ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年12月14日水曜日
『定義』になる「天の御柱めぐり」の記録した史実
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録23:16頁
《『定義』になる「天の御柱めぐり」の記録した史実》
《『定義』になる「天の御柱めぐり」の記録した史実》
このことは「国生み」の史話が明瞭に解明して見せてくれた。
その伊弊諾尊・伊弉冉尊は履中天皇夫妻であり、
天の御柱は前記のように磤馭盧(インギョラ)と津名として、
明瞭に淡路島だったと、不動の事実で立証し続けているからである。
それは寓話になってはいるが、
新たな神を製造して国民をダマそうという『神話』なんかではない。
履中天皇夫妻が、
女王時代から男王の時代に脱皮した事情=畿内への進出の方法は、
女王の宗教的教化には限界があり、男王属国天皇の武力が必要だったことを、
今は国民になっている畿内の住民らの心情を考えて、
露骨な史実を、寓話のオブラートで包んで記録したのが、
淡路島「国生み」なのである。
皇后の作った淡島神社は、今も和歌山の北端にあるが、
それは住民全部を従わせるほどの成果を挙げなかった。
それに引きかえ天皇の武力は、和歌山県全域をツナに変えた。
もっともそのツナ=柱という国名は、和歌山語に変化して<キノ>に変わった。
それは<ツナ>が天皇の部下の沖縄人たちによって<チヌ>と発音されたために、
<チ>が<キ>に、<ナ>が<ノ>に翻訳されたのである。
こうして言語は履中天皇軍の出身地まで記録している。
天皇の名乗りが伊邪本和気と書いてあるのも伊邪(イザ)ナ木が正しいと簡単にわかる。
それが『魏書倭人章』の伊声耆(イサンギ)と同じ名乗りであることもすでに見た。
以上のように、全てが「史実」として『定義』できるのである。
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