ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年12月6日火曜日
『魏書倭人章』の真価は卑弥呼時代を定義したこと
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録23:8頁
《『魏書倭人章』の真価は卑弥呼時代を定義したこと》
しかし、このまま興味本位に「『古事記』偽書説」に滑りこんでしまっては、
本講の主題である『定義』から脱線してしまう。偽書説問題は簡単ではない。
後にまわして、ここではこれまでの定義の価値を確認して、
さらに定義を充実させるのが本題でなければならない。
これで『古事記』が『日本書紀』を写したものだと定義できたから、
安心して『日本書紀』に重点を置いて、
この定義を確立させた「ソナカと卑弥呼記事の分散」が
『魏書倭人章』の本当の価値を証明する事実を、
よく印象に止めて戴けるお話をすることにしよう。
歴史に関心の薄い人でも、
戦後のいわゆる「邪馬台国ブーム」はご存じである。
それほど日本人の関心は
「邪馬台国はドコにあったか?」に集中していた。
しかし『魏書倭人章』の本当の価値は
「邪馬台国はドコにあったか」なんかではない。
その最高の功績は、
卑弥呼が「いつの時代の実在者だったか」を記録していたことなのである。
卑弥呼は
「後漢の桓帝と霊帝との間ごろに倭国の女王に共立され、A.D.248年に死んだ」。
これがわが国の正史とされる『記・紀』ではさっぱりわからない。
『魏書倭人章』があって始めて確認できたのである。
だからこれも、卑弥呼とその別名による記録類が史実だと確認できる『定義』なのである。
その定義がどんなに役に立つのか?、詳しくお話ししてみよう。
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