2011年12月2日金曜日

『日本書紀』の磤馭盧(インギョラ)を淤能碁呂と誤訳した『古事記』



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:4頁

 《『日本書紀』の磤馭盧(インギョラ)を淤能碁呂と誤訳した『古事記』

 この重要な磤馭盧(インギョラ)という当て字を『古事記』は、

 磤(イン)とは石斧のことだと考えて、「オノ」と翻訳してしまい、

 馭盧(ギョラ)を「ゴロ」と勝手な読み方にしてしまって、

 淤能碁呂という当て字に書き変えている。

 これを在来の学者は、

 「おのずから凝ってできた島という意味」などと思いつきで解説して、

 それがもつ重要な本当の意味を滅茶滅茶にしてしまっているが、

 これはインギーラという卑弥呼仏教系のパーリ語の名が先にあり、

 それに『日本書紀』編集者が当てた磤馭盧(インギョラ)という当て字がなければ、

 淤能碁呂という当て字など絶対に生まれない。

 このときの伊弊諾・伊弉冉は伊邪木(イザナキ)和気=履中天皇と皇后だから、

 八幡大菩薩=応神天皇の孫で仏教徒である。

 巴利国から出たパーリ語人だから、帝都を

 インギョラ・インギーラと呼んだのは当然のことで、

 今なおそこには津名の地名が残って、生き続けている。

 これを逆にして見ても、

 淤能碁呂という当て字からインギョラ・インギーラという発音は絶対に生まれないから、

 天の御柱めぐりの寓話も生まれないし、

 津名という地名が生まれて残ることなど絶対にありえない。

 だから『古事記』は『日本書紀』を書き替えたものだ、ということは動かない。

 『日本書紀』の編集者が当てた磤馭盧(インギョラ)という当て字がなければ、

 淤能碁呂という当て字は絶対に生まれない。

 これが『日本書紀』が先にあって『古事記』はそれを写したものだという動かない証拠、

 すなわち「決め手」なのである。

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