ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年12月24日土曜日
安萬侶は本当に阿礼の話を聞き書きしたのか?
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録23:26頁
《安萬侶は本当に阿礼の話を聞き書きしたのか?》
《安萬侶は本当に阿礼の話を聞き書きしたのか?》
以上は、大きな問題の定義だが、
次はそれらの細部の定義について考えてみよう。
たとえば
「磤馭盧(インギョラ)を淤能碁呂と誤訳した」という定義から、
さらに何かを定義できるだろうか?。
『古事記』序文は
「稗田阿礼が記憶した物語を、太安萬侶が聞き書きしたのだ」というのが、
これまでの定説になっているが、
それが正しいか、どうか?から考えてみよう。
『古事記』序文は
「稗田阿礼の誦(よ)む所の勅語の旧辞を撰録して献上」したと書いてある。
在来は、この「旧辞」が阿礼が記憶した物語で、
「誦む」が、それを暗唱した物語を、口で語ったことだとしてきた。
だとすると安萬侶は文字を見たわけではない。
耳で阿礼の物語る発音だけを聞いて、メモって、
後で「撰録して=選り分けて書いて」
『古事記』に仕上げたというのである。
それなら「オノゴロ」という島の名は、
安萬侶が磯駁鹿(インギョラ)という文字を見て
オノゴロと読み間違えたのではない。
阿礼がそう記憶していたことになる。
すると『古事記』は
『日本書紀』より後に『日本書紀』を写したものだ、
という定義は成り立たなくなる。
しかし『古事記』序文はウソで満ちていて、
その証拠は幾つも重なりあっている。
それをよく確認して始めて、先の定義が確立するのである。
『My ブログ』
古代史ブログ講座
歴史徒然
ネット歴史塾
ウワイト(倭人)ウバイド
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史の画像
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
メソポタミア世界
シュメル-人類最古の文明
The ETCSL project,Faculty of Oriental Studies, University of Oxford
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿