2012年10月31日水曜日

天御中主神



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録34:24頁

 《天御中主神
 「天御中主神

 「しかし、初めのほうの名は、天皇たちでは無かったじゃないか?」と

 反発する方がいて当然である。

 だが神の名を自分の名にした王がいる。

 『古事記』の神名の一番目に書かれた天之御中主神がそれだ。

 これはアメノミナカヌシノカミと読むと教えられ、

 反対した人はいないが、小さい部分から、

 すでに間違っていることが明らかなのである。

 それは原文に

 「天地初発之時 於高天原 成神名 天之御中主神

  (訓 高下 天 阿麻 下 效此)」

 と書いてある。

 最後の「下 效此」は

 「以下にこれに倣え=この後も、この通りにせよ」というのだから、

 天の字は「アメ」ではなく

 「阿麻=アマ」と読まなければいけないのである。

 アマとは何か?が徹底的に解らないと、

 『記・紀』の内容はもちろん、

 私たちの先祖から建国の謎まで、答も理想も判らない、

 というのが本書の主題でもあるが、

 それは読み終えていただけば自然にご理解になる。

 《パーリ語辞典
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2012年10月30日火曜日

先祖はいつ?どこから?まで判る凄い記録



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録34:23頁


 《先祖はいつ?どこから?まで判る凄い記録
 「先祖はいつ?どこから?まで判る凄い記録

 人知は進む。

 過去の史実もそれにつれて明らかになり、

 人類の発生も、

 進化の過程を示す原人の遺骨が系統的に発見され、

 それ以前の哺乳類の歴史にさかのぼって結びつき、

 人類は決して「神」と呼ぶような存在が、

 作り出したものでなかったことは、もう常識である。

 ところが世界には『神話』というものがあって、

 人に似た神が人類を生んだり作ったりしたと伝えている。

 我が国の『日本書紀』『古事記』もまた、

 混沌とした宇宙が次第に天と地に分かれ、

 そこに神が現れては消えていった後、

 イサナキ・イサナミという男女の神が生まれて。

 人間が子供を産むように島々や国を産んだ。

 それが我が国の始まりだと、

 国定歴史書の『古事記』と『日本書紀』に書いてある。

 と思われていた。

 そして在来の国史学者や大学教授たちも、

 『記・紀』の神々を、民度の低い幼稚な人種が恐れる、

 妄想の産物である魔物と同列の「神」として扱い、

 それが功績ある祖先への報恩と崇敬の教えであったことなど考えもしなかった。

 「フトニ」も「オホト」も、それが特に記念すべき先祖、

 天皇の中の天皇を指すことなど、全く気づかなかったのである。
 
 《パーリ語辞典
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2012年10月29日月曜日

偟根尊



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録34:22頁

 《偟根尊
 「偟根尊


 「偟根尊」

 これはカシコネと読まれてきたが、

 偟はコウだから天照大神と並ぶ大神の、

 高木の神を挙げた方が合理的だ。

 コウ=高はカウリー・コウライ・コマ・コウクリから、タケ・コシと

 様々に読み替えられてはいるが、倭人の先進分子として、

 建国に巨大な貢献を果たした人々「高族」の略称である。

 この「偟」の字は、

 それを「カシコイ・恐れ多い」という文字で

 表現したものとみなければいけない。

 根はタラシと読んで皇族の名乗りとしたもので、

 ネと読んでは意味をなさない。


 《パーリ語辞典
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2012年10月28日日曜日

沙土煮尊・大戸道尊・面足尊



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録34:21頁

 《沙土煮尊・大戸道尊・面足尊
 「沙土煮尊・大戸道尊・面足尊

 「沙土煮尊」
 
 これは泥土煮をウヒジニと読んだので、サヒジニと読んできた。

 しかしパーリ語だから、サードピーと読まなければならない。

 それは「貞淑」という意味である。

 泥土煮以後は夫婦神としてセットになっているから、彼女は妻である。

 貞淑は女性最高の「神」だというのである。

 「大戸道尊」

 これは、『古事記』の当て字に従って、

 解説には「オホトノミチ」と振り仮名がしてある。

 オホトの王(チ)という名をもつのは、

 継体天皇=袁本杼・オホド天皇(『古事記』)

 男大迹・オホト天皇(『日本書紀』) である。

 フトニという名の孝霊天皇を神皇第一代の祖神として挙げた先例を今、

 見たばかりだから、これが天皇の一人を意味していることは疑う余地はない。
 
 『日本書紀』は、継体天皇を中興の祖神として、ここに列ねたのである。

 「面足尊」
 
 これはオモダルとかオモタラシと読んできたが、オモは母で阿母とも書く。

 これはアモで、沖縄語ではアムになるからアムタラシ。

 「天照す」の原音に一致する。

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2012年10月27日土曜日

『神代巻』は『書紀』が創作して『古事記』が改作



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録34:20頁

 《『神代巻』は『書紀』が創作して『古事記』が改作
 「『神代巻』は『書紀』が創作して『古事記』が改作

 この確認で判明したことは、

 1 稗田阿礼が「読み習った」のは、

 2 『日本書紀』に使われた、

 3 「文字記録」だったこと。

 4 それにはすでに「埿土煮」と当て字してあったこと。

 5 稗田阿礼はそれを「ウ・ヒジ・ニ」と記憶していたこと。

 6 しかし本当はパーリ語で「ドゥルドハルシャ」と読むように「埿土煮」と書いてあったのだ。

 7 埿土煮を「フトニ」と読み損なったのは稗田阿礼ではない。

 8 孝霊天皇の名を「フトニ」と書いた人物である。

 9 彼はそれが『古事記』の神名の「ウヒジニ」だとは知らない。

 10 それは神の名としてではなく、天皇名として書かれていたからだ。

 11 彼はその文字が良くないと考えて、綺麗な文字の「太瓊」に書き換えた。

   『日本書紀』の天皇たちは皆、好い字を選んで書き換えてあるから、

 12 彼は『日本書紀』の筆者の一人である。

 13 ところが、悪い字の「埿土煮」が生き残った。それは天皇名ではなく神名としてだ。

 14 それを稗田阿礼が「ウヒジニ」と読み損なったのだから、『神代紀』についても、

   『日本書紀』の記事の方が、『古事記』より先にあったことが確認できる。

 15 ところが『古事記』も『日本書紀』と同じ発音で「賦斗邇・フトニ」と書いている。

 16 これで「神代」は『日本書紀』の記事の筆者が創作して、

   それを『古事記』が真似て改作したものだと証明できた。

   在来は『古事記』の方が先で、天地開闢の神が異なるのも、

   『古事記』の方が正しいとする人が多かったが、

 17 『古事記』が筆頭に掲げた「天の御中主」は、

   『日本書紀』に反発、対抗して書き加えたものだったと、はっきり断定できたのである。

 以上で、在来の『記・紀』の「読み方」が間違っていたことが、

 よく解りいただけたと思う。

 それはパーリ語の存在など、考えもしていない。

 それが本書でこれからお話しする。

 日本の建国史の真相を、まるで見えなくしていたのである。

 「読み方」など、少々間違っていても大したことはない、

 思われ勝ちであるが、

 私たちの祖国の歴史、

 ことに建国史には絶対許されない罪だと言っていい。

 この章をながながとお話ししたのはそのためでもある。

 あとは簡単に説明しよう。

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2012年10月26日金曜日

名が化けていった筋道



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏 
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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録34:19頁

 《名が化けていった筋道
 「名が化けていった筋道

 『記・紀』が別の文字を使っているのは、

 書かれた記録がなかったことを証明している。

 それは「口伝え」で伝承された証拠である。

 『古事記』の序文には、

 天武天皇が稗田阿礼(ひえたあや=ピューテーヤ への当て字)に命じて

 「よみ習わしめ給いき」とある。

 読んで記憶させたのであって、書かせたのではないという証拠である。

 『記・紀』の文は記憶していた物語を語らせて、

 それを聴きながら文字を当てて筆記して、

 初めて書物として残したものである。

 もちろん稗田阿礼も「よみ習った」のだから、

 もとの書き物があったことは間違いないが、

 それは『記・紀』のような完成した書物はなくて、

 メモ程度の木簡でしかあり得ないし、

 また語り部が代々語り継いだ「言葉だけのもの」もあったのである。

 その稗田阿礼が「よみ習った」のは『古事記』だから、

 この名を「ウヒジニ」と発音したのである。

 ところがそれは、

 『日本書紀』に書れている「埿土煮」を「ウヒジニ」と

 読んで記憶していたものだったから、

 筆記者は「宇比地邇」と当て字したのである。

 ところが、

 それは、「恐ろしい」という意味を持ったパーリ語の「ドゥルドハルシャ」に

 「ドゥル=泥、ド=土、ハル=?、シャ=煮」と当て字したものだった。

 この神名の『日本書紀』と『古事記』との違いは、

 これ以外の理由では起こらない。

 《パーリ語辞典
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2012年10月25日木曜日

卑弥呼=天照大神の父=百襲姫の父の名はパーリ語



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録34:18頁

 《卑弥呼=天照大神の父=百襲姫の父の名はパーリ語
 「卑弥呼=天照大神の父=百襲姫の父の名はパーリ語

 しかし念のため『古事記』の当て字の方も、よく検討してみよう。

 「埿・ウ、土・ヒジ、煮・ニ」になるが埿はどんなにしても「ウ」とは読めない。

 しかし私は、埿は漢音デイだから、

 大の南九州方言「デイ」とみた沖縄語人が、

 大を「ウ」と発音したのだと気づいた。

 ところが、埿の字は「堡」の間違いだとして、

 ホトニと読む学者が出た。

 これは私(加治木義博)と考えは違うが、

 別の大きな問題を解いてくれたのである。

 沖縄語ではo音はu音になるからホはフになる。

 するとこれは「フツニ尊」だから欠史天皇の中の孝霊天皇が

 「大日本根子彦 太瓊(フトニ)尊(『日本書紀』)、

  大倭根子日子 賦斗邇(フトニ)(『古事記』)」の、

 固有名詞の部分「太瓊・賦斗邇 どちらも フトニ」に完全に合っている。

 この天皇は系譜だけしかないが、

 卑弥呼だと言われる倭迹迹日百襲姫の父だから、

 天照大御神の父で、イサナキの尊に当たる。

 神の位置に入っていても別に不思議ではない。

 古代にも泥の字は「堡」の間違いだとした人がいたのである。

 この結論には疑う余地がないから、

 つぎは神と人とに分裂した理由を考えよう。

 これは、どちらが元の名だったか?わかればいい。

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2012年10月24日水曜日

埿土煮尊



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録34:17頁

 《埿土煮尊
 「埿土煮尊

 「フジ=ブッディ=仏陀の」「チ=帝・王」=『仏教王』。

 すなわち、釋迦またはソナカ=仲哀天皇あるいは、

 その上の仏教宣布団の長

 (『天の稚彦伝』では高木の神)意味しているから、

 これは我が国の「建国功労者」を神として特記したものだと判る。

 するとこの名に続く名の内にも、

 やはり建国功労者である可能性のある名がみえてくる。

 それは、それらの名の語源が、パーリ語よりも古代天皇名に、

 より近いことが、ひと眼みて判るからである。

 しかし次の2つの神名には、ぴったりのパーリ語がある。

 即断せず慎重に見ていこう。

 漢字の当て字=埿土煮尊

 この名は『古事記』が宇比地邇神と書くので、

 これまでウヒジニノミコトと読まれてきたが、
 
 埿をドロ、土をド、煮をシャと読むと、

 パーリ語の「ドゥルドハルシャ」によく合う。

 「ドゥル=泥、ド=土、ハル=? シャ=煮」である。

 これは「恐ろしい」という意味である。
 
 しかし、煮は「シャ」ではあるが、「ハルシャ」ではないから、

 『日本書紀』では、

 春、張、晴などが一字ぬけているのか、省略したのか解らない。

 しかし語源がパーリ語であることはこれ程一致することはあり得ないから、

 全く疑いの余地はない。

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2012年10月23日火曜日

豊斟渟尊



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録34:16頁

 《豊斟渟尊
 「豊斟渟尊

 漢字の当て字=豊斟渟尊

 この第三の神は「フジンテイ」という発音になっている。

 豊はホーだが沖縄では「フ」と発音する。

 斟は「ジン」渟は「テイ」だからである。

 しかしパーリ語にはこのフジンティに合う言葉はない。

 F.Hで始まる言葉はなく、P.Bで始まる言葉だけがある。

 その中から探してみるとフジに変わる原音としてブッダ(仏陀)がある。

 これにはブッディという活用があり、

 eがiに変わる沖縄語だと、ブジーになる。

 『記・紀』編集当時は『百人一首』でお解りのとおり清音時代だから、

 とくに語頭には濁音は使わない。

 ブはフになる。

 これを理解すると大阪にある藤井寺(でら)は、

 ブッデイ(仏陀の)寺ということだったと判るし、

 藤原京という名が(仏陀の)都を意味していたこともわかる。

 次の「ン」は助詞の「ノ」だから、残る「テイ」は何か?。

 沖縄語では「テイ」は「チ」で、標準語の「キ」に当たるので、

 イサナキなどの王称の語尾に多い「キ」だ。

 これはテイ・デイ・ティを「帝」と訳し、

 沖縄語で「チ」と発音したものを、

 九州・本州人が「キ」と発音したものと考えると、

 なぜ?王称の語尾がキとチなのかの謎が解ける。

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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2012年10月22日月曜日

国狭槌尊



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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録34:15頁

 《国狭槌尊
 「国狭槌尊


 当時の人々はナガラを地名と外国語だとも思わずに、

 「都」という自国語として使い、

 国民も不思議に思わなかった。

 これで当時の我が国ではパーリ語が、

 日常語の中で使われていたことが、

 お解りいただけたと思う。

 そこでパーリ語の中から、

 次の神名の

 漢字の当て字=国狭槌尊

 に合うものを探してみると、

 プラサズチーという言葉がある。

 「狭槌=サヅチ」に「サズチー」だから、

 文字で書けば「ツとズ」の違いはあるが、

 耳で聴けば同じである。

 こちらは国常立より、

 もっとうまく当て字しているから、

 この着目が正しいと確信できる。

 意味は、辞書には「卓越・称賛」など挙げてあるが、

 どちらも「素晴らしい」という意味だから、

 夜空を飾るプレアデス星団の和名

 「スバル」と同じ性格の命名である。

 光り輝く神の次に、

 卓越した(優れた)褒め讃えられる

 「素晴らしい神」が生まれたというのである。

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2012年10月21日日曜日

国常立尊



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録34:14頁

 《国常立尊
 「国常立尊

 漢字の当て字=国常立尊

 パーリ語で都市をプラという。

 卑弥呼当時は、

 『魏書倭人章』(魏志倭人伝というのは間違い)に、

 「国」として書かれている伊都国や多くの旁国はみな、

 今の都市に当たるから都市は国を意味している。

 そこで、

 この神名の「国」に「プラ」を当てて、パーリ語の熟語を見てみると、

 プラジャーターという形容詞がある。

 国にプラ、

 常にジャー、

 立にターで、

 万葉式にジャーに常(ジヨー)を、

 ターに立(タ)を当て字していると見ると非常に合理的だし、

 プラジャーターとは「光り輝く」という意味だから、

 『旧約聖書』の「初めに光ありき」とも完全に同じである。

 しかしまだ「まさか『記・紀』編集当時の我が国に、

 パーリ語があったとは信じられない方も多いと思うので、

 まずその疑念から払っておこう。

 大化改新当時の考徳天皇の皇居は、

 大阪市にあって「長柄豊崎の宮」と呼ばれているが、

 このナガラという地名もまた

 パーリ語の「ナガラ=都・都市・市」に一致する。

 だから長柄豊崎の宮とは、二つの地名を二重に重ねたものでなく、
 
 今の東京都式に「豊崎都」という首都を表現する名だったのである。

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2012年10月20日土曜日

朝日新聞社版『日本書紀』の神名の読み方



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録34:13頁

 《朝日新聞社版『日本書紀』の神名の読み方
 「朝日新聞社版『日本書紀』の神名の読み方

 『日本書紀』は、この神名を

 国常立尊は<クニノトコタチノミコト>。

 国狭槌尊は<クニノサツチノミコト>。

 豊斟渟尊は<トヨクムヌノミコト>と読んで、

 国常立尊とは、「国土の永久の出発を意味するらしい」。

 国狭槌尊の解説はなくて、

 豊斟渟尊は『古事記』の豊雲野の神に当る。  
  「名義は不詳であるが、穀物の聖霊らしい」と解説している。

 しかし後でお話しするように、

 日本語の研究を読けるうちに、

 それまで純粋な日本語だと思っていた言葉の中に、

 大量のインド語が混じっていることがわかった。

 そのうちでも古代インド語で、

 今は仏教用語としてしか使われないパーリ語が、

 3000語以上もの日本語と共通点をもつことがわかり、

 その原因が単なる仏教教育によるものではなく、

 大量のパーリ語を話す人々が日本にやってきた結果だと判った。

 それは何時のことか?と歴史を検討した結果、

 卑弥呼の時代に、仏教を広めるために、
 
 大勢の人がやってきて土着した事実があり、

 それを『記・紀』が多数収録していることも突き止めた。

 それがこの本で詳しくお話しするソナカ=仲哀天皇の史実なのだが、

 そこで天地開闢の神名もパーリ語で書かれたものとして改めて読んでみた。

 すると、次のように間違いなく、それはパーリ語の名前であり、

 それに漢字を当て字したものだったという事実が確認できたのである。

 ご覧いただきたい。

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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2012年10月19日金曜日

『記・紀』をダメにした愚かな「読み方」


 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録34:12頁

 《『記・紀』をダメにした愚かな「読み方」
 「『記・紀』をダメにした愚かな「読み方」

 今の我が国では、大多数の人が、

 人間は死ぬと『仏』になるという常識のようなものをもっている。

 これは何時からか仏教が浸透したためだとわかるが、

 神道しか信じない人は、人が死ぬと「神」になると考えている。

 そんな考えを与えたのは神道の神官たちだが、

 この『神』とはどんなものなのか?…。

 在来の学者たちは『記・紀』の『神話』に登場する神は死んだ人ではなく

 「宇宙空間に存在する『霊』のようなものが、人の姿で現われたもの」だろうという考えで、

 論文を書き、教えてきた。

 しかし次の、私(加治木義博)の発見をご覧いただくと、

 そうした学者の考えが、根本から間違っていたことが、はっきりお判りになる。

 『日本書紀』の「神代上」に

 「天地開闢(かいびゃく)の初め、天地の中に一物が生まれた。

  それは葦の芽のような形をしていて神に化したのを「国常立尊」と名付ける」

 次に「国狭槌尊」。

 次「豊斟渟尊」の合計三神。

  「これが乾道は独化し、純男で成る所以だ」という記事がある。

 これを在来はどう教えていたか?。

 大同小異だから、その代表的なものを挙げると、

 朝日新聞社発行の、

 武田祐吉校註、新村出・久松潜一・高木市之助・山岸徳平・小島吉雄、監修

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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2012年10月18日木曜日

あなたは祖国が、いつ生まれたかさえ知らない



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録34:9~11頁


 《あなたは祖国が、いつ生まれたかさえ知らない
 「あなたは祖国が、いつ生まれたかさえ知らない

 「貴方は祖国がいつ生まれたかさえ御存知ない」、

 こう言うと怒り出す人がいる。

 貴方も

 「神武天皇の橿原即位年の2月11日建国記念日にきめられている。

  年は不正確でも、ほぼ紀元ごろだという。

  建国の時期は不明じゃない」と反発なさると思う。
 
 だが、あとでお話しするように、

 本当の建国紀元は今から2000年前なんかではない。

 少なくとも西暦紀元前6000年。

 いまから8000年前までさかのぼることが判ったのである。

 神武天皇は、そんなに大昔の人ではない。

 『日本書紀』が書く二千六百数十年前ではなくても、

 西暦紀元前後の人だとされてきた。

 ところがそれも間違いで、

 本当は3世紀の卑弥呼と同じ時代の人だと私(加治木義博)が立証した

  (ロングセラーズ刊『卑弥呼を攻めた神武天よ』)。

 それを疑って書き換えた人はいないから、

 これはもう動かない定説になっている。

 だから8000年前に建国したのは神武天皇ではない。

 建国者が誰かは不明だが、我が国が当時から存在していた証拠が、

 続々と大量に発見されたのであ。

 だがここでお断りしておくが、

 この本はそれをお話しするのが目的ではない。

 順序として、

 これまでウソだとされてきた応神天皇以前の天皇たちが実在だったこと、

 さらにはそれ以前の『神話』だとされてきた部分の神々もまた、

 やはり実在した建国の功労者たちだったことを、

 後に疑いが残らいように立証して

 『古事記』『日本書紀』(『記・紀』)が

 どんなに立派な記録だったか常識にしていただき、

 それを海外の人々にもお話しできるようにしたり、

 これまで間違って扱かわれてきた本当の先祖たちの霊に、

 心からの感謝を捧げていただきたいのである。

 人知はどんどん進む。過去の史実もそれにつれて明らかになってくる。

 人類史も万年単位で解明され、原人時代からの進化経路が明確になったように、

 世界の国々の歴史もどんどん詳細に復元されてきた。

 その根拠になった史料にも、

 「発掘考古学によるもの=例えば我が国にも、

  石器、縄文、弥生、古墳といった時代区分ができる文化変遷の証拠=

  出土品や遺物・遺跡群があり、それらの大半が全世界共通の起源をもつ人と

  文化の交流・移動・伝播の歴史によるものだったことを立証していて、

  現在の人類分布の過程と真相が判るもの」や、

 「文献史学によるもの=例えば我が国の『記・紀』や、

  中国の各時代の正史などのように、

  国や人々の動きがより具体的に記録説明されているもの」などがあって、

 今では世紀単位で明確に解明され、説明されていて、

 その大筋には全く疑問の余地がない。

 それらによれば、いま日本と呼ばれている国に住む国民も、

 永い年月の間に世界各地からの移住者が次第に融合したもので、

 決して地球誕生の初めから、

 日本列島だけに発生して、現在まで住み読けたという、

 かつて『単一民族』

 (などという、実在しないものへの「いい加減で幼稚な」名称)で

 呼ばれたような、孤立した、

 不可解で奇妙な集団ではないことは、小学生でも判る。

 『記・紀』が書く「天地初発」の時に、そこに発生した神々が、

 日本人の唯一の先祖であり、

 海をへだてた国の国民は、たとえお隣の韓国や台湾の人たちでも、

 絶対に血のまじわらない

 「赤の他人」「異民族」なんだという、戦前の「神国思想」が

 どんなに愚かな妄想に過ぎなかったか、よくお解りになっているはずである。

 それなのに現実には、昭和末に時の首相が、

 「我が国は単一民族国家だ」と発言して平気でいたという哀れな現状であり、

 かなりの数の国民が、今も、それに近い認識しかもっていない。

 それは国史学が『記・紀』さえ正しく読めない人々によって占領され、

 学生たちはいい加減な解釈を教育され続けてきたからである。

 現状では肩書きは何の権威ももっていない。

 ことに建国史に関して過去の知識はマイナスだったことが、

 本書をお読みいただくと、簡単、明瞭に、即座にお解りになる。

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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2012年10月17日水曜日

建国史のタイトル



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録34:3~8頁

 《建国史のタイトル
 「建国史のタイトル

 この本には、

 『動かない証拠』による『最新の発見』もやさしく説明してある。

 だから我国の『建国の真相』から、

 『古事記・日本書紀』の実体まで、

 これまでは常識とされてきた歴史観が、まるでひっくり返ってしまう。

 文部科学省は、

 応神以前の天皇たちをウソだと除外してきたが、それは大変な間違いで、

 応神以前の全天皇が実在だし、「神話だ」としてきた部分こそ、

 当時の人類中でも最高の英知で説明した、

 素晴らしく高度の『寓話』であって、

 いまテロや大戦に怯える現代人類にも必要な

 政治哲学だったことが完全に判った、

 凄い内容をもっていたのである。

 それでも祖国の建国史など知らなくてもいいか?

 グローバル化時代の今、

 外人に「日本人とは?」と、

 たずねられても答えられないようでは恥ずかしく、

 日本人全体までバカにされ軽視されてしまう。

 いまでは21世紀人の常識として、

 国籍に関係なく必要な知識なのだ。

 自分の国の初めぐらい知っていなくては、とても文明人だとはいえない。

 私たち日本人は、偽造されたニセ者の神を拝んできたわけではなかった。

 神々はこの国を建設した実在して生きていた先祖たちだった。

 敬意をはらい謝恩して当然である。

 それを、

 「応神天皇以前は神話だ実在しない」などとニセ者扱いするのは、

 余りにも失礼で愚かな許せない行為である。

 ではその「今こそ必要な真理の寓話」とは、どんなものなのか?。

 それはイザナギ神話と呼ばれてきた。

 これまでは、

 それを『野蛮で卑猥なセックス話だ』とまで誤解し、

 解説酷評する学者がいたが、

 事実は、間近かに迫っている滅亡の危機を回避する、

 唯一の救いの道を教える至高の真理を、

 無学な古代民に理解させるために考案された、

 古代の「聖話」だったのである。

 それは『大予言』がいう

 『21世紀初頭に出現する救世主が携行する、

  「不滅の恐るべき武器」=抵抗不可能な真理』そのものなのだ。

 この本は、それに重点を置いた。

 古代にアレクサンドロス大王を奮い立たせて、

 彼を世界最高の英雄にした。

 その真理を、あなたもよくかみしめて、素晴らしい先祖をもった子孫のお一人として、

 これからの御人生を、価値高い素晴らしいものにし戴きたい。

 1《あなたは祖国がいつ生まれたかさえ知らない

 2《真実を記録していた『古事記・日本書紀』

 3《『記・紀』をダメにした愚かな「読み方」

 4《先祖はいつ?どこから?まで判る凄い記録!

 5《漢文『記・紀』は中国向けの「逆翻訳書」

 6《「天地誕生」は中国寓話の引用

 7《天皇の名は個人名ではなく『名乗り』

 8《証拠は『宋書』の「倭の五王」記録

 9《『古事記』の証言:イサナキは履中天皇

 10《卑弥呼はイサナミ

 11《倭人政府の人々は全部『記・紀』に一致

 12《イサナキとは戦さの君=軍君という名乗り

 13《スサノオも倭(イ)・須佐之男(イッサノ王)=軍君

 14《歴代のイサナキ・リスト

 15《「欠史天皇」が「実在天皇」だった証拠

 16《「応神以前の天皇」全部「実在」

 17《入彦とは?、別とは?、葛城とは?、河内とは?

 18《「入王朝・別王朝・葛城王朝・河内王朝」説は全滅

 19《天地初発・神代の神々は全部、天皇家の偉人たち

 20《「歴史上の実在者+自然現象名」だった神話の神々

 21《スメルとギリシャとインドの神々

 22《神名から生まれた古代座名

 23《名乗りが立証している各天皇の都

 24《磤馭盧=インヂィラ=帝柱=津名も柱⇒天の御柱

 25《イサナキは大元帥=「草取り屋」

 26《女帝は農産の指導者=「村負う母」

 27《イサナキの語源イシスン王⇒石垣・石の上・伊敷・五色

 28《イサナミの語源イシス女神⇒石津、伊勢

 29《天孫族はいつ?どこを通って来たか?

 30《点々と残る遷都の跡=地名と人と伝承

 31《卑弥呼を追ったストーカ仲哀天皇=ソナカ

 32《神々に分裂したソナカの史実

 33《なぜ?ソナカは天の日矛や天稚彦か?

 34《皇祖に加わったアソカ王統の血

 35《ソナ家・阿蘇火山・阿蘇家・飛鳥=蘇我

 36《系譜だけ残った8天皇、蘇我が焼いた建国史

 37《倭人は「母国=ウバイド」への当て字

 38《スメラギもスメラ御国も「住む」も皆、スメルが語源

 39《ウバイド遺跡が世界の灌漑農業と女帝制の発生を立証

 40《稲作が生み出した世界帝国⇒その最終の首都が我が国

 41《大遷都を支えたのは最古のカルデア天文学

 42《高麗人(カリエン)と貝貨幣と商業帝国『殷』

 43《豊かな農耕漁業文明で開拓遷都し続けた「倭人」

 44《我が国の紀元は8000年前

 45《彼女も天照大神だった歴山天皇の母オリンピアス

 46《種子「撒けドン」の国=マケドニヤ⇒馬毛島(マケド)・種子島

 47《日本語に充満しているギリシャ・スメル・パーリ語

 48《八幡(ヤバーナ)とはギリシャ人。淡路島(アフロジ)は美の女神アフロヂテ

 49《淡路島はなぜ?「国生み」の島か?

 50《「倭の五王」の「国生み」の史実と証拠郡

 51《ウサギの名が教える仁徳天皇の国作りコース

 52《イサナキの名をもつ磐の姫皇后

 53《九州から出ない応神天皇の都と淡路島との関係

 54《天草と淡路島の地名が教える大和朝廷の発展と遷都

 55《移動跡の地名が教える、その名の由来

 56《応神天皇の最大のナゾ『名替え』の真相

 57《滅びなかった天皇家。8000年続いた『万世一系』

 58《天皇とは天竺(インド)⇒倭天(ウチナー=沖縄)皇帝の意味

 59《『神』カミ=お上=大神。シン=シンドゥ=インド

 60《『神』カミ=お上=大神。シン=シンドゥ=インド

 61《シンドゥの語源はスメルの月の女神「シン=海の支配者」

 62《海=アマ=天=海国沖縄=大天(ウチナー)⇒天神

 63《天照大神は斉明天皇までの女帝制大国・倭国の歴代女帝

 64《男帝性化は小国日本(クマソ)皇子・天智天皇の大化改新

 65《復旧したのは大天=大海人(ウバイト)皇子=天武天皇

 66《淡路島に現存する女性上位の皇居跡神社と天の御柱

 67《御柱は船。海人の遠い故郷はフェニキヤ(船木屋)

 68《「戦争か、平和か」だった岐・美2神の争い

 69《歴山大王家のギリシャ最大の悲劇も岐・美2神の争い

 70《「天皇名の末尾=首都名」が示す大和朝廷の証拠郡

 71《淡路島と周辺に大量にある「国生み」の証拠郡

 72《八紘一宇=グローバル化の大理想に、いま開眼した人
 
 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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