2011年5月31日火曜日

この発見が、どんなに大きな大問題を解くか

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:9頁

大学院講義録18では、

シベリヤが日本語地名で充満して覆われている事実が、

しっかりご確認戴けた。

同時に、

殷代に東アジア全域に『干支圏』があり、

それが国土の範囲を表現していた史実も、

また九州から北海道に至る各地に、

同じ『干支圏』が実在していた事実もご覧いただいた。

今回はそれをさらに補足するものを挙げた上で、

この発見がどれほど大きな史学の大問題を解くか、

在来の『記・紀』観の誤りをどんなに正すか、指摘してご覧にいれよう。

我が国の考古学界では、産地の限定された石器が、

かなりの遠隔地にまで分布しているのに注目して、

当時、それらを運んだのは、それらの使用者自身ではなく、

それを運んで売り歩いた「商人」がいた証拠だと考え始めている。

しかし彼等がいう商人とは

「物を販売して生計を立てている人々」というだけの意味で、

それがどんな人だったか、まるで知らない。

しかし私たちはその「商人」が文字通り

商国の国民とおなじ人々=殷人」だったことに、

はっきり気付いている。

というより、

縄文時代から「商行為」をして生活することを知って、

それを大規模に実行していた人々=高度の科学知識をもち地球の大きさを知り、

それを活用して、

稲敷から2200kmきっかりの北緯36度線上に

殷・商の都を置いたほどの知性人たちで、

今の私たちに近い世界観をもち、

平気で遠隔地を往来していた人々だったことを知っている。

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2011年5月30日月曜日

講座をミステリー・サスペンスに終わらせないために

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:8頁

以前、正会員・柳原広彰先生は、この問題について嘆かれた。

「本講座は在来の史学とはケタ違いの高さをもち、

日本人を救う唯一の必須教養なのに、

今の日本でこれを本当に理解できる人は少ない。

これが常識になるには、10年…、いや50年かかるのではあるまいか?」

最近入会された宮部晃一氏も、バックナンバーが届くなり電話で

「興奮しています。読み始めたら止まらない。

これまで群書を読み漁ったが比較にならない。

しかし残念だが、今の日本でこれを本当に理解できる人は少ないと思う」

というお言葉を戴いた。

言語復原史学会には公立大学の権威や先生方も多いのに、

私が敢えて繰返し『明治国史』や史学界の現状を批判するのは、

世界の情勢悪化で、

個人のご感情を気にしている余裕がないからだと先生方もよく衡存知だからである。

かつて「講義録に、こんな弾劾は不要ではないか…」というご批判も戴いたが、

なぜ私たちは父祖の真実を知る必要があるのか、

よく認識して戴かないと、

本講座は単なるミステリー・サスペンスものの1種で終わる。

それは余りにも愚だ。

だから皆様がご担当のご講座などに、

なにとぞ本講をご活用戴くようお願いしてやまない。

余談が長過ぎたが本題にもどして、

次はこれまでの成果が、

私たちの先祖たちが、

いつ、どこを通って我が国にやってきたか、

その解読システムと証拠群をご覧にいれよう。


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2011年5月29日日曜日

身近に迫る緊急事態を防ぐ急務=旧式国史観の一掃

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:7頁

身近に迫る緊急事態を防ぐ急務=旧式国史観の一掃

遅れに遅れた史学の現状を、

加治木義博が常に歯ぎしりして訴え続けるのは、

彼等の行為が私たち国民に加える被害が余りにも大きいからである。

それと同じものが、どんなに戦前の国民と世界に大きな被害を及ぼしたか、

そして今なお国民にさらに大きな罪を重ね続けているか。

私たちはそれと、

交通や情報技術の変化でどんどん小さくなった地球環境の中で、

様々な口実をつけて

パレスチナやアフガンやイラクなどへの侵略を許している国際社会の現実とを、

考え合わせる必要がある。

それはやがて、かつての大日本帝国が残した間違った国家観や、

遅れた人道思想にも必ず矛先を向けてくる。

それを僅かに防ぐ方策は、

私たちが、全人類に信頼される教養と道義を身につけて、

世界と一体になるグローバル化以外の選択肢はない。

なのに何故。

今、身近にみる異様な近隣の独裁国以上に、

異様で暗黒そのものだった戦前の我が国の、

その恥部だった野蛮な『明治国史』を、

それも応神天皇以前を抹消するというお粗末な改悪までして、

国民に押しつけ続けているのか?。

それには深い理由なんかない。

学生から教授へ、重役へと進む出世コースが、

中世中国の腐敗を極めた科挙制度(かきょ)そのままで、

恩師?どもに支配され縛られているからだと、

外部からは岡目八目で実に鮮明に見えている。

それは肩書きで廃し、

私利私欲に狂奔する輩(やか)らが生み出した一亡国現象に過ぎない。

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2011年5月28日土曜日

真実の歴史だけが立証できる天皇政治哲学の高さ

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:6頁

真実の歴史だけが立証できる天皇政治哲学の高さ

この「八紘一宇」というスローガンが表現する我が天皇家政権は、

和をもって尊しとする」政権だった。

その代表者・聖徳太子は仏教王であり、

蘇我氏(ソナカ)とはソナカ氏、

すなわち足仲彦(ソナカ)・仲哀天皇

息長帯姫神功皇后卑弥呼壹與の直系である。

同じく直系の聖徳太子厩戸皇子(ウマコ)で、

もう1人の支配者は蘇我馬子(ウマコ)、

どこからみても同名の同時存在者は2人ではなく1人で、

太子は卑弥呼以前からの仏教徒王の血を継ぐ万世一系の後継者なのだ。

太子はその「八紘一宇」の本質的な矛盾に気づいていた。

だからこそ「以和以貴」を国是に掲げたのである。

これと同じ水準の、高い哲学の産物が、

イザナギ・イザナミの天の御柱めぐりだ。

それはアレクサンドロスの両親の争いと全く同じものである。

ところが女性に従うとまともな子(国生み」だから国)は得られない。

という男王側の主張が通る。

これはアレクサンドロスの思想であり、

それを継承したのが神武天皇だとしているのである。

在来の国史学が、触れることを恐れ続けてきた

ギリシャ人政権や仏教教主・アマテラス=尼寺主(アマテラス)の存在は、

こう見てくると欠くことのできない最重要史実だったのである。

なぜならそれだけが、日本人の血の正しい証明であり、

我が皇室の政治哲学が人類最高の域に達した非常に高度のものだった事実を、

世界の人々に立証できる唯一の証拠でもあるからだ。

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2011年5月27日金曜日

ギリシャ人到来はアレクサンドロス東征以後

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:5頁

アレクサンドロスのその行動は、

深い「心の傷」が爆発したものだった。

ご記憶と思うが、

父のピリプ(フィリップ)は小国劣等感患者で、

領土拡大にのめりこみ、外征に明け暮れた軍人王だった。

母のオリンピアはピューティアで、愛と平和を説く女性であり、

残酷を誇る夫を許せなかった。

その不和がついに昂じて、母は父を暗殺させてしまった。

事情はどうであれアレクサンドロスには。

癒えることのない心の傷を負わせた人間極限の悲劇だった。

彼は、日夜接していた母の、

父の非行を憎み悲しんでいたその悲願をかなえようとして、

しかも父の残したDNAの命ずるままに、

母の平和世界実現の悲願を、

父がとった忌むべき手段「征服」によって果たそうとした。

戦争は国が分立していることから起こる。

世界から国境をなくせば戦争はなくなるという考えに、

凝り固まってしまったのだ。

「母の理想世界を実現するために、父が残した軍隊と戦略を使う」という、

全く矛盾した2つのDNAが合成した唯一の進路が、

彼の東征の本当の原動力だったのである。

神武天皇が唱えた「八紘一宇(はっこういちう)」、

「八紘(天の下全域)を覆って=(天を尾根にした)、

一宇(一軒の家)にしよう!」というのは、

このアレクサンドロスの思想そのものである。

だからギリシャ人が来た時期は、

間違いなくアレクサンドロス東征以後なのである。

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『五彩圏』は人類最高の思想の産物

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:4頁

飛鳥のキトラ古墳の四神図壁画は有名だが、

その意味を取り違えて、

中国文化だ、高句麗古墳の真似だといっているのは、

その被葬者が中国人や高句麗人である可能性を、否定していないのである。

また半分は確かな事実でもある。

この古墳の近くにある高松塚という名は、

「高国津(マの)」であって被葬者が高句麗の支配者であると、

はっきり言っているからだ。

これは高句麗が我が国の領土の一部で、

歴代天皇の支配下にあった事実を知る私たちには、

当然のことで何の違和感も感じないが、

まだ史実に無知な人々はビックリ仰天すると思う。

そして神経質な人たちを無駄に混乱させる。

だからこそ『五彩圏』や『干支圏』の史実を、

1日も早く、国民の常識にすることの重要さを、

思わずにはいられないのである。

ことに「以和以貴=和をもって尊しとなす」という人類最高の思想が、

聖徳太子の発想でなく、五彩圏思想の根幹だったことは、

一日本だけの問題ではなく、

人類史上の素晴らしい灯(ともしび)であり、警鐘でもある。

なぜならそれは空想の産物ではなく、

アレクサンドロスの悲願だったからである。

彼の東征は単なる野蛮な征服欲からではなく、

清純な青年が父母と恩師の理想を実現しようと無謀に近い闘いに乗り出した、

人類近代化への門出だった。

神武天皇の「八紘一宇」は、このことが理解できなければ語ることはできない。

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『干支圏』や『五彩圏』と正反対の中華方位思想

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:3頁

大学院講義録18では、

我が国からシベリヤにかけて

干支圏』が広く分布している事実が理解できた。

しかし、その中心には中国があるから、

これだけではまだ、

それを中国発祥の古代文化だと錯覚する人が、

あるかも知れないと思うので、

この点をもっと明確にしておこう。

中国の方位観は、多くの史書が書く

東夷

北狄(てき)

西戎(じゅう)

南蛮」の四方位で、

中央に「中華」がくる。

そこにあるのは皆「夷狄(外敵=蛮人)」の代名詞で、

獣の名も色の名の片鱗もない。

強いていえば蛮人を獣なみに見ていたと言えなくもないが、

四神』の獣は竜も虎も只の獣ではない。

竜は中国人が帝王の象徴とし、

他の鳥獣も尊い神霊として崇めてきたものばかりである。

中心が全く逆で根本的に違っていることを見落としてはならない。

それは中国の方位圏が、国家の構成を示すためのものではなく、

国家として認めるのは、

中央の「中華」だけであって、

四囲に居るのは全て蛮族だという、

他をけなして自国だけを誇示しようとする

「劣等感の産物=中華思想」が生んだ方位観だからなのである。

だから中国のそれは「敵」を明示した「闘争思想」の表現であり、

我が国のそれらは全て「和の思想」の産物だという違いがある。

この「ワ=和」が、聖徳太子の時代まで一貫した国家理想だったからこそ漢音

ウワイ」の倭を「ワ」と訓読することにもなったのである。


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「執筆者Ⅹ」とは誰か?

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録18:32頁
言語復原史学会・隅田真也

⑥ 中央集権の為の国史編集という大枠は、当然その執筆者Ⅹも、よく心得ていた。

それは彼が書いた

「歩驟は各々異なり 文質また同じからずと雖も」という、

実に短い言葉でうまく表現している。

時を余り隔てることなく、

ほとんど同時期にできた『日本書紀』と『古事記』だが、

それには大きな違いがある。

と指摘しているのである。

それは在来いわれてきた『日本書紀』は漢文体、

『古事記』は音訓混用体といった違いも確かにあるが、

そんな小さいことよりも、

天皇、国家、政治、道徳、信仰といった根本的なものの違いが問題だと、

それとなく指摘して、衰えた教えを再興しましょうと、

むしろ天武天皇に教えている。

これは正五位の小役人に過ぎなかった太安萬侶ごときに書ける内容ではない。

⑦ では、この執筆者Ⅹとは一体?誰だったのか?…。

幸い私はそれを徹底的に追及して、突き止めることができた。

その名をここでお話しすることは簡単だが、それでは在来の学者と同じである。

本学の傑出している点は、

答が絶対に変わらないところまで徹底し、

後に僅かな疑問も残さない不動の史実を、

立体的に構築するところにある。

ところが私はいま、

与えられた紙数をすでに超えている。

本講のご都合にあわせて、次の機会に寄稿させて裁くことにするしかない。

その節は是非ご笑覧戴きたい。

日本書紀
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古事記
古事記 
太安萬侶
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天武天皇
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2011年5月26日木曜日

この『古事記』序文の真相を補足する別の視点

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録18:31頁
言語復原史学会・隅田真也

これは単に、

「『古事記』序文の筆者は太安萬侶か?」

という疑問で終わる問題ではない。

それを思いつくままに書き出してみると、

この『古事記』序文の真相が教える真実とは

① 712年成立の『古事記』よりも早く、天武天皇正史として『日本書紀』が完成していた。

② だから720年『日本書紀』成立というのは完全に間違いで、成立とか撰上とかの

過去の用語が、根本的に曖昧、かつ無考えな、幼稚なものだったのである。

③ 『古事記』序文の筆者はもちろん、

『古事記』の編集者も、

『日本書紀』を先に読んでいた可能性が大きくなった。

④ 序文の筆者は1人ではなく、安萬侶の他にも執筆者Ⅹといった人物がいたようにみえる。

⑤ 天武天皇当時の原『日本書紀』はもちろん、後で世に出た『古事記』も、

中央集権の為の国史編纂という大枠から生まれたものであったことは疑いない。

だがそれならなぜ?

異なった対立する記事があるのか?

史料は果たして共有だったか?

疑問が次々に湧く。

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どう見ても『日本書紀』を続んだ後のもの

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録18:30頁
言語復原史学会・隅田真也

『日本書紀』           『古事記』序文     

一物 虚中に在り 状貌言難し    誰か その形を知らむ

天先成りて 地後に定まる      乾坤初めて分れて

開闢の初めに~便ち神化成る     陰陽ここに開けて二霊群品の祖となる

左眼を洗う➩天照大神 右眼➩日 月 眼を洗ふに彰れ

月読尊 

洲壌の浮き漂う~一物生まれ     海水に浮沈して 神祇 身を滌ぐに呈われ

天下を撥げ平むけて八洲を      天下を平むけ 小濱に論して国土を清めき

奄有す   

父(ホ)瓊瓊杵根尊          番(ホ)仁岐命(『古事記』は番邇邇芸命)

「神武紀」 始めて秋津島の     神倭天皇 経歴 于 秋津島
号有り  

「神武紀」 墨坂に焼き炭を置く   烟を望みて

(神武と天武が速津飛鳥に都した)  勒 于 遠飛鳥

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月読尊
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秋津島
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『古事記』序文の文章と『日本書紀』にある原典

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録18:29頁
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『古事記』の序文は、

表現を飾るために神話や歴史上の事件を、

例として引いているが、

それらの事件や用語は、当然の事ながら、

本来なら『古事記』から引用されなければならないのに、

このリストに挙げたように、

『古事記』には全く無く、

『日本書紀』にしか載っていないものが、

次から次へと引用され続けているのである。

ここには2~3だけ掲載して大部分を省いたが、

筆法や記事のクセまで取上げれば、

実におびただしい量になる。

ところがその序文の筆者が、なんと!、

これまで『古事記』を編集したとされてきた

「太安萬侶本人」だということになっている。

それが正しいのだとすると、

これは余りにも奇妙、

不可思義きわまる事実だという他ない。

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『古事記』成立は『日本書紀』より後

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録18:28頁
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『古事記』の序文は、何と『古事記』にではなく、

『日本書紀』に対応している!…。

後の一覧表にあげた通り、

この序文は『日本書紀』から文字、文章、成語といった表現を、

多数引用しているために、そうなるのである。

従来、史実として疑う者のなかった、

712年『古事記』成立。

720年『日本書紀』成立という常識は、

『古事記』が『日本書紀』を読んだ後でないと書けないはずの

「序文」をもっているというこの事実によって、根底から崩れ去ってしまった。

それも1~2か所ではない。

本講ではごく簡潔にお話しするしかないので、概略だけお話しして、

あとはリストにしてご覧いただくことにした。

序章はどう『日本書紀』に対応しているかを簡単に比較してご覧にいれると

『日本書紀』  「天地 未だ 剖れず」 「混沌」「垂濁之疑」(神代上・天地剖判)

『古事記』序文 「気象 未だ 効しなく」「混元」「既に凝りて」

といった調子で、僅かに変えてはいるが、同じことを同じ筆法で繰り返し述べている。

これは先に『日本書紀』があって、

それに対する賛辞、

あるいはお世辞として、

引用を繰り返すという、

上表文の常套手法である。

なのにその序文がついている

『古事記』本文には対応するものがない。

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2011年5月19日木曜日

成果測定段階に人った本講座とご寄稿のお願い

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録18:27頁

在来は『日本書紀』より先に『古事記』が撰上されたものとして、

疑う者はいなかった。

しかしさきに隅田正会員が寄せられた玉稿は、

それが全く逆であることを次のように鮮明に立証して疑問を残さない、

過去の定説を全て葬り去った凄いものである。

これは本学会が在来の史学界より、

いかに高度か、

その威力をまざまざと見せた偉大な業績なので、

是非会員の皆様に速やかにご紹介申し上げたいと思い。

お許しを得てその要約を、

今回の主題の段落を活用してここに掲載することにした。

それはこれによって会員の皆様のご研究ご発表のご意欲を高め、

より多くのご投稿を期待したいためである。

本講座は、あくまでご執筆の指南が目的なので、

その効果がどんな形で現われているかをご覧に入れ、

講座に対するご注文なども頂戴しながら、

より良いものに高めたいと考える段階に進んでいる。

実は奥村芸術文化会会長始め他の会員諸賢からも

早くから玉稿を頂戴していたが、

時期的に早きに過ぎたのでご高覧に供することができなかったが、

講座も予定通り今段階を迎え、

生きた学会活動に入ることになったので、

順次掲載させて戴き、

本学がいかに超越して史学の頂点に立っているかを世に問いたいと思う。

この趣旨にご賛同の会員諸賢はどんどんご高見をお寄せ戴くよう、併せてお願い申し上げる。

芸術文化会
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2011年5月18日水曜日

どこが間違っていたか?過去の古代史と日本人観

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録18:26頁

こうして、先祖たちが日本列島から大陸へ大移動した事実が、明確に確認できてみると、

在来の考古学や人種学や言語学や神話学などが、

古代日本文化は一方的に海外から流入したとして、

少しも疑問をもたず平気でいたのが余りにも大きな間違いだったことが、

ありありと見えてくる。

それを象徴的なほど立証している1例が下の図である。

我が国の古代史は、最も根本的なところで、

異常なほど重症の劣等感患者たちに牛耳られていたのである。

そんなことが当然の事のように横行していたのは戦後だけのことではない。

我が国を世界に冠絶した国と称して

(実は鎖国で世界の文化水準から取残されていた哀れな国だった)

世界で通用しない国体論を看板にした劣等児たちが、

国家を詐欺の材料にしていたことが禍根なのである。

徳川の罪も重いがそれ以上に、

亡国思想の徒が祖国を食い物にした罪は永遠に消えない。

岡正雄系統図(一部修正)

① 世界的秘密結社的栽培民文化
世界的秘密結社的栽培民文化
世界的秘密結社的栽培民文化

② 母権的稲作民文化
母権的稲作民文化
母権的稲作民文化

③ 父権的乾畑農耕民文化
父権的乾畑農耕民文化
父権的乾畑農耕民文化

④ 男性的年齢階梯制漁撈農耕民文化
男性的年齢階梯制漁撈農耕民文化
男性的年齢階梯制漁撈農耕民文化

⑤ 父長的支配者文化
父長的支配者文化
父長的支配者文化

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2011年5月17日火曜日

史実を曲げ続けてきた「渡来説」の元凶たち

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録18:25頁

この小さな刀子が、これまで見てきた干支圏が何だったか?。

実に強力に見事に証明して見せてくれているのである。

この刀子の祖型は何か?。

亀ガ岡の石刀よりも遥かに古い縄文草創期に、

新潟県小瀬ケ沢や同県本ノ木などから、

小指ほどの細くて薄い石材を、

さらに両面を細かく剥離して、

まるで小刀のように刃をつけたものを、

木の枝や骨に彫った溝にはめ込んで、

手頃なナイフとして使う「植刃」が出土している。

また小瀬ケ沢では、その刃先を尖らせたような形の「石錐」も出土している。

これらが後の唐製石器の石刀になり、刀子になるのは容易である。

さらに「植刃」以前の無土器文化=石器時代に、

シベリヤと共通牲の多い細石器文化が、

九州から北海道に至るまで、広く分布している。

シベリヤとの交流は新石器時代からのものなのだ。

だから『干支圏』は後世の文化でも、人の交流の歴史は永い。

常にシベリヤから日本列島へ一方的に移ってきたわけではない。

それを知らずに発掘先進国の業績に眠が眩んで、

常に「シベリヤから○○期の××石器がはいってきて…」と解説してきたために、

前記のウラル…アルタイ語と同じ間違いを押しつけた学者?が続出して、

『干支圏』の実在とその歴史の真相を見抜く眼を育てることを妨げ続けてきたのである。

恐ろしいことだ。

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2011年5月16日月曜日

この大『干支圏』を立証する発掘考古学の成果

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録18:24頁

それを立証するものは幾らでもある。

縄文土器と呼べるものはシベリヤにも僅かにあるが、

その大文化圏は日本列島である。

それは世界にも例をみない複雑怪奇な火炎文土器に発達し、

世界の土器文化の頂点に立つが、

同じ思想と技法で古代銅器文化の頂点に立っのが殷の青銅器なのである。

それがなぜか?を教えているのが

「殷人は東夷から起こった」という中国の古代伝承である。

『史記』の『殷本紀』も高祖王は亥(猪)という名だと書いているから、

初代から干支名を名乗っていたことがわかる。

初期の殷人は東方の草原地帯で牧畜をしつつ黄河流域に移動して来たとも書いてある。

中国人は大量の古代伝承を残している。

夏・殷のものは『山海経』的な怪談が多いが、

事実は事実として後世に伝えている。

殷の青銅器中で注目を要するのは

「刀子(とうす)」と呼ばれる小刀である。

これは鎌で、

日本刀とは逆に刃のほうに曲っているので印象的である。

この独特の形をした青銅の刀子が山形県三崎山からも出土し、

シベリヤのカラスクでも青銅製のものが見つかっている。

そしてその祖型といって間違いないよく似た石刀が青森県亀ガ岡から出土して、

私の殷人移動説の根拠の1つになっている。

「図説」

青森県亀ガ岡の石刀・山形県三崎山の青銅刀子・殷墟出土の青銅刀子」

殷人移動説の根拠
史記の殷本紀
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山海経
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刀子(とうす)
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2011年5月15日日曜日

日本語は「北方騎馬民族」がもってきたのか?

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録18:23頁

しかし大学院講義録18号でご覧に入れた『干支圏』研究がなければ、

日本語がウラル…アルタイ語文法だという比較言語学の定説は、

日本人の言語を支配するほどの強力な勢力が、

ウラル…アルタイ地方から日本列島へやって来て、

支配し続けた結果だと思わせても無理はない。

しかし江上説のように5世紀に日本列島へ侵入して大和朝廷を造った勢力

《私たちの研究では、いま主題に取り上げている『倭の五王政権』》が、

そのウラル…アルタイ語を話していたであろう『北方騎馬民族』だ。

果たして、それ以前に日本列島全域に分布していた言語を、

この政権が完全に抹殺して、入れ替えることができたであろうか?。

今の日本語は発音やアクセントには地域差が大きいが、

その語順=文法はすべてウラル…アルタイ語である。

しかし1872年明治政府が学制をしいて、

津々浦々にまで義務教育を課し、

標準語を教え続けて130年以上経っても、

日常語は古い土着語だ。

ましてやそんな問題に無関心な5世紀の政権が、

列島全域にウラル…アルタイ語を教えることなどありえない。

さらに5~7世紀の朝廷は関東以北には無力だった。

なのにそこもウラル…アルタイ語圏なのだ。

だからウラル…アルタイ語は五王とは無関係で、

太古から東アジヤに広く濃厚に分布していた言語だ。

それをウラル…アルタイ語と呼ぶから、

そんな幼稚な想像説が生まれたのだ。

北方騎馬民族
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ウラル…アルタイ
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倭の五王政権
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