ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年12月28日水曜日
定義「『古事記』は偽書だ」
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録23:30頁
《定義「『古事記』は偽書だ」》
《定義「『古事記』は偽書だ」》
だから稗田阿礼という当て字が、
ピューティヤのことだという常識がなくなり、
『古事記』筆者自身それを知らないほど後世の筆者が、
それを女性専用の代名詞だとは知らずに、
男性の固有の姓名だと勘違いして使ってしまったのである。
だからその時期は元明天皇の勅撰だと書いても簡単にはバレないほどの、
かなり後世の作品だということになる。
『古事記』が序文通りの年月日に太安萬侶が書いて提出したもので、
その時、天皇たちが、その序文を読んだなら、稗田阿礼など実在しないから、
すぐ露見して大変なことになる。
それは、阿礼が実在しないというウソが問題になる程度の、
小さな事件ではないからだ。
時の政府からみれば、
せっかく作った重要な国策のための歴史書・『日本書紀』の内容に、
真っ向(こう)から反抗するテロ文書である『古事記』が見逃されるわけがない。
そんなものは直ちに廃棄処分にされ、安萬侶は即座に死刑に処せられる。
この視点からみても、『古事記』は元明天皇の命令で作られたものではなく、
その時代のものでもない。
はるか後世に何人が、安萬侶や阿礼の名を勝手に使用して、
天武天皇や元明天皇の詔勅まで偽造して、
いかにも勅撰の史書らしく見せかけた、
トンデモナイニセモノだったのである。
序文は自らそれを各所で暴露し告白している。
『古事記』は偽書か?ではなく、
「『古事記』は偽書」なのだ。
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