の分布が一目でわかるようにしたものだったから、

 その次の15ページはそれを主題にした会話になっている。

 その地図は銅鐸が近畿を中心にした地域政権のものだったことを示している。

 この明瞭な事実は、弥生時代の日本列島の政治情勢を紀録しているから、

 それを『魏書倭人章』と比較することで、

 銅鐸政潅が卑弥呼故挽か、

 他の政権かという問題点を鋭く衝いて、

 明確な判決をくだす判断材料として役立てる帝分である。

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2010年1月6日水曜日

読者を遠ざける「漢字の量と質」

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:13頁

 だから、内容のほうは、そこにどんなに巨大な謎が書かれているか、

 大いに工夫して宣伝する必要がある。

 本の冒頭にそれを書いて、読者を魅きつけなければいけない。

 ただ漠然と要件だけを並べはじめる在来の論文形式では、

 自己満足以外のものはえられない。

 これで今、私たちが問題にしている、読者の嫌う「難しさ」とは、

 文章表現のほうにあることがわかったから、

 こんどはそちらを検討してみよう。

 いまの人たちの、本に対する第一印象は

 「漢字の量と質」で左右される。

 もちろん年齢によって差があるが、

 紙面が黒く見えただけでアレルギーを起こす人が絶対多数を占めている。

 文字の質も問題である。

 平素みなれない文字があれば、拒否反応が起こってしまう。

 これはヒロインからして「卑弥呼」で、コースにある目標も「狗邪韓国」。

 他の登場者も「梯儁」などと書かなければならないのだから、

 どうしょうもないが、

 そうしたものはなるべく後のページで取り上げることにして

 読者の拒否反応を防ぐ。

 これは大学院講義録01でお話しした

 「立ち読み活用の販売政策」問題も補足することになる。

 次に重要なのが「言葉づかい・言いまわし」だが。

 これは読者層によって大きく異なる。

 これも大学院講義録01で、具体的な実例でお話ししたので、

 よくご理解いただいたと思う。

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2010年1月5日火曜日

読者はすべて「難しいほう」を求めている

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:12頁

 では私たちの歴史の本は「娯楽商品」にはならないのか?。

 そんなことはない。

 人いきれに悩んだ頭が一番求めている静寂は、

 自分の室で静かに読書する孤独に勝るものはない。

 球場やライブ会場の人ごみはもちろん、往復の乗り物の混雑や、

 自動車でも信号待ちや停滞にイライラがつのるが、

 我が家で読む本にはそんな不快感はない。

 それにもまして、歴史には現実を忘れさせるロマンがある。

 夢中にさせる謎と謎解きが、さらに人を熱中させる。

 重要なのはここである。

 いま私たちが考えている主題は、

 「読者が何を難しいと感じるのか」ということだった。

 ところが謎というのは文字を変えれば「難解」なもののことである。

 たとえ漢字が難しくて、言葉づかいも古臭くて、

 辞書を引いてやっと読めるような文章でも、

 そこに謎のままのものがなければ、

 意味がわかって理解できる。

 ところが「謎」とは、解明されずに、

 不明のまま残っているもののことである。

 読者は、その「謎」にこそ興味があるのである。

 その謎も簡単に解けるようなものでは物足らない。

 難解なものほど興味がある。

 巨大な謎が先ずあって、その一角が崩れたと思うと、

 また次々に新たな謎が出現するようなものを求めている。

 難かしいことが嫌われているのではなく、

 「難しいほう」を喜ぶのである。

 おわかりのように「難しさ」にも種類があるのだ。

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2010年1月4日月曜日

内容に関わらず「本」は娯楽商品

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:11頁

私たちの出す本は、「史学」といっただけで、

 読者には「面倒な難しい本」という印象で迎えられる。

 それが学術書の中にあると、その売り場にも来てもらえない。

 それは当然で、

 過去の学者たちが永年かけて作り上げた

 「象牙の塔」に対する人々の嫌悪度が、

 どの程度か、測定器なしで眼で見て測定できる売り場だからである。

 しかし販売法を考える前に、まず実行が必要なのは、

 「難しいものをどう易しく書くか」である。

 それには読者が、何を難しいと感じるのか、

 それから考えてみる必要がある。

 読者は何のために本を買うか?。

 それは全て「娯楽」のためである。

 では娯楽とは何か?。

 全身の飢餓を癒すのが食物なら、

 脳の飢餓を癒すものが娯楽なのである。

 脳は無意識に働く本能から、

 高度に思索する熟考まで、休むことなく働き続けている。

 そして疲労する。

 物質的な欠乏は食物が補給するが、精神的な疲労は別のものがおぎなう。

 それが娯楽なのである。

 本は休日には広々とした野外で自然を満喫して心の疲れを癒す。

 上司や客の顔色をみて神経を磨り減らした若者は、
 
 何の気兼ねもいらない球場やライブに出かける。

 この野外やライブの代わりに読まれるのが本なのである。

 だから内容に関わらず、

 本は「娯楽商品」なのだ。

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 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html

 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html

 「古代オリエントの地名一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F

 「古代オリエントの用語一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7

 「メソポタミア神話」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「バビロニア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「ギリシア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「オリエント学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6

 「アッシリア学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6

 「中国学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6

 「ギルガメシュ叙事詩」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm

 「フェニキア」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA

 「古代エジプト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88

 「ヒッタイト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88

 「アナトリア半島」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6

 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―
  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html 

2010年1月3日日曜日

欠陥著書が生まれる理由

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:10頁

 それと同じ蹟きが、今、2001年を迎えて一挙に噴き出した。

 その一つが出版業界をめぐる、この構造改革なのだ。

 不思譲な人類進化のプロセスと考え合わせると、

 いま正しい経営改革を実現できたものだけが、

 さらに進化を遂げて勝ち残れるのである。

 これまで様々なケースで著書を出版してきた私の体験からいうと、

 著者と出版社が別々に独立している在来の出版方式では、

 利潤追及が至上命令である出版社では販売政策が先行し、

 内容が犠牲になるのは避けられなかった。

 順序が変更され、見出しが変えられ、

 難しい部分がカットされたりして、

 著者の意図した通りには読者に伝わらなくなってしまい、

 わずかな内容変更が致命的な誤りとされる学術書の著者にとって、

 出版社との争いは、避けられない苦行だったのである。

 こうした体験がなく、これから著書を出版しようというあなたには、

 こうした私の体験も、重要で欠かせない真重な知識のはずである。

 しかし出版社の主張も間違いではない。

 購読者の興味を呼び、読みやすくし、

 一冊でも多く売れることが必要なのは、

 著者も同じだからである。

 この講座は、そのためにある。

 出版社の編集者が、

 手を加えないで済む原稿が書けていれば何も争わないで済む。

 それにはどこをどう書けばいいか、それをどう出版すればいいか、

 ご一緒に考えて行くことに戻ろう。

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 http://www.kotoba.ne.jp/
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 http://www.kotoba.ne.jp/sysinfo.cgi?k=maps&fsz=2

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html

 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html

 「古代オリエントの地名一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F

 「古代オリエントの用語一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7

 「メソポタミア神話」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「バビロニア神話」
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 「ギリシア神話」
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 「オリエント学」
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 「アッシリア学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6

 「中国学」
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 「ギルガメシュ叙事詩」
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  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm

 「フェニキア」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA

 「古代エジプト」
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 「ヒッタイト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88

 「アナトリア半島」
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 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―
  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html 

2010年1月2日土曜日

環境変化への適応が成功のカギ


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:9頁

 人類の進化とは実に不思議なものである。

 それは進化しようと努力して進むものではない。

 時の進行とともに、それまで最善だと錯覚していたことが、

 どうも具合が悪くなってきて、

 どうしても改善するしかなくなる。

 ところがそれに反発する保守派がいて、

 改善に反対して抵抗する。

 その抵抗が武器を使うまでにエスカレートするとテロになり戦争になる。

 反対に穏やかに知恵で改善する者は、

 苦労はするが生き残って、さらなる発展を迎える。

 まず「つまずき(躓き)」があってから、

 工夫が始まるのが人類の進化なのである。

 それがなぜ不思議か?。

 動植物は、恐竜に例をとると、何かの原因で自然環境が激変して、

 それまでの日常生活が躓くと、

 そこで食物の奪い合いが始まって弱肉強食=人間でいえば戦争が起こり、

 やがて勝ち残ったはずの勝者もまた死滅してしまった。

 これが6500万年前に現実に起こった恐竜絶滅である。

 人類の祖先は、その過酷な時代を小さな身体で生き残り、

 さらに高い知能を備えた現在の人類に成長した。

 恐竜と同じ巨大災害に遭いながら生き残ったのも不思議なら、

 恐竜を超える頭脳を造り上げたのも不思議。

 さらに昔の人たちは進化しようと努力したのでなく、

 ぶつかった難局に合わせて、粗末な対策を講じただけなのに、

 ここまで進化することができた。

 人類の進化は、こうした不恩義に満ちているのである。

 翻訳と辞書 [無料]
 http://www.kotoba.ne.jp/
 リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
 http://www.kotoba.ne.jp/sysinfo.cgi?k=maps&fsz=2

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html

 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html

 「古代オリエントの地名一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F

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 「メソポタミア神話」
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 「バビロニア神話」
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 「ギリシア神話」
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 「オリエント学」
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 「アッシリア学」
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 「ギルガメシュ叙事詩」
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 「フェニキア」
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 「古代エジプト」
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2010年1月1日金曜日

激変した出版環境と成功する法


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:8頁

 「誰にでもよくわかる」といっても、国史は幼児には理解できない。

 言葉の通じない外国人にもムリである。

 だから自然に、わかってもらう対象が決まってくる。

 小学生の高学年から上の人たちである。

 さらに私たちの

 『言語復原史学』はギリシャやインドといった

 外国語が重要な役割を果たす。

 これはその言語は知らなくても、

 ローマ字を読んで発音できる人でないと、

 それと日本語の共通度がわからず、

 それと歴史との関(かか)わりが理解できない。

 こうして読んでもらう対象がどんな人たちか、次第に細かく見えてくる。

 しかし今の日本語は、急激に分裂が進んでいる。

 それは用語の年齢差である。

 使う漢字も減ってきている。

 それに代わってカナ書き欧米語がふえていろ。

 さらにどんどん造語がふえている。

 こうした「新語」は小学生のほうが、大人や老人より、

 はるかによく知っている。

 だから読者層はさらに細分化されている。

 もう在来のような一冊出版すれば用が足りた時代ではなくなっているのである。

 これは、安い本を大量生産して売るという在来方式の死も意味している。

 読者層に合わせた本を少量ずつ、多種類作って売る時代に移ってきたのである。

 これは筆者と出版社が対立していた過去のルールでは必ず破綻が来る。

 一体化していなくては絶対に成功は望めない。

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 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html

 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
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 「古代エジプト」
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 「ヒッタイト」
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 「アナトリア半島」
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 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―
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