2013年6月30日日曜日

牛祝祭(8)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:28頁

 第一章 「牛祝祭」 (8)

  記紀に載る天鈿女命の所作は、

 平安時代の11月中寅日、

 宮中で行われる例祭鎮魂祭に反映している。

 9世紀後半の貞観儀式によると、

 雅楽の演奏と唱和、

 つまり阿知女作法に則りと思われるが、

 御巫舞が奉納された。

  「御巫、宇気槽を覆せ、

   その上に立ち桙をもって槽を撞く。

   十度畢(おわ)るごとに、佰・木綿縵を結ぶ。

   おわりて御巫舞おわる。」

  古事記において天鈿女命が

 「汙気伏せて蹈み登杼呂許志」。

 日本書紀において

 「覆槽(于該)伏せ足をふみならした」場面を

 貞観儀式は上記のように記している。

 宇気槽、中が空の船形の桶を伏せ、御巫がその上に乗って、

 木製の矛で槽を撞く儀式となったのである。

 これが10世紀初めの延喜式になると、

 宇気槽が臼に、

 桙(木製の矛)が杵に替えられ、

 結果稲籾を臼に入れて木槌で撞く、

 米収穫を内容とする儀式へと変転する。

 儀式当日には

 御巫がこの米を炊いて供物として祭所に奉るのが行事であった。
 
 三叉の矛は木製の槌に変わったのであった。

 宮中行事の変転にかかわらず、

 信濃の神社では、神代鉾として古式が守られてきたことになる。
 
 《Key Word》

 例祭鎮魂祭

 貞観儀式

 御巫舞

 宇気槽

 


 

2013年6月21日金曜日

牛祝祭(7)

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:27頁

 第一章 「牛祝祭」 (7)

 この「矢彦」が

 八重山諸島の入墨紋様でもわかるように矛を表すのだが、

 「鐸鉾(さなぎのほこ)」に実状をうかがい知ることができる。

 この鉾は毎年7月27日の例祭「御射山神事」

 つまり御狩の神事に登場する。

 鉄鐸(宝鈴)一個をつけた三叉鉾に柄を入れて長さ1.8メートルあり、

 同じ長さの麻製の和幣がつけられる。

 矢彦神社に近い塩尻市小野に鎮座する小野神社には

 社宝「神代鉾」はが11個の鉄鐸と共に納められている。

 この鉾も三叉鉾で和幣が垂らされている。

 こちらも御射山神事に用いられたものであるが、

 御射山祭といえば諏訪大社が大元で、

 同社と上社にも鉄鐸が宝物となっている。

 先に触れた神長官の申立ともども御射山祭の御狩神事において

 獲物と屠殺する道具を奉祭したのが鐸鉾である。

 小竹葉は三叉鉾であったのである。

 《Key Word》

 八重山諸島の入墨紋様

 鐸鉾

 御射山神事

 御狩の神事

 鉄鐸(宝鈴)

 和幣

 矢彦神社

 小野神社

 神代鉾

 三叉鉾

 和幣

 御射山神事

 御射山祭

 諏訪大社

 鉄鐸

 御狩神事

 鐸鉾

2013年6月20日木曜日

牛祝祭(6)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:26頁

 第一章 「牛祝祭」 (6)

  一例は桧製で、「桙「」というに」ふさわしい。

 三叉形に彫出し黒漆で塗布された桙形先端のみ

 長さ39.3センチメートルのものである。

 第二の楽桙は、穂先が脇鈷一本だけの二又形状、

 鉄製で「桙」というべきである。

 径2.2センチの樫木の柄に金銅製金具を嵌め、

 目釘に壺金具を通して表裏に四弁花文の座金を装飾した

 全長105.3センチメートルの矛である。

 ところで小原一夫「南島入墨考」によると、

 八重山諸島の入墨文様のうちに「竹葉」と呼ばれるものがある。

 矢ともいうが、形状は三叉形である。

 つまり竹葉は三叉矛を表す。

  古語拾遺に「鐸をつけた矛」、

 つまり鈴をつけた矛という用語が出てくるが、

 これを実物説明するものが、

 先に触れた長野県辰野町に鎮座する矢彦神社に伝えられるている。


 《Key Word》

 黒漆

 楽桙

 脇鈷

 四弁花文

 小原一夫

 南島入墨考

 八重山諸島

 入墨文様

 竹葉

 三叉矛

 古語拾遺

 矢彦神社

2013年6月19日水曜日

牛祝祭(5)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:25頁

 第一章 「牛祝祭」 (5)

  古事記にはないが、日本書紀に「火處焼き」とある。

 これは燔祭をいうのか、

 さもなければ古語拾遺の「挙庭燎」と同じく

 阿知女作法で庭燎が焚かれるのと同様である。

 古事記に「神懸り為て」、

 日本書紀に「顕神之憑談(歌牟我可梨)して」とあることから

 天鈿女命は御座であることが知られる。

 御座が種々の身飾り品を着けて舞を踊ったというのである。

  注目したいのは小竹葉(ささば)(古事記)で、

 日本書紀の「茅を綣いた矛」であり、手草に踊ったものである。

 矛は、鉾であるが、桙もある。

 正倉院の宝物の中に楽桙、

 つまり演舞用の矛が二例宝庫南倉に納められている。

 二例とも1977年の正倉院展に出展されたが、

 伎楽に用いられたと考えられており、

 まさに天石窟戸を想い起させる。

 《Key Word》

 燔祭

 古語拾遺

 阿知女作法

 庭燎

 天鈿女命

 御座

 小竹葉

 楽桙

 正倉院

 天石窟戸