ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年12月8日木曜日
『記・紀』は今、やっと「歴史書」として誕生した
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録23:10頁
《『記・紀』は今、やっと「歴史書」として誕生した》
これで、
在来の学者が別人の話として無視してきたソナカと卑弥呼の別伝が、
どんな構成になり、
なぜ分散して『記・紀』に入っていたか、さらによくよくご理解戴けたと思うが、
『記・紀』では、彼女の生涯が何時だったか、
本当の時間帯は全くわからないということを、
ここで改めてよくご認識戴きたい。
在来の学者は、これまでただ漠然と、
卑弥呼は倭迩迩日百襲姫らしい…という印象をもち、
だから崇神天皇は卑弥呼時代だと思い、卑弥呼は248年ごろに死んだから、
崇神天皇時代はその前ごろだとか、卑弥呼という名は、
僅かに『日本書紀』の「神功皇后紀」の割注に出てくるので、
皇后と同一人物か?と思ってはきたが、ただそれだけで、
それが皇后と同じ人だとは断定できていないままなのである。
『記・紀』は時間帯のない半人前の歴史書なのだ。
しかし、私たちはすでに、卑弥呼と、その別名との関係をはっきり解明し、
同一人物だと確認しているので、こうして『魏書倭人章』の書く正確な年月を、
彼女の生涯に当てはめることができた。
極端な表現をすると、今はじめて『記・紀』は、正確な時間帯をもったのである。
それは「『記・紀』が今、ようやく一人前の歴史書として誕生した」といってもいい。
それを可能にしてくれたのは『魏書倭人章』だ。
これが『魏書倭人章』の最大の価値である。
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