2011年12月31日土曜日

日本書紀私記巻上并序



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:33頁

 《日本書紀私記巻上并序
 《日本書紀私記巻上并序

 日本書紀私記巻上并序

 夫日本書紀者。

 日本國自大唐東去万餘里日出東方曻于扶余故云日本。

 右者。

 謂之倭國。

 伹倭義未詳或曰取稱我之音漢人所名之字也。

 通運山跡。

 山謂之耶麻跡謂之止音登戸反下同。

 夫転地部判泥潟未。

 惨是以栖山往来固多縦跡故曰耶麻止。

 又古語謂居住為止。

 住於山也。

 音同上。

 武玄之曰東海女国也。

 一品舎人親王。

 第五皇子也

 従四位下勲五等太朝臣安麻呂等王子神八井耳命之後也

 奉勅所撰也先是浄御原天皇御字之日気長帯日天皇皇子近江天皇同母弟也

 有舎人姓稗田名阿礼年廿八天鈿女命之後也。

 為人謹恪聞見聴慧。

 天皇勑阿礼使習帝王本記及先代旧事

 豊御食炊屋姫天皇廿八年上宮太子嶋大臣

 共議録天皇記及國記臣連供造国造百八十部并公民等本記。

 又自天地開闢至豊御食炊屋姫天皇謂之旧事。

 未令撰録世運遷代豊國成姫天皇臨軒之季。

 天命開別天皇第四皇女也軒者温上板也謂御宇馬臨軒。

 詔正五位上安麻呂俾撰阿礼所誦之言和銅五年正月廿八日

 豊國成姫天皇年号也。   

 初上彼書所謂古事記三巻者也。

 清足姫天皇負扆之時

 浄御原天皇之孫日下太子之子也。

 世号飯高天皇扆戸牅之間也。

 負斧扆者。

 言以其所対

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2011年12月30日金曜日

『日本書紀私記』が創作した阿礼と安萬侶像



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:32頁

 《『日本書紀私記』が創作した阿礼と安萬侶像
 《『日本書紀私記』が創作した阿礼と安萬侶像

 ではその偽書筆者は誰なのか?。

 過去にも『古事記』偽書説は幾つも現われた。

 その1人、中沢見明氏は

 『日本書紀私記(略称・弘仁(こうにん)私記)』の筆者・多の人長だろう

 と推論している。

 その『私記』の序文には

 「稗田阿礼は天の鈿女(うづめ)の命の後」と注が付記してある。

 しかしこれが『古事記』の序文以外では唯一のもので、

 他には稗田阿礼の記事はない。

 また太の安萬侶が舎人親王と『日本書紀』を編纂したというのも、

 同じ部分に書いてあるだけなのである。

 『古事記』とこの『私記』の序文だけが、

 阿礼を作り出し、安萬侶を大物に仕立てている。

 1979年に奈良市の山の上にある茶畑で安萬侶の基と墓誌が見付かった、

 それにも『私記』が書くそんな重要な事跡は書いてない。

 ともに多の人長(ひとなが)の創作だったのである。

 そんなにまでして、

 『古事記』が天武天皇の命令で稗田阿礼という天才に記憶されたものだと印象づけ、

 『古事記』序文の信憑牲を何とかして高めたいとしているのは、

 彼の焦りの現われである。

 人長(ひとなが)が『古事記』と序文の作者だった証拠の「決め手」だ。

 隅田先生のご寄稿ご設問以来、多くのご異見が寄せられたので、

 こうして『定義』の焦点を『古事記』偽書説に当ててみた。

 以上の結論は、すでに『定義』できている。

 もちろん後にまだ多くの問題が残っているが、

 『記・紀』の実態という重大問題には答が見えた。

 今後もご熟読ご深考をお願い申し上げる。

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2011年12月29日木曜日

『古事記』筆者は安萬侶よりはるかに後世の人



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:31頁

 《『古事記』筆者は安萬侶よりはるかに後世の人
 《『古事記』筆者は安萬侶よりはるかに後世の人

 いま我が国には「稗田」姓が現存している。

 それは女性だけの代名詞ではないこの人々は稗田阿礼の子孫ではないのか?。

 この答ははっきりしている。

 彼が序文の通り舎人(とねり)であり、語り部の主要人物だったのなら、

 稗田一族は何らかの文献に記録が残っているはずである。

 それはもっと名も無き故人や、辺地の人々でさえ記録されていて、

 彼ほどの有名人の子孫が記録に無いということは考えられないからだ。

 だが現実には稗田一族は皆無である。

 わずかに光仁天皇第3皇子が、ただ1人、

 草冠(かむ)りのついた稗の字のヒエタ親王と呼ばれているだけである。

 だがこれはギリシャ、ローマ語の「ピエタ=詩」であって、

 ピューティヤは詩のような神託を語る者を意味するから、

 稗田阿礼は姓名ではなくピューティヤの方で、

 稗田姓は「詩人」を意味する別の姓氏なのである。

 巫女の子孫が稗田姓を継いでいるのではない。

 また沖縄の霊能者や巫女の「ノロ」は「述べる」という意味である。

 勅語をミコトノリという「宣(の)り」なのだ。

 こちらは明瞭に「神託を宣る人=ピューティヤ」なのである。

 しかし大和では天智天皇の革命以後、倭国のピューティヤはいなくなった。

 しかし後世人の『古事記』の筆者は、詩人イコール=語り部だと想像して、

 思い付きで稗田阿礼の当て字を利用した。

 その当て字の真意がわからず、

 ミスを犯した彼は、安萬侶よりはるかに後世の人なのだ。

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2011年12月28日水曜日

定義「『古事記』は偽書だ」



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:30頁

 《定義「『古事記』は偽書だ」
 《定義「『古事記』は偽書だ」

 だから稗田阿礼という当て字が、

 ピューティヤのことだという常識がなくなり、

 『古事記』筆者自身それを知らないほど後世の筆者が、

 それを女性専用の代名詞だとは知らずに、

 男性の固有の姓名だと勘違いして使ってしまったのである。

 だからその時期は元明天皇の勅撰だと書いても簡単にはバレないほどの、

 かなり後世の作品だということになる。

 『古事記』が序文通りの年月日に太安萬侶が書いて提出したもので、

 その時、天皇たちが、その序文を読んだなら、稗田阿礼など実在しないから、

 すぐ露見して大変なことになる。

 それは、阿礼が実在しないというウソが問題になる程度の、

 小さな事件ではないからだ。

 時の政府からみれば、

 せっかく作った重要な国策のための歴史書・『日本書紀』の内容に、

 真っ向(こう)から反抗するテロ文書である『古事記』が見逃されるわけがない。

 そんなものは直ちに廃棄処分にされ、安萬侶は即座に死刑に処せられる。

 この視点からみても、『古事記』は元明天皇の命令で作られたものではなく、

 その時代のものでもない。

 はるか後世に何人が、安萬侶や阿礼の名を勝手に使用して、

 天武天皇や元明天皇の詔勅まで偽造して、

 いかにも勅撰の史書らしく見せかけた、

 トンデモナイニセモノだったのである。

 序文は自らそれを各所で暴露し告白している。

 『古事記』は偽書か?ではなく、

 「『古事記』は偽書」なのだ。

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2011年12月27日火曜日

稗田阿礼への疑問はピューティヤが解くか?



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:29頁

 《稗田阿礼への疑問はピューティヤが解くか?
 《稗田阿礼への疑問はピューティヤが解くか?

 では、なぜ?

 『古事記』筆者は、稗田阿礼の語りによるものだと断(こと)わり、

 長文でわざわざ彼の天才ぶりを賞賛したり、

 年齢まで28才だったと書いて、

 彼の存在を特筆大書してまでアッピールしたのであろうか?。

 それこそ、『日本書紀』丸写しの事実を隠蔽するという、

 深刻、かつ不可欠の理由があったためだとしか考えられない。

 天武天皇が阿礼にそんなに重要な任務を任せたとすれば、

 それこそ「天武天皇紀」に特記されているはずである。

 ところが川島皇子らの名は見えるが、

 最大の責任を負わされた重要人物であるはずの阿礼の名はない。

 私たちはすでに稗田阿礼というのは、

 ピューティヤヘの当て字に過ぎないことを突き止めている。

 卑弥呼自身がその代表者であり、

 ギリシャ系の人々の間では日常的に使われていた名詞である。

 「日照・ヒーテイ」→ヒナテイ→「夷鳥(ひなとり)」という当て字も

 沖縄人や大隅人ならピューティヤの訛りだと判る。

 また現実に沖縄にはノロなどの女性宗教家が現存し、

 月桂冠を頭にして古代ギリシャさながらに、

 ピューティヤ業務を盛大に続けている。

 またテレビで活躍する女性霊能者もその流れであることは一見してわかる。

 天稚彦の話などに様々な鳥が重要な役割りを果たしているのも、

 この事実を重視しなければ正しく判読はできない。

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2011年12月26日月曜日

定義「『古事記』は『日本書紀』を写したものだ」



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:28頁

 《定義「『古事記』は『日本書紀』を写したものだ」
 《定義「『古事記』は『日本書紀』を写したものだ」

 『日本書紀』は、使われている暦の種類で、後半が先に書かれ、

 前半が後から書かれたと、はっきりわかっている。

 前から順番に38年かけて書かれたものではない。

 また天皇の順位も政治勢力の圧力に左右されながら決めたことも、

 仲哀天皇の例でよく御存知の通りだ。

 後世にやっと決まった天皇の配列を、

 天武天皇に命令されて日継と旧辞を記憶した阿礼が、

 38年前に知っているはずがない。

 ところが彼が安萬侶に語ったという『古事記』の内容は、

 『日本書紀』の編集者たちが永年にわたって、ああでもない、

 こうでもないと議論を重ねた末に、やっと決まった天皇の配列と、

 ぴったり同じ順序に書かれているのである。

 いかに超能力者でも絶えず霊感が働くことはない。

 28才で暗唱した阿礼が、70才近い老齢になって語った記憶が、

 その時その時の政情で揺れ動きながら編集されて行った

 『日本書紀』の内容と同じであるわけがないし、また『古事記』の内容自体、

 『日本書紀』を非難し是正するために、

 わざわざ作られた「反『日本書紀』文書」になっている。

 さらに決定的なことは、耳で発音を聴いたのなら、

 インがオノにかわる道理がない。

 インギーラとオノゴロの関係は、

 磤馭盧(インギョラ)という当て字がなければ絶対に生まれない。

 だから『古事記』は阿礼が語ったものではなく

 『日本書紀』を写したものだと、

 断定するしかない。

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2011年12月25日日曜日

『記・紀』冒頭部分の一致は奇跡か?



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:27頁

 《『記・紀』冒頭部分の一致は奇跡か?
 《『記・紀』冒頭部分の一致は奇跡か?


 『日本書紀』は先述したように、38年かけて、やっと完成した正史だった。

 ところが、安萬侶は、それとほとんど同じものを

 和銅四年九月十八日に命令を受けて、

 和銅五年正月の二十八日には完成した『古事記』を上呈した。

 4か月と10日という猛スピードである。

 この『日本書紀』と『古事記』の内容を比較してみよう。

 『日本書紀』は、天地が初めて生まれたあとに、神々が生まれた、

 その最後の2神をイザナキ・イザナミの夫妻だとして、

 この2神が「天の浮橋」の上に立って

 「天の瓊矛」海にさし下ろして探ると、

 矛からしたたり落ちた潮が凝って1つの島になった。

 その名を磤馭盧(インギョラ)島というと書いている。

 『古事記』は神名が違うだけで、

 天地が生まれ、神々が生まれた最後の神を、

 イザナキ・イザナミの2神とすることも、

 2神が「天の浮橋」に立って、

 「天の沼矛」をさし下ろして畫けば塩が音をたて、

 矛を引き上げると矛先から垂れ落ちた塩が累積して

 島になったことも全く同じである。
 
 その島の名が磤馭盧(インギョラ)ではなく

 淤能碁呂島だと書いているのが違うだけだ。

 しかし『日本書紀』は元明天皇でさえ、

 養老四年五月二十一日に初めて見たのだ。

 なのに稗田阿礼は完成後の『日本書紀』の書きだしの部分を、

 38年も前に細部まで透視し、暗記していたことになる。

 それなら安萬侶はなぜ?この「大奇跡!」を、

 特記しないのだろう?。

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2011年12月24日土曜日

安萬侶は本当に阿礼の話を聞き書きしたのか?



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:26頁

 《安萬侶は本当に阿礼の話を聞き書きしたのか?
 《安萬侶は本当に阿礼の話を聞き書きしたのか?

 以上は、大きな問題の定義だが、

 次はそれらの細部の定義について考えてみよう。

 たとえば

 「磤馭盧(インギョラ)を淤能碁呂と誤訳した」という定義から、

 さらに何かを定義できるだろうか?。

 『古事記』序文は

 「稗田阿礼が記憶した物語を、太安萬侶が聞き書きしたのだ」というのが、

 これまでの定説になっているが、

 それが正しいか、どうか?から考えてみよう。

 『古事記』序文は

 「稗田阿礼の誦(よ)む所の勅語の旧辞を撰録して献上」したと書いてある。

 在来は、この「旧辞」が阿礼が記憶した物語で、

 「誦む」が、それを暗唱した物語を、口で語ったことだとしてきた。

 だとすると安萬侶は文字を見たわけではない。

 耳で阿礼の物語る発音だけを聞いて、メモって、

 後で「撰録して=選り分けて書いて」

 『古事記』に仕上げたというのである。

 それなら「オノゴロ」という島の名は、

 安萬侶が磯駁鹿(インギョラ)という文字を見て

 オノゴロと読み間違えたのではない。

 阿礼がそう記憶していたことになる。

 すると『古事記』は

 『日本書紀』より後に『日本書紀』を写したものだ、

 という定義は成り立たなくなる。

 しかし『古事記』序文はウソで満ちていて、

 その証拠は幾つも重なりあっている。

 それをよく確認して始めて、先の定義が確立するのである。

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2011年12月23日金曜日

断定できて変わらないものが『定義』



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:25頁

 《断定できて変わらないものが『定義』
 《断定できて変わらないものが『定義』

 こうして見てくると定義とは、これまでに済ませた

 ① 『記・紀』は時間帯が不正確。

 ② 『記・紀』は『日本書紀』が先。ばかりでなく、

 ③ 磤馭盧(インギョラ)はインギーラが正しくオノゴロは間違い。

 ④ 淡路島「国生み」は『神話』ではなく寓話である。

 ⑤ その伊耶那岐夫妻は履中天皇と皇后である。

 ⑥ その内容は淡路島から畿内へ進出する方法の論争と結果を寓話化したものだ。

 ⑦ 淡島神社はその遺物だ。

 ⑧ だからそれらは、
   
   後の大和朝廷を生んだ大きな国生み=畿内進出の最初の記念すべき歴史だったのだ。

 ⑨ それが今も「津名」の地名を残している。そして

 ⑩ こうしたことが解るのは、全て名乗りや地名の記録が存在し、

   それを言語復原史学独特の手法で読み取ることができたからだ。

   といったことが全て『定義』できる実に強力なものなのである。

   決して無理にコジツケる必要はない。

   ただ動かない「決め手」になる証拠が揃っていればいいのである。

 次は、これを在来の論文と比較してみよう。

 在来のものは、

 ① 「○〇博士が、そう言っている」

 ② 「…でなければならない」

 ③ 「…だと思う」

 ④ 「…ではなかろうか」

 ⑤ 「としか考えられない」

 ⑥ 「どうしても……なのである」

 ⑦ 「…は説明を要しないであろう」といった、

 あいまいな修辞が乱用されていた。

 断定できるまで追及せずに、

 勝手な主観を並べた想像と仮定で結論を出して

 「終り。」なのである。

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2011年12月22日木曜日

定義が消し去った、悪魔ヒトラー思想の低級な汚染



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:24頁

 《定義が消し去った、悪魔ヒトラー思想の低級な汚染
 《定義が消し去った、悪魔ヒトラー思想の低級な汚染

 以上、見てきたリストの史実は、

 はっきり『定義』として確認できるものばかりである。

 だから『日本神話』など「実は実在しなかった」という事実も、

 また『定義』できた。

 これまで世界の学者が『日本神話』と呼び、

 蛮族の夢想した支離滅裂な原始的宗教観だと「定義」していたものは、

 今や、私たちの先祖が、現代人にも勝る世界観と政治倫理をもち、

 大理想をもって国土を開拓して、常にその行為を反省し、

 国民に説明して理解を求め続けた証しとして『定義』されたのである。

 これでも淡路島『国生み」は、

 我が「聖史」の、憎むべき曲解であろうか?。

 それははっきり逆なのだ。

 非難する者こそ、人類の敵なのである。

 なぜなら以上見たような、

 これらの史実の「寓話化」には、絶対に見逃せないものがある。

 それは濃厚に見られるギリシャ神話の活用である。

 日本語にギリシャ語が沢山はいっていることは、

 五彩圏の色名がギリシャからそのまま来ていることだけでも疑いの余地がないが、

 主要な国名、姓、地名がギリシャ名に基づくことは、

 すでによく御存知の通りである。

 もちろん日本人全員がギリシャ人の子孫であるはずがない。

 すでに確認したように列島は多様な移住者を迎え入れてきた。

 その人々が移動と移住を繰り返して混血して、

 今の日本人が出来上がった。

 それを否定する単一民族説こそ、

 ヒトラーの残した最低の汚染なのである。

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2011年12月21日水曜日

『記・紀』には『神話』なんか一つもない



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:23頁

 《『記・紀』には『神話』なんか一つもない
 《『記・紀』には『神話』なんか一つもない

 L 3貴子が、みそぎで新たに生まれるのは、天照や素戔鳴が世襲の名乗りだからである。

 M 天孫降臨は、天稚彦の存在で仲哀天皇の死後の歴史が実体だとわかる。

   このニニギの命は垂仁天皇皇子のホムツワケ(品陀真若)で、応神天皇と混乱している。

 N 海幸山幸は、Eの1変形で、山幸は垂仁天皇。豊玉姫は狭穂姫。

 O 鵜草不葺合(ウガヤフキアエズ)命も、

   この史実のバリエーションではホムワケ=八幡である。

 このように要約して一覧比較する方法をとると、

 どこかで燻(くすぶ)っていた漠然とした疑問が

 すっきり吹き切れて完全な確信になる。

 「神代」の巻に青かれているものは『神話』なんか1つもない。

 すべて史実の「寓話化」である。

 しかし過去の影響が余りに大きくて、

 これらの寓話群を指して呼ぶ代名詞としては

 「神話」と呼ぶのが簡便である。

 人々が真実を常識化するまではこの状態が続き、

 私たちも心なくもそれを利用して、

 常識化をさまたげる手伝いをしてしまうことになる。

 しかし人類は一人ひとり違いがある。

 私たちの知識が一般常識になるには、まだしばらくかかる。

 それが世界の常識になるには、さらに時間がかかって当然である。

 だから私たちは、在来の日本人が、恥ずかしく思っていたことが、

 実は素晴らしいことだったと判った喜びを、

 いま「独占」しているのだと思えばいいのである。

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2011年12月20日火曜日

一小地域の神話ではない大国主寓話



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:22頁

 《一小地域の神話ではない大国主寓話
 《一小地域の神話ではない大国主寓話

 I 大国主の国譲りは、その内部政変で男王・崇神天皇が立ったものの、

   内乱が起きて挫折、   

   政権を明け渡した史実の描写だが、はるか後世に起こった小国日本による

   倭国政権打倒まで多くの類似事件をまとめて、

   一つの「国譲り寓話」として構成されている。

   これを「出雲」という1地域のものに過ぎない『出雲神話』だとして

   分類していた在来の説は、素人考えとでもいうべき、

   誰でも思いつく浅薄な分類でしかない。

 J 「国生み」は、履中天皇・皇后の事件の寓話化なのに。

   このスサノオの高天原への昇天部分の後に唐突に

  「伊弊諾尊の淡路の幽宮人の隠居」が書き込まれていることに注意。

 K 大八洲の不合理な挙げ方は、履中天皇当時の支配圏の表記であって、

   その筆者はそれを不合理だとは思っていない。

   列島全部のことを書くのなら、『記・紀』編集当時の学者なら、

   もっと多くのそれも大型の五島列島や瀬戸内の島々など幾らでも書けたのである。

   それを敢えて書かずに、隠岐の島のような離島を大書しているのは、

   彼等からみて当然の理由=歴史的事実=史実が、

   そうだったからだと理解しなければならない。

   この大八洲は、大(ウ)八(ハ)洲(ジマ)と訓むと、今の発音でウワシマ、

   すなわち倭=ウワイ、之国=シマである。

   また宇和島は履中の父・仁徳天皇の所領・四国の西の首都を意味している。

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2011年12月19日月曜日

誓約の天照大神と素戔鳴の尊が卑弥呼と位宮である理由



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:21頁

 《誓約の天照大神と素戔鳴の尊が卑弥呼と位宮である理由
 《誓約の天照大神と素戔鳴の尊が卑弥呼と位宮である理由


 F 天照大神と素戔鳴の尊との「誓約」は、

   卑弥呼と垂仁天皇の対魏政策の違いと論争と、

   それに伴う政権委譲の際の位宮の誓約を描く。
   
   天照大神の武器・玉は平和。
   
   スサノオの武器・剣は武力。論争の内容を短く適確に示している。
   
   
   その結果生まれた女神は壹與や邪馬壹国官名にみる弥馬升(日葉酢媛)ら。
   
   男神は邪馬壹国の高官たちである。

 G スサノオの追放は位宮の高句麗行き。

   八俣大蛇は邪馬壹国側から見た卑弥呼政権の短所。

   大蛇退治は卑弥呼政権打倒の性格と手段を活写している。
   
   少女を櫛にして頭にさすのは位宮が壹與を女王に戴いた手段への比喩と批判。
   
   浦島太郎や桃太郎と同じ童話化の部分で、子弟の教育にも、

   この鋭い眼力と潔癖な倫理観が教えこまれた。

   現代人の外観だけの名門意識のような、浅薄、お粗末なものではなかったのである。

 H 天照大神の天の岩戸隠れは、それにともなう卑弥呼の死と壹與女王の誕生。

   前天照大神と新天照大神とが、

   一人の天照大神の精神的な死と再生として描かれている。

   このことで「崇神天皇紀」に登場する天照大神も、夢や幻の話ではなく、

   生きた人物、何代目かの天照大神だったことがわかる。この場合は、

   その女王の激しさを避けて政権外に追放し、男王が政権をにぎったが、

   それが成功せず内乱になった事実の描写だ。

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2011年12月18日日曜日

驚異的な、神代紀寓話化筆者の教養の高さ



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:20頁

 《驚異的な、神代紀寓話化筆者の教養の高さ
 《驚異的な、神代紀寓話化筆者の教養の高さ


 E 伊弉冉尊の死は、垂仁天皇の皇后・狭穂姫が夫と兄の板挟みになって、

   焼け落ちた稲城の火中へ飛びこんだ自殺。

   垂仁天皇は悲劇の原因になった狭穂姫の兄・狭穂彦を殺した。


   火神<カグツチ>は<鹿児津智>=<鹿児の王>ということで、

   インドの火の神・<アグニ>にも掛けてある。

   この<イザナミ>と<5世紀のイザナミ>は、当然、別人。
   
   それが旨く結ばれて寓話では一つになっている。
   
   寓話作者が史実をよく知り、それをどう教育の材料にするか、
 
   深い思索の結果、事件当事者の「人権」に配慮して仮名(かめい)にした。
   
   それは敗者に対しても同じで、

   現代世界でも最高水準の人権尊重思想がそこにみられる。
   
   それなのにその仮名は、単なる思いっきではなく、

   その当事者の風貌や立場、思想も行動を彷彿とさせ、

   また、当時最高の文明国だったインド・ギリシャ・中東の神話伝承を、

   換骨奪胎して旨く活用、その仮名を選択した人物の教養の高さが、

   どれくらい高かったかを物語っている。

   この顕著な事実に今まで気づかず、

   『神話』だといって済まし、諸外国の人々から、

   野蛮な古代日本人の妄想の産物として蔑笑されても、

   なす術(すべ)もなかった在来の国史学と神話学・言語学の「権威」たちの中身が、

   どの程度のものだったかよくわかると思う。それを明瞭に把握するためにも、

   当時の海外文明との関連解明が急務なのである。

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2011年12月17日土曜日

高天原寓話の背景にある史実



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:19頁

 《高天原寓話の背景にある史実
 《高天原寓話の背景にある史実

 C 光華明彩の大日孁の貴は、金髪の卑弥呼の誕生物語り。

   彼女はそのために女神官になり、そのために<ソナカ>に協力を求められ、

   その遺志を継いで天孫(アマゾン)の女軍を率いて、神功皇后として転戦し、

   倭人連邦の女王に共立され、同じ<金髪の壹與を宗女>にした。

 D 高天原は、熊毛への当て字の一つ。

   鹿児島県屋久町(屋久島南半)には原という遺跡が現存する。

   ただし今の発音は「ハロー」と聞こえる。

   ここが狗奴国のあと。

   かつて海中から、インド教の神体「宇宙卵」が続々と見つかった。

   仏教の卑弥呼のもとに「果さなかった」理由がわかる。

   狗奴は<クノ>。

   久野氏はここから出た名族。語源は高(ク)の氏。

   高族はカリエン人すなわちカルデアンで、世界最古の天文学を確立した超文化人。

   バビロンの崩壊で世界に散った人々の一部が、沖縄で宝貝を集めて貝貨として

   中国に供給、<>の隆盛を助けた。

   高句麗はその副産物。

   宝貝は欧米でカウリーまたはコウリーと呼ぶが、

   これはギリシャ語の学名からきていて、当て字は高麗

   日本語のタカラというのも同じ高麗(タカラ)が語源である。

   卑弥呼当時はカルディア人とギリシャ人との混血が進んでいた。

   これが五彩圏連邦が九州と朝鮮半島を結んで生まれた理由で、

   高天原とは、

   その政府を意味していたのである。在来の「神話的空想」の高天原とは、

   余りにも違い過ぎる。

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2011年12月16日金曜日

『記・紀』に本当の神話があるか?



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:18頁

 《『記・紀』に本当の神話があるか?
 《『記・紀』に本当の神話があるか?


 過去に『日本神話』と呼ばれたものは何だったのであろう?。

 リスト・アップしてみよう。

 A 天地初発の神・天之御中主神は、旦波・比古多多須・美知能宇斯之王=

          丹波・道主王=道の大(ウ)人(シ)(垂仁天皇の皇后たちの父)=

          ビチュヌウ神(インドの最高神)の名を名乗る。

   垂仁天皇が<高句麗山上王・位宮>として、魏の大軍と戦って敗れたとき、

   道の大人(ウシ)が海軍を率いて位宮を救い、無事、琉球へ逃がした。

   これが寓話化されたものが浦島太郎で、その亀に助けられて、

   浦島は竜宮=琉球へ行き、乙姫と結婚する。

   位宮は道の大人の娘たちを皇后と妃にする。

   皇后・<日葉酢>媛は<弥馬升>を<ビバス>と発音したものへの当て字。

   崇神天皇皇后・<御間城>姫も<弥馬升>を<ミマジョウ>と読んだものへの当て字。

   その夫である<御真木>入彦(崇神天皇)も<御間城>を<ミマキ>と読んだもので同じ名乗り。

   真意は仏教教義の名の<ミーマンサー>で、倭国連邦の副首相、宗務大臣といった最高権力者。

 B <伊弊諾尊>・<伊弉冉尊>は世襲の名乗りで、卑弥呼時代は<伊声耆>が実在。

   履中天皇もその内の1人。

   <黒媛皇后>が<伊弉冉尊>。

   天皇と別れて黄泉(紀州と和泉)に行ったことも<伊弊諾>寓話と同じで、

   それにギリシャのオルベウスを信用して表現、話が重なりあう。

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2011年12月15日木曜日

国辱もの、矛盾だらけの旧式神話観



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:17頁

 《国辱もの、矛盾だらけの旧式神話観
 《国辱もの、矛盾だらけの旧式神話観


 しかし、以上の結論を、

 『神話』を否定して神を冒涜した暴論だと思う人がある。

 どちらが正しいか?。

 あるいは、どちらが私たち日本人のためになる、のであろうか?。

 在来の考え方どおり、はるかな太古の神代に、

 伊弊諾尊・伊弉冉尊の22神が、

 淡路島から「国生み」を始めたのなら、

 列島の中央部は天皇家が確保できているのだから、

 その直系の子孫である神武天皇が、なぜ南九州の片出舎にいたのか、

 なぜそこから、はるばる遠征して、もう一度、近畿を首府にする必要があったのか?。

 また天皇は、その先祖の作った土地の中でも素晴らしい

国のまほらま」大和のことを全然、知らないでいて、

 塩土の老翁に

 「東に美地あり、天下の光宅である。どうして都にしないのか」

 と教えてもらって始めて兄と相談して東征を決めたというのである。

 では、いったいどうして祖先の神が作ってくれた大和の国を、

 誰に、いつ取られてしまったのか?。

 まことに情けない疑問が次々に生まれてくる。

 それだけでなく、瓊瓊杵(ニニギ)の命がナゼ?近畿でなく、

 南九州の高千穂の峰なんかに天降ったのか?。

 それに続く日向神話はなんなのか?。

 大国主が譲った国はどこだったのか?と、

 『日本神話』全体が、

 不合理な疑問に満ちたものに見えてしまう。

 知性の低かった明治以前ならともかく、

 現代人には旧式の『神話』観は、国辱ものでしかない。

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2011年12月14日水曜日

『定義』になる「天の御柱めぐり」の記録した史実



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:16頁

 《『定義』になる「天の御柱めぐり」の記録した史実
 《『定義』になる「天の御柱めぐり」の記録した史実

 このことは「国生み」の史話が明瞭に解明して見せてくれた。

 その伊弊諾尊・伊弉冉尊は履中天皇夫妻であり、

 天の御柱は前記のように磤馭盧(インギョラ)と津名として、

 明瞭に淡路島だったと、不動の事実で立証し続けているからである。

 それは寓話になってはいるが、

 新たな神を製造して国民をダマそうという『神話』なんかではない。

 履中天皇夫妻が、

 女王時代から男王の時代に脱皮した事情=畿内への進出の方法は、

 女王の宗教的教化には限界があり、男王属国天皇の武力が必要だったことを、

 今は国民になっている畿内の住民らの心情を考えて、

 露骨な史実を、寓話のオブラートで包んで記録したのが、

 淡路島「国生み」なのである。

 皇后の作った淡島神社は、今も和歌山の北端にあるが、

 それは住民全部を従わせるほどの成果を挙げなかった。

 それに引きかえ天皇の武力は、和歌山県全域をツナに変えた。

 もっともそのツナ=柱という国名は、和歌山語に変化して<キノ>に変わった。

 それは<ツナ>が天皇の部下の沖縄人たちによって<チヌ>と発音されたために、

 <チ>が<キ>に、<ナ>が<ノ>に翻訳されたのである。

 こうして言語は履中天皇軍の出身地まで記録している。

 天皇の名乗りが伊邪本和気と書いてあるのも伊邪(イザ)ナ木が正しいと簡単にわかる。

 それが『魏書倭人章』の伊声耆(イサンギ)と同じ名乗りであることもすでに見た。

 以上のように、全てが「史実」として『定義』できるのである。

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2011年12月13日火曜日

3大文明が結束して世界最長寿政体が生まれた



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:15頁

 《3大文明が結束して世界最長寿政体が生まれた
 《3大文明が結束して世界最長寿政体が生まれた

 そして私たちが今しようとしているのは、私たちの国の誕生期という、

 国史でも最も重要な、

 そしてこれまで謎に満ちていた部分の、その謎解きなのだ。

 その部分はこれまで海外の学者や国民に、

 決していい評価を受けていなかった部分である。
 
 そのため戦後の文部省は、それを埋没させようとして、

 「神話だ」と公言して、史実ではないと否定し、

 義務教育から除外して「臭いものには蓋をして」しまった。

 しかし本学では、真実を知るために、

 敢えてその部分に詞査のメスを入れた。

 その結果は本書で御覧戴いたように、

 文部省が恐れたようなものではなかった。

 それどころか、わが国を愚かな侵略思想に導いて滅ぼした、

 過去の迷信史学とは正反対の、古代3大文明の恩恵が、

 この列島で結実して、世界再長寿の天皇家政権を生み出し、

 消長はあったが現代まで、その血統を保ってきた事実が、

 初めて正しく立証できたのである。

 忠臣づらをして書いた水戸光圀らの神話妄想解釈は、

 世界で唯一の原爆被害という極悪の惨害を、

 善良な非戦闘員だった国民に与えて虐殺したが、

 彼等が神として帝国不敗の保証だと主張した部分は、

 実は生々しい史実であって、

 神話と誤解したものは、

 実は難しい政策の選択を、

 解りやすく寓話化したものだったのである。

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