ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年12月5日月曜日
ウソで満ちている『古事記』序文
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録23:7頁
《ウソで満ちている『古事記』序文》
続けて安萬侶は「皇帝陛下(元明天皇)…和銅四年(711年)九月十八日を以て、
安萬侶に詔して、稗田阿礼のよめる勅語の旧辞を撰録して献上せしめたもう。
…併せて三巻に録して以て謹んで献上したてまつる。
和銅五年(712年)正月二十八日…」と書いているから、
その通りだとすると「憤然と書き変えさせた」のは
天武天皇と元明天皇だったことになる。
ところが、在来の学者は、天武天皇が、天武十年(681年)三月十六日に川島皇子らに、
『帝紀』と『上古諸事』の編集を命じたのが『日本書紀』編集の始まりで、
それが38年後の元正天皇養老四年(720年)五月二十一日に一品舎人親王が完成を報告した
『日本紀』が、すなわち『日本書紀』の完成だとしている。
これだと、天武天皇は『日本書紀』を見て怒るどころか自分が編集させ、
しかも完成した『日本書紀』は知らないまま死んだことになる。
だから天武・元明の両天皇は当事者ではないし、
本当の『古事記』完成は720年より後になる。
すると安萬侶の序文が青く和銅五年(712年)正月二十八日に
『古事記』を献上したというのは、まるつきりのウソになる。
『古事記』の実体は『日本書紀』への反発である。
それは国名を日本と書くのを憎んで、
すべて「倭」に直していることだけでも疑問の余地がない。
だからその『古事記』の思想と合わない文言で書かれた序文はウソで満ちている。
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