2011年12月14日水曜日

『定義』になる「天の御柱めぐり」の記録した史実



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:16頁

 《『定義』になる「天の御柱めぐり」の記録した史実
 《『定義』になる「天の御柱めぐり」の記録した史実

 このことは「国生み」の史話が明瞭に解明して見せてくれた。

 その伊弊諾尊・伊弉冉尊は履中天皇夫妻であり、

 天の御柱は前記のように磤馭盧(インギョラ)と津名として、

 明瞭に淡路島だったと、不動の事実で立証し続けているからである。

 それは寓話になってはいるが、

 新たな神を製造して国民をダマそうという『神話』なんかではない。

 履中天皇夫妻が、

 女王時代から男王の時代に脱皮した事情=畿内への進出の方法は、

 女王の宗教的教化には限界があり、男王属国天皇の武力が必要だったことを、

 今は国民になっている畿内の住民らの心情を考えて、

 露骨な史実を、寓話のオブラートで包んで記録したのが、

 淡路島「国生み」なのである。

 皇后の作った淡島神社は、今も和歌山の北端にあるが、

 それは住民全部を従わせるほどの成果を挙げなかった。

 それに引きかえ天皇の武力は、和歌山県全域をツナに変えた。

 もっともそのツナ=柱という国名は、和歌山語に変化して<キノ>に変わった。

 それは<ツナ>が天皇の部下の沖縄人たちによって<チヌ>と発音されたために、

 <チ>が<キ>に、<ナ>が<ノ>に翻訳されたのである。

 こうして言語は履中天皇軍の出身地まで記録している。

 天皇の名乗りが伊邪本和気と書いてあるのも伊邪(イザ)ナ木が正しいと簡単にわかる。

 それが『魏書倭人章』の伊声耆(イサンギ)と同じ名乗りであることもすでに見た。

 以上のように、全てが「史実」として『定義』できるのである。

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