2009年11月30日月曜日

最初の2ページの構成と力点


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録01:8頁

 さらにその第1ページの最後に『後漢書』という名がでてくる。

 これも現在の日本人の大半が漠然と知っているが、内容を知らない本だ。

 それがこの本を読めばわかり「新しい教義として私は成長する」と直感する。

 このあたりでもう読者は本を手にカウンターへ急ぐ。

 しかしそれは効果を狙ったカケでもある。

 固くなり過ぎているかもしれない。

 そこで読者がチラッと見るであろう

 次ページの始めに「お早う!」といった

 ごく平易な日常会話をおき、校門といった、

 理解するのに疲労しない言葉を配置すると、

 それまでの緊張感が一瞬にときほぐされる。

 『後漢書』が、人によって逆効果になったとしても、

 いったん眉をしかめた人も再び安心して

 カウンターに急ぐという配慮なのである。

 次に今後の筋手きの展開を考えなければならない。

 それは父娘(おやこ)だけの会話では娘の知識に限界があり、

 性格も固定して質問の幅が狭くなる。

 そこで質問者をふやして様々な角度から疑問を投げかけて、

 それに父が答えることにすると、

 読者の知識水準に近い質間者がいるという安心感と、

 その反対に予想外の質問がでて、

 期待以上の答えを引き出すことができるという満足が予感できる。

 それを知らせるためにサークルを改定し、

 内容の「予告篇」として、その会話を活用すると、

 この最初の見開きの2ページが非常に役に立つのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html

 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html

 「古代オリエントの地名一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F

 「古代オリエントの用語一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7

 「メソポタミア神話」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「バビロニア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「ギリシア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「オリエント学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6

 「アッシリア学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6

 「中国学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6

 「ギルガメシュ叙事詩」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm

 「フェニキア」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA

 「古代エジプト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88

 「ヒッタイト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88

 「アナトリア半島」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6

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  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html 

2009年11月29日日曜日

ヤマイチコクなんて本当!?(論文2)


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録01:6頁

 「お早う!ビワコ」。

 声をかけられて気がつくともう校門の前だった。

 「なにを考えてんの?」

 「邪馬台国はウソだって父がいうもんだから」

 「ヤマタイコク?…へえ、じやヒミコもウソ?…」

 「いいえ…ほんとうの名はヤマイチコクだったっていうの…」

 「ヤマイチコク?ヘンな名」

 朝の会話はそれだけだったが、昼休みになるとサークルが発生した。

 次から次へとうわさが広まって、けっこういい話題になっていたのだ。

 「後の本が写し間違えるってこと、ほんとうにあるかな?」

 「邪馬臺(タイ)はヤマトへの当て字だというわよ。壹(イチのほうが間違いじゃない?」

 「中国人の歴史家が文字を間違えるかしら?」

 「前のほうが間違ってて後で訂正したとか…」

 「でも、最初の本は同じ時代のひとが書いたので、

  もし違っていたら、すぐ直したはずだわ」

 「私は、それを写した古い本が全部、ヤマイチコクだというのが気になるわ」

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』
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 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
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 「古代オリエントの地名一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F

 「古代オリエントの用語一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7

 「メソポタミア神話」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「バビロニア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「ギリシア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「オリエント学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6

 「アッシリア学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6

 「中国学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6

 「ギルガメシュ叙事詩」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm

 「フェニキア」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA

 「古代エジプト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88

 「ヒッタイト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88

 「アナトリア半島」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6

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2009年11月28日土曜日

まぼろしの邪馬台国?!?(論文1)


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録01:5頁

 美和子は静かな歩道を歩きながら考えた。

 父は

 「邪馬台国なんて国はどこにも、なかった国だ」といった。

  学校でも教え、日本人なら知らない人のない女王ヒミコのいた国が、

  実在しなかったなんてことが、あるのだろうか?…」
 
 父はこういったのだった。

 「その国のことは3世紀の中国の記録の中に書いてあるのが最初で、

  それには写本が幾種類もあるが、

  どれもみな「邪馬壹国(イチコク)」と書いてある。

  ところが5世紀に書かれた『後(ご)漢書』には

  「邪馬臺国(ダイコク)」と書いてある。

  そして6世紀以後の中国史の本は、

  それを写しているから全部「邪馬臺(ダイ)国」になっている。

  そこでどちらが正しいかという論争がいまも続いているが、

  しらべれば調べるほど、

  いちばん最初の邪馬壹国のほうが正しいね。

  これは『後漢書』が間違えたものを後世の人がそのまま写したために、

  ありもしない国名が残つたんだ」

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』
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 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
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 「古代オリエントの地名一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F

 「古代オリエントの用語一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7

 「メソポタミア神話」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「バビロニア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「ギリシア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「オリエント学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6

 「アッシリア学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6

 「中国学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6

 「ギルガメシュ叙事詩」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm

 「フェニキア」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA

 「古代エジプト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88

 「ヒッタイト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88

 「アナトリア半島」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6

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2009年11月27日金曜日

その『企画』の内容 まず『視点』


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録01:4頁

 それにはまず、どんな読者に読んでもらうか、決める必要がある。

 歴史ロマン好きの人。

 謎解きサスペンス派。

 乱読型の若い人。

 何でもいいから教養を身につけたい人。

 小学生から老人まで、それも男女の、実にさまざまな読者がいる。

 その対象を絞りこんだら、

 その人たちに親しみのある『視点』を考えなければならない。

 高校生ぐらいから上の人たちに読んでもらおうと思えば、

 高校生らしい視点で問題を捕えて、

 雑談をまじえて固くなるのを防ぎながら、

 話しを進めるといったことが必要である。

 この『視点』には、

 宇宙から地球上の出来事を観察する衛星的視点や、

 登場人物の一人が見た周囲の出来事の記録といったものや、

 要点を引っ張りだしてきて正否を判定する裁判のような視点、

 著者が神のように全知全能で、過去の説を批判する視点など様々である。

 こうして原則的なお話しばかりしていても頭が混乱するばかりだから、

 まず実際に、サンプルをご覧に入れて、それをもとに、

 さらに要素と要点を考えながらご説明することにする。

 その実例ページに通しナンバーを打つと、

 よごれて不快だと考え、省略して打たないことにした。

 しかし混乱した場合のことを考えて、

 文頭の目次に、その和文ナンバーを入れておくことにした。

 最初は印象が悪いと思うが、

 実用するうちに便利さにお慣れ戴けると思う。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html

 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html

 「古代オリエントの地名一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F

 「古代オリエントの用語一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7

 「メソポタミア神話」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「バビロニア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「ギリシア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「オリエント学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6

 「アッシリア学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6

 「中国学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6

 「ギルガメシュ叙事詩」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm

 「フェニキア」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA

 「古代エジプト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88

 「ヒッタイト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88

 「アナトリア半島」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6

 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―
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2009年11月26日木曜日

執筆の前に熟考する必要がある『企画』


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録01:3頁

 都市の大書店に行くと体験できるが、

 雑誌売り場は通るのに困る程の混雑だが、

 歴史書の専門書コーナーには人影がない。

 歴史書は売れないという印象をうけるが、それは錯覚だ。

 なぜなら、一般書の中にも歴史を題材にした本が大量にあり、

 そこでは立ち読みして買っていく人が大勢いるからである。

 同じ歴史書なのになぜ?こんなに違うのか?。

 それはそこで立ち読みをしてみるとわかる。

 一般書のほうは少なくとも読者層を考えて、

 それに合わせて興味本位に書いてあるが、

 専門書のはうは旧態依然とした権威主義で、

 「○○博士によれば…何々である…」式に、

 要点を羅列し、意見を述べただけのものが多い。

 これでは買う人は学者仲間か、

 受験に備えて辞書がわりに使う受験生ぐらいのものである。

 我が国の在来の学術者は、

 いまだに旧い官僚制度のままの大学組織の中で、

 戦前の勲章や位階勲等のような権威づけの道具でしかなく、

 むしろ「わかりにくいほうがいい」書物だ。

 難解なほうが高級で、著者も偉いとされているのである。

 しかしそんな時代錯誤の本は書いても無駄である。

 皆さんの著書は一人でも多くの読者に読まれる必要がある。

 それには執筆前に、

 どんな読者むけに、

 どんな書法で、どう書くか、

 細かく熟考して『企画』しておかねばならない。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』
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 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
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 「古代オリエントの地名一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F

 「古代オリエントの用語一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7

 「メソポタミア神話」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「バビロニア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「ギリシア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「オリエント学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6

 「アッシリア学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6

 「中国学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6

 「ギルガメシュ叙事詩」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm

 「フェニキア」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA

 「古代エジプト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88

 「ヒッタイト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88

 「アナトリア半島」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6

 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―
  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html 

2009年11月25日水曜日

大理想はウバイドのイサナミから


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:30頁

 その大理想とは、

 ウバイドで確立した女帝制度の根底にあるもの、

 人類はすべて母たちの腹を痛めた分身だという認識である。

 そして女帝から観れば万民は全て我が子だという母性本能の昇華が、

 のちに紛争解決のためには死を選んだ卑弥呼の偉大なる慈悲として、

 彼女を観世音菩薩として崇める新宗教感にまで高め、

 それは全中国からインド周辺諸国にまで広まって、

 太陽の国の女帝からの連想で、

 「天照大上=太陽」の光鉾(こうぼう)を

 全世界に差し伸ベる母性の手と観想して、

 巨大な慈悲とそれを具体的に行動に移す諦観と手段と文化を、

 器具、物体を握り締めた手の像で示す、

 新たな仏像

 「千手観世音菩薩像」を生み出したものでもある。

 その淵源はウバイドが富み栄えるにつれて、

 利権の奪い合いが発生し、

 母性愛だけでは治世が難しくなったとき、

 民を守るには暴力もやむを得ないとするイサナキと、

 絶対平和を主張するイサナミが対立。

 分離していった男帝制国家と、

 初志を貫いた女帝制ウバイドとに主権が分かれた、

 この大理想は、

 そのイサナミから延々と承け継いだものなのである。

 それは天智天皇に破られたが短期で復元し、

 以後、幕末までは曲りなりに維持してきた。

 今では人々も成長して世界国家を夢見はじめた。
 
 果たして人類はどちらを選ぶのか?。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html

 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html

 「古代オリエントの地名一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F

 「古代オリエントの用語一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7

 「メソポタミア神話」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「バビロニア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「ギリシア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「オリエント学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6

 「アッシリア学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6

 「中国学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6

 「ギルガメシュ叙事詩」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm

 「フェニキア」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA

 「古代エジプト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88

 「ヒッタイト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88

 「アナトリア半島」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6

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2009年11月24日火曜日

神社参拝を激減させる佐伯説と亜流


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:29頁

 だが、この宗教家という点では、

 佐伯教授の景教徒説も同じである。

 なぜそれが間違いなのか?。

 それが大変な時代錯誤以下、

 多くの真実を見落とした迷説だったことは、以上のとおりだが、

 雅楽の東儀氏も秦民の子孫であると認め、

 誇りに思っていると言われた。

 それは大半の神官家が秦氏の一族で構成されていて、

 その祖先が娘皇帝だからなら解る。

 だが佐伯説が本当なら、

 同族との争いに負けて流れて来たユダヤ人の子孫で、

 神社は神官の金儲け宗教だということになり、

 参拝する人を激減させることは間違いない。

 佐伯説と、

 それを宣伝して一般読者を迷わせてきた頭記の本の著者らには、

 さらにより大きな見落としがある。

 それは一神教のユダヤ教やキリスト教からは、

 絶対に神道は生れないからである。

 その理由は、一神教は僅かな主張の差で、

 同族同宗でも仇敵視し、皆殺しにした偏狭な宗教だからだ。

 景教徒もその実例だし

 『旧約聖書』自身が誇らしげにそんな虐殺を記録しているし、

 フランスなどで実行された魔女狩りは隠しようもない。

 この正反対に八百万の神を祭るのが天皇家の神道である。

 その実例が秦氏で、重要な神職を全部任せ、

 行事も祭礼や山車(だし)をインドや東南アジアなどから

 偏見なく取り入れている。

 それは秦氏が持ってきた秦(シン)の宗教より、

 遥かに高く強力な大理想が、

 根底にあるためなのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』
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 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
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 「古代オリエントの地名一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F

 「古代オリエントの用語一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7

 「メソポタミア神話」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「バビロニア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「ギリシア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「オリエント学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6

 「アッシリア学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6

 「中国学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6

 「ギルガメシュ叙事詩」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm

 「フェニキア」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA

 「古代エジプト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88

 「ヒッタイト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88

 「アナトリア半島」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6

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2009年11月23日月曜日

証拠は神道が「秦道」に見える宗教活動


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:28頁

 だがなぜ「徐福」かをご説明しよう。

 それはのちの秦氏の一族が、宗教家であり、

 また宗教関係の仕事に通暁し、

 携さわっているからである。

 京都の松尾(まつのお)大社を建立したのは、

 秦(はた)の都理であり、

 賀茂神社も秦氏から出た鴨氏が建て、

 金比羅宮も白山神社も一族が建てているし、

 全国の八幡杜の元締め辛島民もやはり秦氏の一族で、

 神道=秦道に見える。

 また前記の経師や寺院関係者もいる。

 これは宗教家だった徐福にはできるが、

 始皇帝にはできない。

 弓月の君らは徐福の後継者に教育されて、

 初めて宗教家になれたのである。

 ここで残る謎は、

 彼等が新羅と百済のどちらから応押帝の都に移ったか?

 という疑問である。

 在来は新羅といえば

 朝鮮半島の東南隅にしか無かったと思い込んだ学者ばかりがいたが、

 本学の皆様は、

 それが薩摩半島の開聞(ヒラキキ)=枚聞から、

 白日別=筑紫に移り、

 その後、朝鮮半島に移って全半島を支配したことを、よくご存じである。

 羅は国の字と同じ名詞で、国名ではないから

 新はシン、秦もシン、

 新羅=秦国で同じものだったのである。

 白日別は沖縄読みするとシラヂッビチ、

 このチをキにするとシラギッビキ、

 白木津日木=シラギのヒコと読める。

 これは沖縄から薩南南部に来たという名前である。

 その薩摩には吹上浜という地名がある。

 フッキアゲは福王(フッキ)上りだから彼の上陸地を意味する

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html

 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html
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 「古代オリエントの地名一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F

 「古代オリエントの用語一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7

 「メソポタミア神話」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「バビロニア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「ギリシア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「オリエント学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6

 「アッシリア学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6

 「中国学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6

 「ギルガメシュ叙事詩」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm

 「フェニキア」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA

 「古代エジプト」
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 「ヒッタイト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88

 「アナトリア半島」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6

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2009年11月22日日曜日

その文化は、むしろ徐福のもの


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:27頁

 ただ始皇帝の何世孫といっても単純ではない。

 何といっても阿房宮に美女三千を侍らせた男である。

 それに行方不明とは言っても、

 徐福が数千人の人を連れて、

 我が国めざして来たというのも事実である。

 その時は皇女が来ていて、

 南中国では、天照大神がその皇女だということになっている。

 
 その後の海上交通の発達を考えると、

 情報は充分届くから、在来のような隔絶感はない。

 それなのに彼等の消息は、不明のまま現在に至っているのだ。

 これは秦氏が除福たちではないと誤認された場合しか、あり得ない。

 でなければ人口の少なかった時代に、

 数千人の大群が行方不明になれば、

 それこそ全世界にニュースになる。

 それは電波はなくても船があったからだ。

 船のサイズは小さくても、

 大学院講義録35号のフェニキヤの船の壁画でご覧のような大船が、

 始皇帝(B.C.E.221年即位)より前のB.C.E.700年には、

 世界の海を走り回っていたのである。

 スサノオはそれよりもさらに千年ちかく前に我国まで来ていた。

 こうした事実を在来の教師たちが知らなかったために、

 誤った世界観しかなかったに為ぎない。

 それなのにニュースにならなかったのは、

 徐福たちは難民として

 「新羅」に住みついたので誰にも特別視されずに済み、

 安全を見極めてから秦氏として、

 応神天皇十四年に来朝帰化し、

 太秦(うずまさ)の号をもらう程に改めて繁栄を極めたのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

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 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
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 「古代オリエントの地名一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F

 「古代オリエントの用語一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7

 「メソポタミア神話」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「バビロニア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「ギリシア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「オリエント学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6

 「アッシリア学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6

 「中国学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6

 「ギルガメシュ叙事詩」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
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 「フェニキア」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA

 「古代エジプト」
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 「ヒッタイト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88

 「アナトリア半島」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6

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2009年11月21日土曜日

真実、秦氏は間違いなく始皇の一族


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:26頁

 中国の県は郡の下にあるから、

 我が国の今の県のように大きくはないが、

 それでも百二十七県の人民といえば、大変な数になる。

 それが真実だったことは、普通なら肩身が狭く、

 ひっそりと消滅してしまうのが一般の、

 哀れむべき流れ者だったはずの彼等の子孫が、

 我が国の土着名門の子弟よりも裕福に栄え、

 はるかに多くの記録を残している事実が、強く立証している。

 その人達が普、功満王、融通王を始皇帝の子孫と認めていたのである。

 そして王の指示に従って、不安を乗り越え、危険を冒して、

 未知の、遠い、しかも絶海の島国へ大移動してきたのである。

 その引率者が偽者の王であると知っていたら、とてもついてはこない。
                      
 もとは王族だといっても

 秦(シン)が滅びて漢になり、

 それも前漢が滅びて後漢になり、

 三国時代になり、

 五胡十六国時代になり、

 それが互いに食い合って昨日の勝者は今日は敗者といった

 未曾有の大動乱時代である。

 それなのに一度ならず、二度までも我が国へ帰化して来たというのは、

 引率者の祖先、始皇が、かつてない巨大な帝国を築いた余光が、

 まだ強かったためだとみる以外に理由は考えられない。

 また天皇も必ず真偽を確かめたはずである。

 大乱の時代に異国から大群が押し寄せるのを許すのは、

 充分な配慮の結果なのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html

 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html

 「古代オリエントの地名一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F

 「古代オリエントの用語一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7

 「メソポタミア神話」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「バビロニア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「ギリシア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「オリエント学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6

 「アッシリア学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6

 「中国学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6

 「ギルガメシュ叙事詩」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm

 「フェニキア」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA

 「古代エジプト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88

 「ヒッタイト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88

 「アナトリア半島」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6

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2009年11月20日金曜日

秦(はた)氏は始皇帝の子孫


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:25頁

 こうして徹底的に、

 秦氏はユダヤ人ではなく、

 景教徒でもなかったことが立証され続けると、

 では彼等は何だったのか?という最終的な疑問に行き着く。

 この答もまた、

 やはり『日本書紀』に詳しく書いてあるし、

 『新撰姓氏録』などにもその子孫たちの消息が詳細に記録されていて、

 『書紀』が書く素性が真実であることを、

 大量に立証し続けている。

 『日本書紀』誉田(応神)天皇十四年の二、

 「是の歳、弓月君 百済より来帰。因って奏して曰う。臣、己れの韓の人夫、

  百二十県を領して帰化せんとす。然るに新羅人これを拒むに因りて皆。

  加羅の国に留めらる。

  これを聞いて天皇は葛城襲津彦を加羅に派遣し、弓月の人夫を召させたが、

  三年を経ても襲津彦は帰って来なかった。」

 『新撰姓氏録』左京諸蕃上。

 「秦の始皇帝の十三世孫・孝武王の子・功満王、仲哀天皇八年来朝帰化。

  その子・融通王(弓月君)、応神天皇十四年来朝帰化。太秦公宿弥の祖也。」

 『三代実録』

 「元慶七年十二月、右京人・秦宿祢永原、秦言。

  秦氏は秦の始皇十二世孫・功満王の子・融通王の苗裔で、

  功満は占星して翌朝に深向、

  遠く日域を志したが、新羅が路をはばみ王都を隔てしも、

  陽を仰ぐ心、空しからず、

  天誅くだって罪人を伐ち、官軍塵を払って、

  百二十七県の人民、誉田天皇十四年、歳次・癸卯、ここに内属し焉わる也。」

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

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 「古代オリエントの地名一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F

 「古代オリエントの用語一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7

 「メソポタミア神話」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「バビロニア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「ギリシア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「オリエント学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6

 「アッシリア学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6

 「中国学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6

 「ギルガメシュ叙事詩」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm

 「フェニキア」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA

 「古代エジプト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88

 「ヒッタイト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88

 「アナトリア半島」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6

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2009年11月19日木曜日

フェニキヤ文化の東方伝播コース


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:24頁

 図: メソポタミア文明の東方伝播

 ◆彩文土器のコース 

 ○ハッスーナ(5000B.C.)→アルボルズ山脈・イラン(ドルメン)(4500B.C.)→

 中国領・トルキスタン (3900B.C.)→

 フェルガーナ→ヤンチャオ・迎韶(4000~3000B.C.)

 ○ハッスーナ(5000B.C.)→バクーン(4000B.C.)→シスターン(4000B.C.)→

 ハラッパ・インダス文明(3500B.C.)→中国領・トルキスタン(3900B.C.)→

 フェルガーナ→ヤンチャオ・迎韶(4000~3000B.C.)

 ○ハッスーナ(5000B.C.)→バクーン(4000B.C.)→シスターン(4000B.C.)→ハ

  ラッパ・インダス文明(3500B.C.)→東インド(ドルメン)→東南アジア(ドルメン)→

  浙江省(ドルメン)→ヤンチャオ・迎韶(4000~3000B.C.)

 ◆セットになった(彩文土器文化)

 1 彩文土器

 2 甑形土器(こしき)

 3 石包丁

 4 土・石製腕輪

 5 日乾し粘土のコマ

 6 イネ(英国のマロワン氏アッシリアの稲発見)

 7 ドルメン

 8 女神像

 9 言語

 10 文様

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html

 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html

 「古代オリエントの地名一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F

 「古代オリエントの用語一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7

 「メソポタミア神話」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「バビロニア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「ギリシア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「オリエント学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6

 「アッシリア学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6

 「中国学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6

 「ギルガメシュ叙事詩」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm

 「フェニキア」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA

 「古代エジプト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88

 「ヒッタイト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88

 「アナトリア半島」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6

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2009年11月18日水曜日

古代の文化・文明は一方通行ではない


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:23頁

 こうして名乗りや称号を分析してみると、

 それらがどの地域で使われ、

 記録されたかがよくわかるものが多い。

 このことも言語復原史学の機能の一つである。

 この地域の差は、形の上でも現われる。

 たとえば兜布のもとになった一本角は、

 夥しい変異を生み出しているから、

 それを入念に観察すると、

 それがどこからどこへ伝播したかという伝播ルートが分かる。

 一本角はバビロンの神・マルドゥクの神竜像や、

 そのイシュタル門のレリーフにも明瞭にみられるから、

 インドのマカーラが先ではない。

 在来の古代交通観とは違って、

 交通・通商は質も量も速度も大きかった。

 だから文化の伝播は決して一方通行ではない。

 下の写真も、

 商人や宗教家が、往復とも商品や思想を運んでいたことを物語っている。
     
 3 仏壇飾り(ネパール)

 4 玉製一角獅子(中国)

 5 麒頭(中国明代)

 6 神棚用コマイヌ(日本江戸時代)

 7 麒麟燭台(日本江戸時代)

 8 シンハ(ネパール)

 9 螺角獅子頭(日本江戸時代)

 10 麒頭(中国唐三彩) 

 11 麒頭(中国隋唐時代) 

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html

 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html

 「古代オリエントの地名一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F

 「古代オリエントの用語一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7

 「メソポタミア神話」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「バビロニア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「ギリシア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「オリエント学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6

 「アッシリア学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6

 「中国学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6

 「ギルガメシュ叙事詩」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm

 「フェニキア」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA

 「古代エジプト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88

 「ヒッタイト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88

 「アナトリア半島」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6

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2009年11月17日火曜日

解けた「宿祢とは何か?」という謎


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:22頁

 このことで、

 もう一つ国史の中で大きな位置を占めている「宿祢」とは、

 どんな意味をもっ名詞かという謎が解けた。

 武内宿弥はスサノオで、

 屋久島に初めて杉を植えた人物だ王であったことは間違いないから、

 古代皇族の名乗りにたくさん見られる

 「足」や「根」の称号で呼ばれても不思議ではない。

 「祢」は、その「根」とみて間違いない。

 では「宿」は何のことか?。

 鹿児島語では杉は「スッ」である。

 そして宿もまた「スッ」である。

 指宿は「イブスッ」と聞こえる。

 だから「宿祢」も、「杉根」も、どちらも「スッネ」である。

 ただ杉根は、「杉の木の根っこ」ではなくて、

 「杉の王」を意味していたのである。

 こう解ってみると

 スサノオ=猿田彦=大人弥五郎=武内宿祢の関係は、

 同一とみて微動だもしない。

 それはもちろん名乗りの上だけのことで、

 屋久島にレバノン杉を植えたスサノオと、

 壱与=神功皇后を助けた武内宿弥は時代が千年も違い、

 別人であることはいうまでもない。

 宿祢と同じものに「足尼」がある。

 こちらはソクニだから大隅人だとソクはスッになる。

 ニもネの大隅語。

 これはスッネという発音を聞いて、

 大隅人が当て字をつけたものということになる。

 さらに南九州ではスッネは

 「少ない」でもあるから少名彦名の命でもある。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html

 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html
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 「古代オリエントの地名一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F

 「古代オリエントの用語一覧」
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 「メソポタミア神話」
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 「バビロニア神話」
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 「ギリシア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「オリエント学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6

 「アッシリア学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6

 「中国学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6

 「ギルガメシュ叙事詩」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm

 「フェニキア」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA

 「古代エジプト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88

 「ヒッタイト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88

 「アナトリア半島」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6

 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―
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2009年11月16日月曜日

猿田毘古=大人弥五郎=屋久王=スサノオ


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:21頁

 これで大人弥五郎は、間違いなく猿田彦だとわかる。

 しかし何故?名が違うのだろう?。

 大隅語の発音は「ヤクルドン」である。

 私にはそれは屋久郎ドンと聞こえる。

 こんな顔をした屋久島王といえば、

 そこに杉を植えたスサノオもそれに該当する。

 大隅では弥五郎は武内宿祢だともいう。

 宿弥は高族=カリエンで、宝貝を貨幣として中国に売って、

 その富で商帝国=殷を樹立した一族の、長の名乗りである。

 これでフェニキヤ人が屋久島へ来た時期も判った。

 それは縄文杉の年輪と共に

 貝貨幣と殷の発掘物とそこに書かれた文献史料という、

 莫大な物証をもっていたからである。

 屋久郎ドンは海人の王だから、船の王であり、

 海原を支配した神・マカーラでもある。

 その容貌は、まさしく中近東の人である。

 とすれば、

 兜布はフェニキヤ人の船乗りのもので冠の一種だったのである。

 それが冠だった証拠もまた大量にある。

 それは江戸時代まで実用品だった武士の礼装用の冠で、

 浅野内匠守が刃傷の場で額につけているあれである。

 これは新羅の王も全く同じものを着けていたことが、

 出土品の陪葬騎士像ではっきり判る。

 それは兜布とは形が違い、はるかに複雑な形になっているが、

 額の前方の同じ位置に着け、紐を顎で結んで止める。

 兜布を基に考案、心理的効果を狙って改良進化したことが判る。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html

 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html

 「古代オリエントの地名一覧」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F

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 「メソポタミア神話」
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 「バビロニア神話」
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 「ギリシア神話」
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 「オリエント学」
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 「ギルガメシュ叙事詩」
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 「フェニキア」
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 「ヒッタイト」
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 「アナトリア半島」
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2009年11月15日日曜日

兜布のルーツと一本角文化の様相


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:20頁

 その実物や関連資料のレプリカなどは、

 私も多数コレクションしていて、

 加治木義博著『日本人のルーツ』

 (保育杜カラーブックス・1980年刊)に、

 代表的な写真が掲載してあるので、

 是非ご高覧を賜わりたいが、

 ここにはその一部を掲載しておく。

 その一本角は小さく、まさに兜布を頂く位置に生えている。

 ことに鹿児島県大隅町の、

 大人弥五郎どん祭りの、

 この面のものは、

 まさに兜布そっくりである。

 図:大人弥五郎の巨面

 図:ジャワ・バンカラン

 図:一本角の鬼

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html

 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html
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 「古代オリエントの地名一覧」
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 「メソポタミア神話」
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 「バビロニア神話」
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 「ギリシア神話」
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 「アッシリア学」
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 「ギルガメシュ叙事詩」
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 「フェニキア」
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 「古代エジプト」
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 「ヒッタイト」
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 「アナトリア半島」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6

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2009年11月14日土曜日

史学の証拠になるもの、ならないもの


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:19頁

 現在、イスラエル人が頭に着けているからといって、

 それで「兜布はイスラエル人のものである証拠だ」という類いの論文に、

 よくお目にかかるが、その程度ではいけないということが、

 このフェニキヤ海人のものだった、という結果でよく解る。

 それは少し考えれば当然のことで、

 いま私たちは洋服を着ているが、

 だから先祖は西洋人だという証拠にはならない。

 これと同じことは、辞書や百科事典でも起る。

 この兜布とは何なんだろう?と辞書を引くと、

 「修験者のかぶる小さい頭巾。山中遍歴の際、

  瘴気に触れるのを防ぐ為に被るという。

  法身不変を表示する黒白の布で造り、

  十二因縁に象って十二の襞(ひだ)を設け、

  紐で顎に結びとめる」と書いてある。

 だが、それは頭巾にしては余りに小さく、またなぜ?
 
 頭を覆わずに額に着けるのか?という肝心の理由が書いてない。

 ところが、私たちは、それは海人たちのものだと知っから、

 この疑問にも正しく答えることができる。

 沖縄の語源・ウチナーは大天で天竺、

 すなわちインドから来ているが、

 そのインドの海に注目すると、海の聖獣はマカーラである。

 これは神々の王・ビシュヌーの化身の一つだが、

 その特徴は額にある一本角である。

 中国ではその一本角が死者を護る象徴とされ。

 人面や獣の頭につけられた副葬品が多数出土している。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』
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 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
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 「古代オリエントの地名一覧」
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 「バビロニア神話」
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 「ギリシア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「オリエント学」
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 「アッシリア学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6

 「中国学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6

 「ギルガメシュ叙事詩」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm

 「フェニキア」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA

 「古代エジプト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88

 「ヒッタイト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88

 「アナトリア半島」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6

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2009年11月13日金曜日

兜布とフェニキア人・猿田毘古に由来


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:18頁

 山伏スタイルが何時からのものかは判らないが、

 修験道(しゅげんどう)に代表される山岳信仰は沖縄の民俗宗教である

 「御岳(うだち)詣り」がもとで、

 それがトカラ列島などに広まって

 種子島、屋久島、硫黄ガ島などの「御岳(だけ)登り」になり、

 鹿児島の金峰山

 (きんぽうざん=日置(ひおっ)郡金峰町(きんぽうちょう))で

 春秋の彼岸に山焼きをしたという伝承がある。

 これは京都の大文字などの送り火と同じで、

 蔵王権現の社、妙見堂、文殊堂、蔵王権現別当寺、

 金峰山観音寺金蔵院などがあるので、

 奈良県の吉野の蔵王信仰が伝わったものと思われているが、

 この山は金山であり、

 太古から航海の座標として遣唐使の往来にも重要な役割を果たしており、

 山焼きも船への信号の名残だが、

 奈良の金峰山(きんぶせん)は山名にも理由がなく、

 南海一帯の御岳(うだち)詣りのほうが先である。

 それは海人たちの座標に対する感謝と尊敬を表す信仰で、

 それが出身の異なる海人たちの、

 ポセイドンやアフロディテ、ビシュヌー、マカーラ

 といった海の神話伝承と合体し、

 神道や密教や民間信仰と集合して、

 修験道(しゅげんどう)という単純怪奇な感じの独特の

 信仰形態を作り上げたのである。

 金峰町の社寺は、もちろん後世に、

 由緒を尊んで逆移入されたものだ。

 だから山伏の兜布は猿田毘古=天狗に由来する。

 砂漠のシルクロード経由のユダヤ人のものではあり得ず、

 海人で植林に山へ登ったフェニキヤ人のもの以外あり得ない。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html

 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html

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 「メソポタミア神話」
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 「バビロニア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「ギリシア神話」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1

 「オリエント学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6

 「アッシリア学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6

 「中国学」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6

 「ギルガメシュ叙事詩」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm

 「フェニキア」
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 「古代エジプト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88

 「ヒッタイト」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88

 「アナトリア半島」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6

 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―
  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html 

2009年11月12日木曜日

兜布(ときん)・山伏・天狗・現代イスラエル人

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:17頁

 現代の世界中で、我が国とイスラエルとにだけあるものもある。

 それは山伏が額に付けている小さな帽子型のもの

 「兜布(ときん)」である。

 最近は修行場以外では余り見掛けなくなったが、

 たいていの方は、

 テレビや歌舞伎の弁慶などで、よくご存じだと思う。

 我が国の修験道(しゅげんどう)とは教義の内容は逢うが、

 ユダヤ教徒も、

 全く同じものを額につける。

 そして重要なのは、天拘の面もまた、

 必ずこれをつけていることである。

 これでまた猿田毘古の重要度が一層増したことになる。

 山高帽と、みづらは、埴輪にあるが、この兜布は見当たらない。

 だからこちらは後世にやってきたものだとわかる。

 それがいつ来たかも判っている。

 写真:竹富島(八重山郡竹富町)御嶽の森

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年11月11日水曜日

古墳のあるじ肖像彫刻と写真

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:16頁

 この古墳に葬むられていたのは、どんな人か。、

 この古墳の出土品ではないが、

 同じ時代に群馬県由良に葬むられた人物は、

 貴重な肖像を残してくれた。

 写真でご覧の通り両耳の前に

 「みづら」を垂らして、山高帽をかぶっている。

 それがなぜ貴重かというと、

 服装は異なるが、やはり、そっくりの山高帽をかぶり、

 「みずら」の位置に髪を垂らして頭部は全く同じだと言っていい人々を、

 現代でもなおイスラエルで日常に見かける、

 今も生きている風俗だからである。

 しかしこれだけで、

 古墳時代人はイスラエル人だったと早合点してはいけない。

 それを教えてくれるから、

 この埴輪の貴重さは、さらに倍加するのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年11月10日火曜日

「江田」は高貴な姓・地名。歴史の真価

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:15頁

 「エデン」は、チグリスとユーフラテス両大河の恵みを受けて、

 その下流域に生まれた、アラブには希にみる木々の繁る楽園だった。

 そこが豊かな都を支え、世界最初の大国ウバイドになったことは、

 少し考えればわかる。

 だからエデンとはウバイドそのものだったのである。

 そこから出た人々は、大移動先でもまた、よく似た楽園を求めて、

 そこに首都を置き、そこをエデンと呼んだ。

 それは我が国では後に江田(エデン)と当て字されたが、

 首都が移動した跡はエダと発音が変えられた。

 だから江田という地名で今なお残っているのだ。

 エダと発音が変わっても、

 関西の語尾のナアをノオと言い、

 ヤをヨという関東で、

 語尾のaがoに変わった江戸(エド)の名が、

 列島東半の首都名として幕末まで残ったことで、

 それがエデン⇒エダ⇒エドと変化した

 我が国最古の都名だったことがよく判る。

 だから江田(エデン)を名乗りにもつ江田氏は、

 太古の支配者の末裔だと斬言できる。

 なぜなら、ウバイドのエデンは

 万世一系の天皇家の出発点である。

 そこから分かれたことを枝分かれしたというのは

 「江田分かれ」と同音・同意である。

 だから「枝」という名詞は江田(えだ)から生まれたことが解る。

 またこの「枝」という名詞は、

 木の「部分」を示すからスサノオに結びつく。

 エデンの名は、

 フェニキヤ人が杉や檜と共にもってきた証拠なのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年11月9日月曜日

巨大な証拠物件=江田船山古墳

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:14頁

 図:インド洋のモンスーン・表面流・海流

 図:植物(アダン)

 その位置はやや北上しているが熊本県の江田船山古墳である。

 ここは長文の象嵌銘のある鉄剣が出土したことで有名な遺跡である。

 その古墳の主がどんな人物だったか、

 推測を助ける立体肖像もある。

 それはこの古墳の出土品ではないが、

 ほぼ同時代のものである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
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 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
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 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年11月8日日曜日

天狗という名にも大きな意味

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:13頁

 また南九州語が、助詞を「ン」と発音し、

 名乗りの名詞の間に挟む習慣があったことを考えると、

 猿田毘古は猿田ン毘古で、サルタン毘古と呼ばれていたのだから、

 彼はユダヤ人ではなく、

 支配者をサルタンと呼ぶアラブ人の王だったことになる。

 これもまたフェニキヤ人の来航者であって、

 景教徒ではなかったという重要な証拠とみていい。

 そしてさらに「天狗」という名にも、大きな意味がある。

 それは天=天竺であり沖縄であり、狗は犬だからである。

 この犬も先号でお話ししたとおり、

 インダ、インダス、稲田、隼人、稲敷、殷、儼、允と連なって、

 ウバイド女帝国が拡大して行った様子と地域を記録していた。

 天狗という名は、これだけの史実を背景にもつ、

 充実した語り部なのである。

 また沖縄の母音aは鹿児島ではeと発音し、

 語尾のムはンと発音することも注意がいる。

 アダムはエデンになるから、

 この人名と地名はもとは一つだったが、

 後に地名が人名になった。

 我が国の名乗りもそうで、

 これもウバイド語と同じだったのである。

 その同じ名が沖縄で植物の名・アダンになり、

 鹿児島で人の姓・エデンになった。

 その姓の当て字が「江田」だったのである。

 それが古代の名だったことにも、

 それを証明する巨大な文化財が残っている。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html 

2009年11月7日土曜日

猿田毘古は天狗だからユダヤ人か?

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:12頁

 天狗の特徴は巨眼巨鼻である。

 そのモデルはアラブ系で、イスラエル人にも当てはまる。

 シェークスピアの喜劇

 『ベニスの商人』の高利貸し・シャイロックはユダヤ人で、

 巨大な鼻でユダヤ人であることを表現するので、

 ユダヤ鼻という名詞まで生んだ。

 これと同じことで天狗の面も、極端に象徴化しているが、

 アダムとイブの物語を知っていた人達が九州の南部にいた事実が、

 『記・紀』の記録や民俗として残った内の一証なのである。

 その人達とは、ユダヤ人などイスラエル系の人たちなのであろうか?。

 猿田毘古の神は「岐・ふなと」の神という別名をもっている。

 これは彼が岬の神であることと考え合わせると、

 どうしても「船人(ふなと)」の神だということになる。

 また彼は、後から来た天孫を迎えるのだから、ずいぶん先に来ている。

 ニニギノミコトの話は

 後世の史実が神鼓として誤り伝えられたものとしても、

 天皇家のごく初期の史実であるから、

 7世紀になってから、やっと唐に着いた、

 大秦景教徒では絶対にない。

 間違いなく可能性があるのは、

 先に見たフェニキヤ人である。

 それは船がフェニ、

 岐がキを証言しているし、

 彼らは元々アブラハムの出身地、

 2大河の河南、ウバイド出身で、

 大学院講義録35で確認したように、

 ユダヤ人とは血を分けたノアの子孫だからである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年11月6日金曜日

エデンとアダムとイブと天狗の鼻

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:11頁

 江田がエデンであることはご説明はいらないと思う。

 阿檀は九州の南西諸島以南の海岸に自生している糸蘭のことで、

 繊維でパナマ帽などをつくったが、実は食べられない。

 アダムは禁断の木の実を食べたために、エデンの楽園から追放された。

 阿檀は「食べられない実」を洒落て、アダムと名付けたとみると、

 もう一つ、神は彼の助骨を引き抜いて、

 熱い息をかけてイブを作ったが、

 阿檀の葉も熱い蒸気を吹き付けて、

 芯をとって色白な肌の帽子やパッグを造る。

 これもアダムとイブを思わせるから、名付けられたと思える。

 指宿(いぶすき)は薩摩半島南海にある温泉地帯で、

 海岸には阿檀の実が流れつく。

 ポセイドンやアンピトリテの名を二つに割って

 地名につけた例が次々に見つかることをみると、

 指の字をわざわざイブと発音する、

 この指宿という変わった地名の意味が、やっと理解できる。

 しかし一体、誰がそんな命名をしたのだろうか?。

 指宿のすぐ南に長崎鼻という観光地があり、

 そこに天狗の鼻状の岬がある。

 そこと対照になった大隈半島の南端は佐多岬で、

 天孫ニニギノミコトを迎えた猿田毘古の神は佐多の大神ともいい、

 天狗の面を被って表現される。

 この神は『日本書紀』では事勝国勝長狭(ながさ)と呼ばれている。

 長狭(ながさ)王はナガサキだから

 長崎、長崎鼻はすなわち天狗の鼻なのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html