2014年4月1日火曜日

絹の産地セリカ(5)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:562頁

 第十章 天毒とセリカ

 絹の産地セリカ(5)

 シナイはティナイ Thinae を都としていると

 伝えられている。

 この地名は前漢の時代雲南省にあった

 滇国(Dian)名に由来すると見られる。

 また、

 セリカは書経「禹貢」 などで見た東シナ海に面した

 兗州から揚州までの絹の産地を謂ったものと考えられる。

 しかし、紀元2世紀の前半においては、

 東方の地理について詳しい情報は西方へ伝わっておらず、

 その陸地の様子が不明であったことを

 プトレマイオスの世界地図は示している。

  この時期紀元1、2世紀には、

 海路を通じて大量の絹製品が

 東方からインドを経由して西方ローマへ運搬されていた。

 東方での 担い手はインドの商人が中心であり、

 漢の商人も一部参加していたことが

 漢書「地理志」に依って窺われる。

 そして、

 絹の主な取引地域が東シナ海沿岸であったかもしれないが、

 彼等の交易網が韓半島、

 九州にも広がっていたと考えられるのが

 「三国志魏書倭人伝」などの史書で確認される

 絹の産地の広がりである。

 そればかるではない。

 沖縄などの島々は

 商船の停泊地としての役目を果たしていたと

 見られるのである。

 《Key Word》

 プトレマイオス世界地図

 『参考』

 前人未到の道を行く - 邪馬台国・奇跡の解法 - Gooブログ
 古代史獺祭


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 
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