2016年3月29日火曜日

《千葉:坂戸神社の人身御供神事》②

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:1100~1118頁

 第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《千葉:坂戸神社の人身御供神事》

  モリヤの地とはモリヤ山のことで、

 現在のエルサレムの"岩のドーム"が建っている所で、

 中には大きな岩が祀られている。

 ここは紀元7世紀にイスラム教の聖地となったために

 ドームが建てられているのである。

  卒土神社の鎮座する神納は、

 飽富神社の神納田の地などと

 解釈されているがそうではない。

 アブラハムがイサクを神に献げ(納め)ようとした

 そのことを表しているのである。

 「カンノウ」の原語はヘブライ語の

 KhHNH(khonoh) で「祭司職」を表わす。
 
 坂戸神社の鎮座している

 坂戸市場の「市場」は「シバ」で

 TsYVN(シオン)の転訛である。

 同語は一般にシオン(zion)として知られるが、

 「ツィヴゥン」がヘブライ語の発音に近く、

 「シバ」に近い。

 しかも、

 TsYVN (シヴォン)は

 「目印、標、印をつけること」であり、
 
 TsYVD (シウダ)は「供給物、必需品」から「商品」を表し、

 商いに係わる「市場」と漢語を用いたのは巧妙で、

 ヘブライ語を理解していた者が命名したとしか思えない。

 これらの用語は

 第3章 カルト人の進出「創世記 カインの本実」

 でも紹介し、

 人類が土地を離れて商人へとなっていく様子と、

 商人カインは

 スバル人を想定して作られる挿話であると解いた。

 ヘブライ語で「商人」を表わす用語に

 SVHR(svoher) があり、

 svar(スバル)とほとんど同音である。

 ユダヤ人は商人の性格が非常に強い。

 羊飼いは商人となる要因の体質を持っていると述べたのは

 第2章 メソポタミアと牡牛の「供犠の起源」であったが、

 ヘブライ人はその本質が羊飼いである。

  この袖ケ浦の地域は秦氏族が定着した所である。

 坂戸神社の西を流れる浮戸川名は「ハタ」であり、

 その西方の房総半島の山中君津市久留里の奥から

 流れてくる小櫃(おひつ)川は「コヒツ」で

 KPhSh (箱)を訓音及び字義から表記したものである。

 神納の南木更津の曽根は「子供、児」を表わす

 SVN(son)の音写で英語と表記は同じである。

 坂戸神社の人身御供神事は、

 子供の健全な成長を願って始められたものと推測され、

 いつの間にか

 大人がその犠牲の役目をするようになったのである。

 また牛袋、牛袋野名は「牛角」を表わす。

 「袋」は「脤(ふくら)」の転写で、

 弓のように「ふくれていること」または

 「ふくれているもの」を表し

 牛角を比喩するのに的確である。

 弓月君名も「ふくら」である

 kulag である。

  シオン TsYVN である「市場」はまた

 「千葉」の祖語である。

 千葉市中央区の中心部に

 市場町や亥鼻町名があることが傍証となる。

 双方が一帯であることが解る。

 「チバ」名は万葉集巻20に

 「知波」と表記されているのが初出で、

 日本後記の延暦24年(805年)に「千葉国造」が現れる。

 和名類聚抄には「下総国千葉郡千葉郷」とあり、

 訓を「知波」としている。

 戦国期になると千葉荘が生まれている。

 その荘内に「井花」が現われる。

 これは亥鼻山は猪鼻山、城も猪鼻城と呼ばれていた。

 その「亥」と「猪」のどちらが古かであるが、

 猪の方が古いとも考えられる。

 猪は「猪」で「チョ、シャ〔cha〕」と発音される。

 「猪鼻」は井花(いばな)の訓からすると

 「チョ(シャ)バナ」で、

 TsYVN(ツィヴゥン)と訓め「市場」と共通になり

 「チバ」なのである。

 亥鼻町の南にある葛城は

 「ガドの城」の意味を持つが、

 「城(しろ)」はヘブライ語の「宮殿、城砦」を意味する

 TsYRH(shiro) を原語とするもので、
 
 Ts(t) は「シ、チ」と訓めるのである。

  和名類聚抄の千葉郷は現在の市場町、亥鼻町の辺りで、

 都川を挟んだ地域に想定できる。

 その「都」は「ト」で TsYRH(城)に依るものだろう。

 猪鼻山はその都川沿いに亀岡町があるように

 亀山であったろう。

 亥鼻公園内に神明社が鎮座するが、

 ここに

 シオン TsYVN の信仰が始まった頃の祠と推測される。

 「神明」は「カンメイ」訓め、

 「モーセ五書」を意味する

  KhVMSh(khumesh)に通じるからである。

 都川の北方の院内は「インダイ」で、

 安来市の十神山(砥神嶋)をいう 

 AYNDZL(indzl)の転訛でモーセ五書である

 「律法」は信仰に結びつく、

 千葉神社の鎮座する通町公園の「通」は、

 その TORH が祖語である。

 静岡県藤枝市の大津谷川の上流に千葉山がある。

 そこには智満寺がある。

 「智満(ちまん)」は TsYVN の転訛で、

 「千葉」も同根であることをうかがわせている。

 《参考》
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
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2016年3月21日月曜日

《千葉:坂戸神社の人身御供神事》➀

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:1100~1118頁

 第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《千葉:坂戸神社の人身御供神事》

  千葉県袖ケ浦市坂戸市場に坂戸神社が鎮座している。
 
 社伝に依ると白鳳2年(673年)の創建と伝えられる。

 元逆手神社とも称された。

 例祭は7月29日で、

 古来人贄(人身御供)を献ずる神事が行われていたが、

 現在は行われていない。

 その祭事では人を祭壇に献げ、

 殺す振りをするというものであった。

 「袖ケ浦町誌」にはそれらの事情が説明されている。

   例祭は陰暦6月27日、今は7月29日、

  「人身御供」の奇習があった。

  あらかじめ「くじ」で決められた氏子の一人を

  大きな板の上に載せて神前に供え、

  神官が断ち切る真似をするのであるが、

  その人は3年以内に必ず死ぬといわれた。

  安房を統治して上総地方に進出した

  里見義堯はこの風習を禁止し、

  代わりに青緍(あおざし)十貫を寄進したいう。

  
  里見義堯は16世紀の人であるから

 室町時代には禁止されたものである。

 太古においては

 実際に殺人が行われていたのではないかと疑われる。

 だが、実際はこの人身御供神事において

 人殺しが行われたことは一切ないはずである。

 祭事の起源が、

 人を殺生することに主眼がないからである。

 以下にその理由を説いていく。

 確かに「坂戸」や、神納地区に鎮座する卒土神社の

 「サクタ」がヘブライ語の

 「屠殺する」の ShKhT(shkhiti) や

  「屠殺」を意味する ShVKhT(shoyket) を祖語とし、

 特に「ユダヤ教の教義に従って」行う屠殺で、

 犠牲祭、祝祭に係わっていることに間違いない。

 しかし、その行為の場面は創世記第22章に語られる

 アブラハムが

 我が子イサクを神々に献げようとした故事に倣っており、

 犠牲とされたイサクはその殺生の寸前に神によって救われる。

 一人児のイサクさえ神の犠牲にしようとした

 アブラハムは神に祝福されることとなったのである。

 創世記第22章からその様子を抜粋する。

 22:1

  これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、

  「アブラハムよ」。

  彼は言った、「ここにおります」。

 22:2

  神は言われた、

  「あなたの子、

   あなたの愛するひとり子イサクを連れて

   モリヤの地に行き、

   わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。

 22:3
  
  アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、

  ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、

  また燔祭のたきぎを割り、

  立って神が示された所に出かけた。

 22:4

  三日目に、アブラハムは目をあげて、

  はるかにその場所を見た。 

 22:5

  そこでアブラハムは若者たちに言った、

  「あなたがたは、ろばと一緒にここにいなさい。

   わたしとわらべは向こうへ行って礼拝し、

   そののち、あなたがたの所に帰ってきます」。

 22:6

  アブラハムは燔祭のたきぎを取って、

  その子イサクに負わせ、手に火と刃物とを執って、

  ふたり一緒に行った。

 22:7

  やがてイサクは父アブラハムに言った、「父よ」。

  彼は答えた、「子よ、わたしはここにいます」。

  イサクは言った、

  「火とたきぎとはありますが、

   燔祭の小羊はどこにありますか」。

 22:8

  アブラハムは言った、

  「子よ、

   神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」。

  こうしてふたりは一緒に行った。

 22:9

  彼らが神の示された場所にきたとき、

  アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、

  その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。 

 22:10

  そしてアブラハムが手を差し伸べ、

  刃物を執ってその子を殺そうとした時、 

 22:11

  主の使が天から彼を呼んで言った、

  「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、

  「はい、ここにおります」。

 22:12

  み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。

  また何も彼にしてはならない。

  あなたの子、あなたのひとり子をさえ、

  わたしのために惜しまないので、

  あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。 

 22:13

  この時アブラハムが目をあげて見ると、

  うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。

  アブラハムは行ってその雄羊を捕え、

  それをその子のかわりに燔祭としてささげた。

 
  犠牲に献げようとしたひとり子イサクは

 殺されなかったのである。

 坂戸神社の場合には

 「神官が断ち切る真似」をしてしまった。

 本来は、その用具は剣であった思われるが、

 太刀を振り上げるところで止めなければならなかったのである。

 生贄の役にされ、

 断ち切られることを神前でされれば

 精神的な負担は重大である。

 数年のうちに病気になって

 死んでしまったとの伝えは充分理解できる。

 室町時代へと時代が下がり、

 その祭事の本来の意義が忘却され、

 形式だけが残された悲惨さである。

 起源は創世記の故事に倣った

 子供を祝福するための祭事であったと考える。

 決して殺人が行われたわけではない。

 小櫃川の河口にある久津間はかって葛間と表記され、

 坂戸神社の氏子の域内であるが、

 ガド族名に依る地名である。

 ガド族はヨルダン川の沿岸に祭壇を築いたとき、

 祈りと戒律を守ることを信仰の全てとし、

 決して燔祭(祝祭)を行わないと

 誓った(誓約、あかし)のである。

 彼らが生贄を神に献げる道理がない。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
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 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2016年3月20日日曜日

《太神山と瀬田》

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 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:1098~1099頁

 第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《太神山と瀬田》

  滋賀県大津市の南部、甲賀郡信楽町に近く

 太神山(599メートル)がある。

 その呼称は「タカミ」である。

 その山麓に田上町が広がっているので理解される。

 「タカミ」は安来市の聖地の山、

 十神山にならった山名である。

 「太」字はガド族名の同音語、

 ヘブライ語の「大きい」を表わす

 GOVL に由来し、大国主命ともなった

 「大国」の概念でもある。

 この山がガド族の信仰の対象であったことは、

 田上地区を同山の北麓を

 信楽町の多羅尾を水源地として流れる

 大戸川名によって知られる。

 「大戸」は「誓い、あかし」の

 ied を祖語とした用語である。

 大戸川と瀬田川が合流する地点に太子地区がある。

 上田上新免町に新宮神社が鎮座するが、

 「月神」を祭祀した神社で、

 「新免」は島根県大社町の杵築大社の東、

 修理免と同様 SLYHYH の音写で

 「使徒」を表わしている。

 同名社は石山寺地区にも鎮座する。

 そして琵琶湖方面に河名にもなっている

 瀬田の地域がその東岸に広がっている。

 その一角に大寺もある。
 
 「セタ」は本来セム語(アッカド語)にある

 sade(山) を聖書に取り入れ、

 創世記第17章に

 17:1

  アブラムの九十九歳の時、

  主はアブラムに現れて言われた、

  「わたしは全能の神である。

   あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。

 17:2

  わたしはあなたと契約を結び、

  大いにあなたの子孫を増すであろう」。

 AL-SDY として表記されている

 「山の神」ではあるが、

 日本語版本には「全能の神」と訳されている。

 京都府南区久世の茨田神社名となって

 秦氏の圏内とみられる用語である。

 「山の神」である理由は、

 モーセがシナイ山頂で神から律法の告示を

 受けたからである。

 だが、 SDY の表記にはさらに重要な秘密が

 隠されていると思われるのだが、

 それは後に解明される。

 琵琶湖の西岸を北上すると堅田に至る。

 この地名はガド族名に由来する。

 そこに伊豆神社が二社鎮座するが、

 「イズ」はヘブライ語の IZ(栄光、幸運) に係わる

 神社名で、 GDVLH と同義である。


 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
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2016年3月10日木曜日

《浅草と目黒》②

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 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:1087~1097頁

 第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《浅草と目黒》

  ヤハウェ神が水の神であることは最早明らかである。

 申命記第6章は上記の引用に続いて、

 神への愛と奉仕を行えば、約束の地(カナン)に

 「美しい町々」

 「諸々の良い物を満たした家」

 「あなたが掘ったものでない井戸」

 「ぶどう畑とオリーブ畑」を

 得させると言う。 

 6:10 

  あなたの神、

  主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、

  あなたに与えると誓われた土地にあなたを導き入れ、

  あなたが自ら建てたのではない、

  大きな美しい町々、
 
 6:11 

  自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、

  自ら掘ったのではない貯水池、

  自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑を得、

  食べて満足するとき、

 申命記第8章6~9はまた言う。

  あなたの神、主の戒めを守り、その道に歩んで、

  彼を恐れなければならない。

  それはあなたの神、

  主があなたに良い地に導き入れるからであるい。

  そこは谷にも山にも湧き出る水が流れ、

  泉、及び淵のある地、

  小麦、大麦、ぶどう、いちじく及びざくろのある地、

  油のオリーブの木、及び蜜のある地、

  あなたが食べる食物に欠けることなく、

  なんの乏しいこともない地であると言う。

 8:6 

  あなたの神、主の命令をを守り、

  主の道を歩み、彼を畏れなさい。

 8:7 

  あなたの神、

  主はあなたを良い土地に導き入れようとしておられる。

  それは、平野にも山にも川が流れ、泉が湧き、

  地下水が溢れる土地、

 8:8 

  小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろが実る土地、

  オリーブの木と蜜のある土地である。

 8:9 

  不自由なくパンを食べることができ、

  何一つ欠けることのない土地であり、石は鉄を含み、

  山からは銅が採れる土地である。

 この井戸、水の流れ、泉及び淵となっているのが

 上野と不忍池である。


 「上野」は「泉」を表わす IYN(iāyin) の転訛である。

 上野公園の忍思池近くに清水観音堂、

 東上野に井上神社が鎮座することはその傍証である。

 浅草周辺がシナイ山とヤハウェ神信仰に係わった

 状況がこのようにみられる。

 よって、河名などにある隅田、また

 墨田区名の「スミダ」は『出エジプト記』の別称である。

 ShMVT(shemot) の音写とみて間違いないであろう。

  目黒区と品川区にまたがり洗足、千束の地名がある。

 これらは台東区浅草の北隣り千束と祖語が同じと考える。

 さらに浅草寺名が「センソウ」と言うことに係わる。

 「センソウ」はヘブライ語の ShMSh(shemsh) の転訛である。

 その意味は「奉仕する、仕える」で名詞形は

 ShMVSh(shmush)「奉仕、世話、利用」となる。

 この内容は、

 神の僕の神への奉仕で前記の

 『申命記』が述べるところである。

 また浅草神社名である「アサクサ」は「清浄な火」を表わす。

 「アサ」は ASh(aeshi) で「火、炎」の字義である。

 「クサ」は KShR(kosher)で「清浄な」の字義であり、

 シナイ山においてモーセに顕れた柴の燃えない炎に由来し、

 「アサクサ」は

 「柴の燃えない神の火」を言ったものであろう。

 ただし、その火も敵に向かう時には恐ろしい火となる。

 『申命記』第9章3においてイスラエルの民がヨルダン河を

 渡るに際し、

 9:3 

  しかし、今日、あなたの神、主は焼き尽くす火となり、

  あなたに先立って渡り、

  彼らを滅ぼしてあなたの前に屈服させられることを知り、

  主が言われたとおり、彼らを追い払い、

  速やかに滅ぼしなさい。

 と言う。

 三社祭りがヨルダン河渡行に係わる祭儀であろうと

 前述したことにも係わる。

  上野山はかって「忍岡」と呼ばれていた。

 これは「火の山」でシナイ山を言ったものである。

 「忍」は埼玉県行田市忍にみられたように

 「アシ」が「オシ」になったものであり、

 行田市忍の場合は第11の「埼玉・鹿島:剣持の国」で

 解いたようにサンスクリット語の「剣」を表わす

 asi の転訛であるのに対し、

 上野山の「忍」はヘブライ語の ASh の転訛である。

  浅草神社はその神火を祀ったのである。

 同社は以前に三社大権現、三社明神と呼ばれていた。

 「三社」は「サンジャ」で、

 これも ShMSh(奉仕) の音写と考えられる。

 「千束」は「センソク」が音訓だが、

 これは ShMSh とよく似た「三社」の「三」の

  ShRShH(shelsheの男性形)の

 転訛したものだろう(女性形ShLSh)。

 "H"が"K"に変換される事情は「唯一神」と和訳されている

 「神」の複数形 ALHYM(aelokiym) となって

 適用されている事例からも是認される。

  渋谷区の東南に恵比寿地区がある。

 この地名がビールの銘柄に依って付けられた

 町名であることは知られているが、

 その銘柄名がこの地にあった恵比寿(戎)信仰に因んで

 付けられたことは余り知られていない。

 「エビス」は

 前述の「蘇民将来とえびす」で説いたように過越祭に係わり、

 兵庫県西宮市の西宮えびす神社が代表的神社である。

 その祖語は同祭をいう 

 HG-HPSH(hg-hipusah) のHPSHを音写したものである。

 恵比寿域内に加計塚という字名がある。

 「加計」が

 ここにある古墳「穴居塚」に依るという説もあるが、

 「カケ」 HG の転訛とみられ、加計-恵比寿が

 HG-HPSH(hg-hipsah) の HPSH を音写したものである。

 加計-恵比寿が HG-HPSH となる。

 また恵比寿西に字名長谷戸があるが、

 これは「ハセベ」で同じく過越祭を意味する

 PSFh(peysafh) に依るもので同地区に鎮座する

 恵比寿神社はヤハウェ信仰の神殿であった。

 同社が現在名の恵比寿神社となったのは

 昭和34年(1959年)からである。

 それまでは天津神社と称し、

 その由来によると

 日本武尊が東国平定の折に祭祀したというから

 かなりの古社である。

 その祭神は国常立神、また豊雲野神であるが、

 この二神名はヤハウェ神と極めて深い縁りがある。

 後述の国常立神、「ヤハウェ神」などに詳しい。

 その背景を理解すれば
 
 ここで「過越祭」に係わる祭りが行われていても

 不思議はない。

 恵比寿地区の北側に広尾がある。

 この地名はかって「樋籠」と表記されていた。

 この音訓は「トウロウ」で TVRH(torh) の音写である。

 恵比寿の南隣に目黒区三田がある。

 和名類聚抄の荏原郡御田郷に比定されている。

 訓は双方とも、「ミタ」で

 これは「贈与、贈り物」を意味する
 
  MTN(matan) の音写である。

 MTN-TVRH(三田-樋籠) は

 シナイ山での「律法の授与」を意味する。

 下目黒に鎮座する大鳥神社も本来「トリ」で

  TVRH の「律法」神社であったとみられる。

 同社の由緒に依ると

 「景行天皇御代(西暦71年~130年)当初に国常立命を

  祀った社がありました」と述べ

 天津神社(恵比寿神社)と同じ祭神を奉祭していたとする。
 
 「大鳥」は前節で説明したように

 鷲宮神社係わる神事であるが、

 この大鳥神社が鷲宮神社と関係があったかは明らかでない。

 しかし、

 草創の頃ヤハウェ神と信仰がと縁りがあったことは明白で

 同様な信仰が別個に興っても不思議ではない。

 同社においても酉の市が開かれ、

 熊手が神の依代(よりしろ)として奉られていることは

 信仰の同質性をしましたいる。

 また同社には「八つ頭(芋)」を神前に

 幣帛の代わりに奉げる酉の日の神事がある。
 
 「八つ頭」は「八頭」で「ハチカミ」、

 「ハッカミ」で結局「智恵者」Ich(H)IchMを背景にしている。

  目黒域内にある湯面(ゆづら)は久喜市の江面と同様

 「十」を表わし、「律法」に当たる。

  「目黒」の地域は大鳥神社を中心に広がっています。

 この「メグロ」もヤハウェ信仰に係わる名称で

 「巻物」を表わす。

 MGLH(megilah) が祖語で、羊皮紙や紙で作られた巻物を言う。

 品川区の小山名は「コ」が KVL(kol) の音写で

 「声」を表し神の声をいい、小山はシナイ山を指す。

 正に「律法の授与」に係わり、浅草の「言問」にも対応する。

  墨田区向島に三囲(みめぐり)神社が鎮座している。

 「囲」は「目黒」の祖語と同じヘブライ語

 MGLH(megilah、巻物)の音写である。

 「三」は「戒律(律法)の巻物」となる。

 同社の古名は三匝稲荷神社という。

 「匝」も「メグリ」で字体は「巾」の俗字である。
 
 この神社名にはイスラエルと稲荷信仰が
 
 併称されていることになっているが、

 二社が合祀されたわけではない。

 これには「クラ」が重要な役目を果たしており、

 二つの信仰が集合されているのである。

 つまり稲荷神社の祭神は宇迦御魂神で

 「倉稲魂」とも表記され、この「倉」はサンスクリット語の

 「飯」を意味する kūra の音写である。

 この事情は本書の第11章の

 「稲荷:黄金山信仰」で詳説した。

 一方ユダヤ教にも「声」の字義にして

 「十戒」の授与に係わり「神の声」を意味する

 KVL(kol)、KVLVT(kulot) がある。

 この地においては本来「神の声」であった「クラ」が

 稲荷信仰の「クラ」に転換されたもので、

 その実情を明示しているのである。

 KVLVT が桶川市の「倉田」となっていることは既に述べた。

 江戸時代三匝稲荷神社と呼ばれる前、

 その祠は田中稲荷と言った。

 「田中」は『旧約聖書』を表わす

  TNH の音写とみられるので

 集合が起きたのは江戸時代である。

 浅草寺雷門の南方隅田川沿いに駒形の地名がある。

 この地名はかって浅草寺の惣門の辺りにあった

 駒形堂の名に依るとされている。

 その御堂は神奈川県箱根山より

 その神霊を勧請したものと伝えられ、駒堂とも呼ばれた。

 箱根山とは駒ケ岳を言うが、

 この「駒」については

 後述の「伊豆山と浜名」で見解を述べる。