ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年12月26日月曜日
定義「『古事記』は『日本書紀』を写したものだ」
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録23:28頁
《定義「『古事記』は『日本書紀』を写したものだ」》
《定義「『古事記』は『日本書紀』を写したものだ」》
『日本書紀』は、使われている暦の種類で、後半が先に書かれ、
前半が後から書かれたと、はっきりわかっている。
前から順番に38年かけて書かれたものではない。
また天皇の順位も政治勢力の圧力に左右されながら決めたことも、
仲哀天皇の例でよく御存知の通りだ。
後世にやっと決まった天皇の配列を、
天武天皇に命令されて日継と旧辞を記憶した阿礼が、
38年前に知っているはずがない。
ところが彼が安萬侶に語ったという『古事記』の内容は、
『日本書紀』の編集者たちが永年にわたって、ああでもない、
こうでもないと議論を重ねた末に、やっと決まった天皇の配列と、
ぴったり同じ順序に書かれているのである。
いかに超能力者でも絶えず霊感が働くことはない。
28才で暗唱した阿礼が、70才近い老齢になって語った記憶が、
その時その時の政情で揺れ動きながら編集されて行った
『日本書紀』の内容と同じであるわけがないし、また『古事記』の内容自体、
『日本書紀』を非難し是正するために、
わざわざ作られた「反『日本書紀』文書」になっている。
さらに決定的なことは、耳で発音を聴いたのなら、
インがオノにかわる道理がない。
インギーラとオノゴロの関係は、
磤馭盧(インギョラ)という当て字がなければ絶対に生まれない。
だから『古事記』は阿礼が語ったものではなく
『日本書紀』を写したものだと、
断定するしかない。
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