ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年12月25日日曜日
『記・紀』冒頭部分の一致は奇跡か?
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録23:27頁
《『記・紀』冒頭部分の一致は奇跡か?》
《『記・紀』冒頭部分の一致は奇跡か?》
『日本書紀』は先述したように、38年かけて、やっと完成した正史だった。
ところが、安萬侶は、それとほとんど同じものを
和銅四年九月十八日に命令を受けて、
和銅五年正月の二十八日には完成した『古事記』を上呈した。
4か月と10日という猛スピードである。
この『日本書紀』と『古事記』の内容を比較してみよう。
『日本書紀』は、天地が初めて生まれたあとに、神々が生まれた、
その最後の2神をイザナキ・イザナミの夫妻だとして、
この2神が「天の浮橋」の上に立って
「天の瓊矛」海にさし下ろして探ると、
矛からしたたり落ちた潮が凝って1つの島になった。
その名を磤馭盧(インギョラ)島というと書いている。
『古事記』は神名が違うだけで、
天地が生まれ、神々が生まれた最後の神を、
イザナキ・イザナミの2神とすることも、
2神が「天の浮橋」に立って、
「天の沼矛」をさし下ろして畫けば塩が音をたて、
矛を引き上げると矛先から垂れ落ちた塩が累積して
島になったことも全く同じである。
その島の名が磤馭盧(インギョラ)ではなく
淤能碁呂島だと書いているのが違うだけだ。
しかし『日本書紀』は元明天皇でさえ、
養老四年五月二十一日に初めて見たのだ。
なのに稗田阿礼は完成後の『日本書紀』の書きだしの部分を、
38年も前に細部まで透視し、暗記していたことになる。
それなら安萬侶はなぜ?この「大奇跡!」を、
特記しないのだろう?。
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