ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年12月2日金曜日
『日本書紀』の磤馭盧(インギョラ)を淤能碁呂と誤訳した『古事記』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録23:4頁
《『日本書紀』の磤馭盧(インギョラ)を淤能碁呂と誤訳した『古事記』》
この重要な磤馭盧(インギョラ)という当て字を『古事記』は、
磤(イン)とは石斧のことだと考えて、「オノ」と翻訳してしまい、
馭盧(ギョラ)を「ゴロ」と勝手な読み方にしてしまって、
淤能碁呂という当て字に書き変えている。
これを在来の学者は、
「おのずから凝ってできた島という意味」などと思いつきで解説して、
それがもつ重要な本当の意味を滅茶滅茶にしてしまっているが、
これはインギーラという卑弥呼仏教系のパーリ語の名が先にあり、
それに『日本書紀』編集者が当てた磤馭盧(インギョラ)という当て字がなければ、
淤能碁呂という当て字など絶対に生まれない。
このときの伊弊諾・伊弉冉は伊邪木(イザナキ)和気=履中天皇と皇后だから、
八幡大菩薩=応神天皇の孫で仏教徒である。
巴利国から出たパーリ語人だから、帝都を
インギョラ・インギーラと呼んだのは当然のことで、
今なおそこには津名の地名が残って、生き続けている。
これを逆にして見ても、
淤能碁呂という当て字からインギョラ・インギーラという発音は絶対に生まれないから、
天の御柱めぐりの寓話も生まれないし、
津名という地名が生まれて残ることなど絶対にありえない。
だから『古事記』は『日本書紀』を書き替えたものだ、ということは動かない。
『日本書紀』の編集者が当てた磤馭盧(インギョラ)という当て字がなければ、
淤能碁呂という当て字は絶対に生まれない。
これが『日本書紀』が先にあって『古事記』はそれを写したものだという動かない証拠、
すなわち「決め手」なのである。
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