2014年4月30日水曜日

古賀:小鳥信仰の里(1)


 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:597頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 古賀:小鳥信仰の里(1)
 
  インドの紀前の理科学知識は五明学といわれ、

 その中に医薬学を取扱った医方明 cikitśa-vidyā があった。
 
  cikitśa は「治療、医学」 、vidyā は「知識」を表わす。

 医方明の概略は第八章で説明した。

 また、神々の中にも医療神がおり、

 薬草が繫るカイラーサ山に住むデーヴィ女神、シヴァ神、

 さらにアシュヴィン双神は特に人間の間で

 医療活動をする神として知られる。

 同神は曙の女神ウシャスの双子の神で、

 馬車を駆って天を走り密を振り撒くといわれる。

 ソーマ祭においては信者から献貢されたソーマ酒のお返しに、

 彼の特別な供物スラー酒と密が配られた。

 その徹宵祭に彼に捧げられるアシュヴィン讃詠が唱されるが、

 その詠唱者のバラモンは鳥の衣裳を着けるという。

 医療と鳥は強く結びついているのである。

 ヴェーダの讃歌の病魔払いに小鳥は欠かせい演題である。

 《Key Word》

 五明学
 五明学

 カイラーサ山
 カイラーサ山

 カイラス山(Kailash / Kailas)、
 または 
 カン・リンポチェ(チベット語: གངས་རིན་པོ་ཆེ་、中国語: 岡仁波齐峰)は
 チベット高原西部(ンガリ)に位置する独立峰。
 サンスクリット名は
 カイラーシャ・パルヴァタ(कैलाश पर्वत Kailāśa Parvata)。
 カイラーシャとはサンスクリット語で水晶を意味する。
 この名称が英語等へ伝わった Kailash / Kailas が、
 日本語における名称「カイラス」の直接の由来である。

 デーヴィー女神、シヴァ神、アシュヴィン双神

 ソーマ祭
 ソーマ祭

 アシュヴィン讃歌
 アシュヴィン讃歌

 《参考》

 前人未到の道を行く - 邪馬台国・奇跡の解法 - Gooブログ
 古代史獺祭

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

相模:ドゥルガー・プージャーの里(8)


 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:596頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 相模:ドゥルガー・プージャーの里(8)

 寒田神社では特にこの技術が重要である。

 延喜式神名帳のいう足上郡の「足」は

 サンスクリットの「刀、剣」を表わす asi に由来し、

 その後の郡名「足柄」は asi-kāra に依るもので

 「刀鍛治」「刀工」を意味する。

 松田町の隣り開成町延沢にある酒田神社は

 明治期田居神社と称される」など

 伝承の明確でない神社であるが、

 酒田が古くから言伝えられた社号とすれば、

 これもサンスクリット語の śakti の転訛で

 「刀、槍、戈」を表わす。

 相模には名刀工として知られる正宗を代表とする

 相州物刀工たちの伝統がある。

 その根源は古代の祝(はふり)の人々により

 鍛冶技術にあったと考えられる。

 松田の名称はマタ matha で

 「祭祀者の居住地」に依る。
 
 南足柄市の足柄神社がある辺りは、かって丸山であったが、

 mallar で金属工を意味する。

 足柄の柄、狩野の狩、苅野の苅は kāru で職工、工匠を表わす。

 同市の西には金時山がある。

 金太郎の伝承地で、彼が担いでいた斧は戈であり、

 鍛冶工の里に相応しい持ち物である。

  相模国は大山を中心とする祝祭に係わる大文化圏である。

 《Key Word》
 
 酒田神社
 酒田神社

 金時山
 金時山

 《参考》

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 古代史獺祭

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部




Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

2014年4月28日月曜日

相模:ドゥルガー・プージャーの里(7)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:595頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 相模:ドゥルガー・プージャーの里(7)

 大山を挟んで伊勢原の西側が秦野市となる。

 和名類聚抄の「幡多」である。

 この名称の祖語を hotr と考える。

 同市の北に菩提があり花鳥神社が鎮座している。

 二つの名称はホトールの転訛であり、

 大山信仰の祭官の一者が居住した地とみられる。


 さらに秦野市の西隣り足柄上郡松田町惣領に鎮座する

 寒田神社は延喜式神名帳足柄上に載る神社で

 「佐無多、佐武田、佐牟太」などと表記され

 「サムタ」と訓読される。

 社伝では仁徳天皇3年11月の創建とされる古社である。

 祭神は現在、倭建命などとされているが、

 本来の祭神名は不明と言ってよいだろう。

 サムタは祭官の一つサンスクリット語 śamitr の転訛である。

 彼等は祝祭において犠牲獣を屠殺し、解体し調理する祭官である。

 śamitr はまた鍛冶屋である。

 なぜ鍛冶屋であるかは、彼等が屠殺するのに使う刀

 あるいは戈を自分達で鍛えたからと考えられる。

 《Key Word》

 花鳥神社
 花鳥神社

 寒田神社
 寒田神社

 《参考》

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 古代史獺祭

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年4月27日日曜日

相模:ドゥルガー・プージャーの里(6)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:594頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 相模:ドゥルガー・プージャーの里(6)

  大山地区の南の地区は三ノ宮と呼ばれている。

 延喜式神名帳に記載され相模国三の宮と称された。

 「比比多神社」が鎮座しているからである。

 ヒヒタについては和名類聚抄が

 同地を日田郷であったことを示唆している。

 「日田」はヒタないしピタであるが、

 「ヒータ、ピータ」であったと考えられ、

 それを「比比多」と表記したものとみられる。

 ヒータはサンスクリット語の祭官の一つ

 vīti-hotr (神々を祭式に勧請する祭官)の vīti (勧請)に対応する。

 大山信仰を担う祭官の一者が居住していた所と思われる。

 インドの祝祭が紹介したように

 バラモン教の聖職者には数種類あった。

 
 《Key Word》

 大山地区
 大山地区
 三ノ宮
 三ノ宮
 比比多神社
 比比多神社

 《参考》

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 古代史獺祭

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年4月26日土曜日

相模:ドゥルガー・プージャーの里(5)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:593頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 相模:ドゥルガー・プージャーの里(5)

  相模はそれだけではない。

 祝祭の里でもあるのである。

 茅ヶ崎市の西に伊勢原市があって、

 そこに大山阿不利神社が鎮座している。

 大山信仰の地である。

 大山の山頂に本宮を持つ同社は大山祇神が主神で、

 同神の名称による山名であることが解かる。

 創祀を崇神天皇の時との伝承を持つ古社で、

 延喜式神名帳にも記載されている。

 その神社をなぜ阿不利と称するのであろうか。

 その理由は「アフリ」は

 「ハフリ祝」の転訛したものであることによる。

 長い間大山は雨降山として

 関東一円に根強い信仰を保持してきた。

 アフリの誕生はそれ以前の古い時代の事情による。

 第一章において

 「祝」名の強く印象づけられている神社として

 長野県の諏訪神社と

 愛媛県大三島の大山祇神社であることを紹介した。

 後者の祭神は大山祇神で阿不利神社と同じである。

 ハフリがなぜアフリになったかとの発音上の問題は、

 ギリシャの神詩を語るホメロス Homeros (語義が神詩である)名が

 小アジアのイオニア訛りで Omeros と訓じられたのと同じ事情による。

 沖縄の神歌をオモロというが、

 これも同じ理由で神を賛美することを語義とする

 「褒める」が祖語である。

 「祝う」、「言寿(ことほ)ぐ」、「言祝」、「祝詞」が本義である。

 なぜそのような事態がここに起ったかについては、

 大山のすぐ東北、

 現在の厚木市の地に証のような言語的性格を持った勢力が

 進出してきたからとのみここでは説明するに留めておきたい。

 阿夫利神社の下宮のある大山の隣りに子易(こやす)地区があるが、

 これはジエでサンスクリット語の jiya で

 「犠牲」、「神または祖霊に供物を捧げること」を意味する。

 《Key Word》

 大山阿不利神社
 大山阿不利神社

 大山祇神社
 大山祇神社

 《参考》

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 古代史獺祭

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

相模:ドゥルガー・プージャーの里(4)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:592頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 相模:ドゥルガー・プージャーの里(4)

  寒川神社初め、この地帯の多くの神社が参加して

 毎年7月15日に浜降祭が行われる。

 各神社の神輿を氏子が担いで湘南海岸の浜辺まで降り、

 海の波中に載りいれるというものである。

 その時の掛け声が「どっこいどっこい」で、

 この祭礼がかなり古いものであることを示す。

 例祭が行われる7月15日は旧暦の秋分の日の期日に近い。

 神輿を海の波間に担ぎ込む行いは

 第一章でカルカッタ(現コルカタ)のドゥルガー・プージャーを

 紹介したように祭礼の最後で

 ドゥルガー女神の神像をガンジス河に流し、

 天に帰っていただくという儀礼と同じ意義である。

 古代においては実際女神像を波に流していたとも考えられる。

 茅ヶ崎海岸の沖には姥島がある。

 これはウマー Umā 、デーヴィ神の別称で

 「輝き、美しさ」を名称としたものである。

 茅ヶ崎の古名梅田もウマーに由来するだろう。

 寒川神社では秋分の日に裸祭と称する祭礼が行われる。

 相模はドゥルガー・プージャーの里である。


 《Key Word》

 茅ヶ崎海岸
 茅ヶ崎海岸
 姥島
 姥島
 裸祭
 裸祭

 ウマー
 ウマー
 パールヴァティー(पार्वती Pārvatī)は、
 ヒンドゥー教の女神の一柱で、
 その名は「山の娘」を意味する。
 シヴァ神の神妃。
 ヒマラヤ山脈の山神ヒマヴァットの娘で、
 ガンジス川の女神であるガンガーの姉に当たる。
 軍神スカンダや、学問の神ガネーシャの母。
 シヴァの最初の妻サティーの転生とされ、
 穏やかで心優しい、美しい女神といわれる。
 金色の肌を持つ。
 ウマー、ガウリー、チャンディー、アンビカーなど別名が多い。

 《参考》

 前人未到の道を行く - 邪馬台国・奇跡の解法 - Gooブログ
 古代史獺祭

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

2014年4月25日金曜日

相模:ドゥルガー・プージャーの里(3)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:591頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 相模:ドゥルガー・プージャーの里(3)

 「続日本紀」に寒河神、

 「三大実録」に寒川神、

 「扶桑略記」に寒河大神、

 「吾妻鑑」に佐河大神などと

 記録されている。

 現在の祭神名は寒川比古命、寒川比売命とされている。

 この夫婦神名は古事記、日本書紀には載っていない。

 神名出典最古「続日本紀」の寒河は「サムカ」 であり、

 sam-krāma の 「sam-k-」の転移である。

 しかし、これだけでは半端であるが、

 後半の krāma を転移させたのが

 寒川神社のある宮山の北方の地名倉見で、

 倉見神社の名称である。

 寒川・倉見に分解されているのである。

 この地域にある馬入川はアシュヴィナの aśva が馬の意味で、

 その月に入ることより作られた名称(馬入)と考えられる。

 矢畑の近郊にある地名浜之郷のハマは祭壇の意味である

 hava,homa の転訛であろう。

 《Key Word》
 
 寒川神社
 寒川神社

 倉見神社
 

 馬入川
 馬入川

 《参考》

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 古代史獺祭

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
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2014年4月24日木曜日

相模:ドゥルガー・プージャーの里(2)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:590頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 相模:ドゥルガー・プージャーの里(2)
 
 第一章でインドの1月の祭礼

 マカラ・サンクランティ Makara Samkrānti を紹介したが、

 このドゥルガー・プージャーの祭日もバードラ Bhādra 月から

 アシュヴィナ月へ移る日である。

 秋分の日は9月23日に当たるが、

 専門的には太陽が黄道と赤道との交差の中、

 北から南に向って赤道を通過する時点をいう。

 秋の彼岸の中日で昼夜の長さがほぼ等しくなる。

 この「移転」をサンスクリット語で

 サム・クラーマ saṃ-krama という。

 saṃ-kranti は年が変わり

 新しい十二宮へ移転することをいうが、

 saṃ-krama は次の十二宮の一つへ移転することをいう。

 saṃ-kranti が日本で三九郎・左儀杖となっている実状を

 第一章で述べた。

 このドゥルガー・プージャーの祭日(秋分の日)、

 saṃ-krama を神社名にしているのが延喜式神名帳

 「相模国高座郡六座」のうちの「寒川神社名神大」で、

 相模国一の宮である。

 同社は寒川町宮山に鎮座する。

 《参考》 

 マカラ サンクラーンティ
 このお祭りは一月十四日に行われます。
 この日に太陽がヒンドゥー暦のマカラ宮(山羊座)に入るため、
 この日はマカラサンクラーンティと呼ばれています。
 この日から太陽は北半球を周 り始めます。
 聖典によれば、この日は大いなる霊的意義がある日だとされています。

 左義長
 左義長

 寒川神社
 寒川神社

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 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

相模:ドゥルガー・プージャーの里(1)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:589頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 相模:ドゥルガー・プージャーの里(1)

  ドゥルガー・プージャーはインドの祭礼のうちで

 最も盛んな祭礼の一つである。

 その内容については第一章で述べた。

 そして、ドゥルガーとは本来デーヴィ女神の別称であり、

 同女神が九州の松浦地方で

 淀姫神として祀られていることを紹介したが、

 日本の古代においてドゥルガー・プージャーの

 祭礼が行われていたことを示す地域がある。

 神奈川県高座郡がその地である。

 かっての相模の国である。

 茅ヶ崎市矢畑に本社という地区があり、

 古くは本社村で、そこに本社宮という神社がある。

 同社は信仰集団の本部を意味する本社ではない。

 この語義不明であった神社名こそ

 ドゥルガー・プージャー Druga Puja のプージャー(礼拝)を

 転訛させた用語なのである。

  本社宮の歴史は明らかでない。

 そのため最近は山田神社とも呼ばれる。

 山田は地区名矢畑に依るものであるが、

 ヤバタハサンスクリット語の yavati を祖語とするもので

 「若い、若い婦人」の意味で「処女」に当てられるが、

 ここで地名にされている理由は、

 インドの天体十二宮の一つである

 「処女宮」として使われているからである。

 漢語では「女人、美女」と訳されている。

 処女宮はインドの暦月ではアシュヴィナ Aśvina 月で、

 現在の太陽暦の九月から十月の間に当たる。

 正確には秋分の日以後の一ヶ月である。

 《Key Word》

 ドゥルガー・プージャー
 ドゥルガー・プージャー
 デーヴィ女神
 デーヴィー・マーハートミャ
 (デーヴィー・マーハートミャムとも呼ぶ。
 サンスクリット語で、devīmāhātmya(m), देवीमाहात्म्यम्, 
 「神の栄光」の意)は、マヒシャースラを倒すまでの
 女神ドゥルガーの栄光を綴ったヒンドゥー教の書物である。
 デーヴィ女神

 淀姫神
 淀姫神

 本社宮
 本社宮

 祭りや断食
 祭りや断食

 《参考》

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 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
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2014年4月22日火曜日

セレスと青龍(6)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:588頁

 第十章 天毒とセリカ

 セレスと青龍(6)

  そのほとんどは紀元後の史料となるが、

 タクラマカン砂漠の周辺からソグディアナの一帯で

 養蚕が行われた記録と実際の絹製品が遺物として残されている。

 その大生産地が

 現在ホータン(和田)というタクラマカン砂漠の西南の町である。

 第六章で既に登場させたクシャン王朝の王家の発祥地である。

 クシャン(貴霜)名の語幹について

 繭を表わす kosa があることを指摘した。

 その市名 kustana,kothan などの祖語も kosa(繭) にあると

 言ってよいと考えられる。

 漢の時代の「蚕種西遷」伝承や

 現在においても絹の生産が盛んであることをみると、

 桑の生育に適した環境といえよう。

 中央アジアからトルコにかけて繭、絹は現在でも

 kosa と呼び慣らされている。

 西王母の故郷としてカシミールまで考えられているのは、

 青龍である蚕が西方にも

 広く飼われるようになったことにも依ると思われる。

 《参考》

 タクラマカン砂漠

 ソグディアナ

 ホータン(和田)
 
 クシャン王朝
 仏像の起源

 カシミール

 玄奘に思いを馳せたスタイン:ダンダン・ウィリク

 古代ローマでは、

 中国のことを「セリカ(絹の国)」とよんだように、

 中国の絹織物は、古くから陸路を経て遠く運ばれた。

 シリアのパルミラから出土した

 漢代の錦・綾・綺(にしき あや あやぎぬ)など、

 交易路の各地点より出土した

 漢代から唐代にかけての多量の絹織物は、それを伝えている。

 しかし、中国は製品の絹織物を輸出しても、

 蚕種(さんしゅ)(蚕の卵)の国外への持ち出しはかたく禁じていた。

 そのため、こうした地域には、

 蚕種の西方への伝播にまつわるいくつかの伝説が残されている。

 タリム盆地のホータンにある

 ダンダーンウィリク遺跡から発見された板絵には,

 この地に嫁ぐ王女が蚕種を帽子の中に隠して伝えたという

 蚕種西遷説話が描かれている。

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 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部]


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ