2014年4月19日土曜日

セレスと青龍(2)


 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:584頁

 第十章 天毒とセリカ

 セレスと青龍(2)

  ジャン・ノエル・ロベールは

 「ローマから中国へ」の中で、

 ローマの地理学者ストラボーンが

 バクトリアの王(メナンドロス)が

 「彼の支配をセレス人にまで及ぼした」と記述し、

 それは別の地理学者アポロドロスに依ることを述べているので、

 アポロドロスは紀元前1世紀の初めに

 セレス人について言及していたと述べている。

 メナンドロスは紀元前180年頃バクトリアに君臨し、

 163年頃には

 パンジャブ地方へも勢力を進展した

 ギリシャ人の王の中で最も強盛な王で

 「ミリンダ王」である。

  紀元前1世紀の初めに

 ローマの地理学者がセレスの存在を知ったことになる。

 そこで想起されるのは月氏の西遷である。

 彼等は紀元前176年に

 甘粛省の安定から匈奴に追われ西遷を始め、

 紀元前138年には

 バクトリアに到着し定着を始めたとされる。

 紀元前2世紀の後半に移動したのである。

 第六章月氏と秦氏でみたように彼等こそ

 絹貿易の仕掛人と考えられるのである。

 月氏は安定辺りで和氏と接触していたとみられることは

 同章で述べた、

 その際、

 和氏が絹の技術知識を持っていたかどうかについての

 疑問を残してあったが、

 第九章で嫘祖伝承により

 「和夷」である阿泥族の故郷

 四川省西方の高原が

 「蚕」の発祥地であることを明らかにした。

 《参考》百科事典マイペディアの解説

 「セレス」

 ラテン語で,古代ヨーロッパ人が

 漠然と中国人・チベット人を指すのに用いた

 (ギリシア語ではセリコス)。

 転じてその特産品たる絹はserica。

 中国人に対しては,

 インド経由の海路を介してSinaeの語も併用された。

 『参考』

 前人未到の道を行く - 邪馬台国・奇跡の解法 - Gooブログ
 古代史獺祭

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 ( アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 
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