2015年3月26日木曜日

男王卑弥弓呼と孝霊天皇③

 浦和レッズレディース
 『Yahoo!天気・災害』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ※Matのジオログ
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:870・871・872頁

 第十三章 「倭人伝」 
 
 男王卑弥弓呼と孝霊天皇③
 
  卑弥弓呼は王名である。

 単に金属用語ではない。

 「木‐」名の多くが十市郡にあったが、

 「久波」の名を持つ細比売(くわひめ)命『古事記』は

 十市縣主の祖大目の女で第8代孝霊天皇の皇后となった。

 この孝霊天皇こそ卑弥弓呼である。

 同天皇の宮殿は廬戸宮といい、

 磯城郡田原本町黒田にあったとされ、

 そこに孝霊神社が鎮座し、

 比売久波神社からはそう遠くないところである。

 「廬戸」は「墓側のいほりの戸」と奇妙な内容を含む。

 前出の比売久波神社の東側に島ノ山古墳は

 5世紀の前半の造成とされる古墳で

 3世紀中頃の孝霊天皇あるいは卑弥弓呼とは関係ないが、

 『記・紀』の宮殿名が

 『記・紀』編纂の頃名づけられたとしるならば

 この「墓側のいほりの戸」は生きてくる。

 戸は門である。

 その宮殿のあったという黒田の東南は宮古地区である。

 かっては「都」とも表記されたが、

 史料にみられる最古の表記は宮子(鎌倉時代)で、

 宮子は「クコ、キュウコ」でもあり、「弓呼」に通じる。

 廬は「草や木を結んだりして作った粗末な家」の意味だが、

 ドイツ語の「編み細工」を表わす

 zain には「鋳込み」「地金」、 zainer は鍛冶工と金属業に

 係わる語義がふくまれるので、

 この用語も「金属工」の意味で

 付けられたのではないかとも推測される。

 廬戸にそれぞれ「金」を付加えると「鑪炉」で

 炉、鈩(たたら)となり、溶鉱炉の意味となる。

 この地域は鏡作神社や富都神社(富本)、

 都留伎神社(川西町結崎)があり、

 唐古鍵遺跡など金属業の中心地であったとみられる。

 孝霊天皇の兄に

 大吉備諸進命、意富夜麻登玖邇阿礼比売命との間に

 大吉備津日子命、蠅伊呂杼との間に

 若日子建日子建吉備津日子命と「吉備」名があるが、

 これはサンスクリット語の kvath (煮汁、精<エキス>)の

 転写である。

 動詞 kvathabe は「熱する、沸く、沸かす、煮る」であり、

 金属業の釜あるいは炉に係わる用語である。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年3月24日火曜日

男王卑弥弓呼と孝霊天皇②

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ※Matのジオログ

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:869・870頁

 第十三章 「倭人伝」 
 
 男王卑弥弓呼と孝霊天皇②

 延喜式神名帳は比売久波神社の訓に「ヒメクハ」と共に

 「ヒメカミ」に左書きしている。

 「クハ」はサンスクリット語の kubha(kumbha) で

 「壺、甕、瓶」を意味するが、

 その同類語 kumbhi はさらに「鍋」を表わすので、

 これが「カミ」であろう。

 それらの説明は大阪府寝屋川市秦町の細屋神社を紹介した

 第12章「大物主神の奉祭氏族(1)登美族」と同じであるが、

 「久波」は「細」なのである。

 「比売」は「黄金」を表わす heme の音写である。

 鍋は kata-cckha あるいは kata-cchu と表記される

 「爐」の意味を持つ。

 ラテン語の cācabus(釜) と同類である。

 Heme-cckha が「比売久波」「卑弥弓呼」の祖語で

 「金(属)‐釜」で「溶鉱炉」あるいは鍛冶炉を

 表現したものと考える。

 比売久波神社の鎮座する町名「川西」は加西、高市と同祖で

 「王侯、王座」であるが、

 これは狗奴国の官名「狗古智卑狗」の原語で

 「高市彦」でもあると考える。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年3月21日土曜日

男王卑弥弓呼と孝霊天皇①

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 《参考:年表・資料》

 ※Matのジオログ

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:868・869頁

 第十三章 「倭人伝」 
 
 男王卑弥弓呼と孝霊天皇①

  倭人伝は「狗奴国の男王卑弥弓呼」と記す。

 「卑弥」は「卑弥呼」と同じで「ヒミ」で、

 「呼」も同様「コ」とするが、

 「弓」は漢語で gong であるので

 「ヒミクコ」ないし「ヒミキュウコ」となる。

 この卑弥弓呼名を日本の資料に発見することができた。

 磯城郡川西町唐院に鎮座する比売久波神社がそれであが、

 諸資料に祭神名が記されているものの

 実際のところ不詳である。

 同社の祭事は「奉幣神事」といい、

 例年10月18、9日に奉幣お渡りの儀式を行う。

 御幣がその中心に据えられた祭儀で「きぬ祭」である。

 同社の東側隣り島ノ山古墳の出土品のうちに車輪石がある。

 石製の楕円板で櫛山古墳の円盤(腕輪)と同様

 放射状に波打つように浮彫りが施されているが、

 中央の穴が小さく石製部分が幅広い。

 そのため車輪に似ていることから名付けられている。

 同古墳は古墳時代中期の初め

 5世紀前半の造成と推測されており、

 櫛山古墳よりは150年程後になることからすると、

 この車輪石は円盤の変形したもので

 比売久波神社の「御幣」であったと考えられる。

 その出土品は石製刀子、勾玉、菅玉など祭祀性が強い。

 同様の車輪石は奈良市佐紀町の日葉酢媛陵とされる

 佐紀陵山古墳からも三個出土している。

 日葉酢媛命は垂仁天皇の皇妃で、

 同古墳の造成時期は4世紀末から5世紀初めに想定され、

 島ノ山古墳と同時代である。

 同陵近くには歌姫町の添御縣坐神社が鎮座する。

 添は曾布、繒で「幣」のことであった。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 高床式神殿
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狗奴国⑧

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 《参考:年表・資料》

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:867頁

 第十三章 「倭人伝」 
 
 狗奴国⑧

  奈良市の北部は平安時代は添上郡添下郡であった。

 この「添」由来を「繒」にあると考える。

 延喜式神名帳の添下郡に「添御縣坐神社大」が載る。

 現在二つの否定社があり、

 奈良市歌姫町の同名社及び奈良市三碓(みつがらす)の

 同名社である。

 延喜式祈年祭の「御県神官祭祝詞」に次のようにある。


   御県に坐す皇神等の前に曰さく

  高市、葛木、十市、志貴、山辺、曾布と御名は白して、

  此の六御県に生り出づる甘菜、辛菜を持ち参ゐり来て、

  皇御孫の命の長御膳の遠御膳と聞こしめすが故に、

  皇御孫の命の宇豆(うづ)の幣帛を称辞意へ奉(まつ)らくと

  宣る。


  この祝詞で添郡を「曾布」と表記しており、

 それは「繒」である。

  そして後段に述べられる「幣帛」でもある。

 「添県」は「きぬの県」なのである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
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 ハラフ期の土器について
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 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2015年3月20日金曜日

狗奴国⑦

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 《参考:年表・資料》

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:866・867頁

 第十三章 「倭人伝」 
 
 狗奴国⑦
 
  ヤーダヴァ族である登美族の信仰に係わる

 考古学的資料を指摘しておく。

 4世紀末期の造成とされる櫛山古墳(天理市柳本町)は

 崇神天皇陵(行燈山古墳)の陪塚で、

 双方中円墳で祭祀が行われた跡を残している。

 この古墳の構造で後方部の表面に

 赤い砂層が敷き詰められている様子は

 赤御幣と同じく赤に対するこだわりの表れである。

 砂も大神神社の「清めの砂」に関連していそうある。

 その発掘された遺留品がの中に

 石製の「腕輪」と判断されているものがある。

 その面には放射状に波打つ装飾が見られる。
 
 これは腕輪ではなく円盤である。

 同古墳の周濠から江戸時代に出土したと
 
 伝えられる銅板にも円盤状の紋様が施されており、

 その主旨を同じくするものと考えられる。

 大神神社の山ノ神祭祀遺跡の遺物の中にも

 「双孔円板」が数百枚含まれていた。

 この円板も円盤とすることができるだろう。

 その数の多さは目立っている。

 円盤はインドの神、

 ヴィシュヌ神の武器として知られている。

 ヤーダヴァ族のクリシュナは大叙事詩

 マハーバーラタ

 (サンスクリット語: महाभारतम् Mahābhārata)に

  おいてヴィシュヌ神の権化とされ、

  後のヒンズゥ教の聖典プラーナにおいては

  その性格が一層強くなり、

  ヤーダヴァ族にヴィシュヌ神との関係がみられる。

 同神はすでにリグ・ヴェーダ

 「(ऋग्वेद Rigveda)は、古代インドの聖典であるヴェーダの1つ。

   サンスクリットの古形にあたるヴェーダ語

  (英語: Vedic Sanskrit)で書かれている。

  全10 巻で、1028篇の讃歌(うち11篇は補遺)からなる。」

 にその神名がみられ、インドラ神のよき協力者である。

 その讃歌にはインドラ神が牡牛として現れるのに対し、

 牡牛を神獣とする。

 その同名は太陽の光輝を神格化したもので、

 クリシュナの別称がヴァースデ・ヴァ vāsudeva で

 その父がヴァースデーヴァ vāsudeva の子という意味を持つが、

 そのvāsが「夜が白んで明るくなる」「夜明けに輝く」の字義を

 持っていて、

 ヴィシュヌ

  (英: Vishnu, Viṣṇu, デーヴァナーガリー:विष्णु)は、

  ヒンドゥー教の神である。

  仏教名は「毘紐天」、「韋紐天」、あるいは「那羅延天」。

  音写語としては「微瑟紐」、「 毘瑟怒」などもある。

 はそれに係わる。

 そしてそれは、

 天照大神の祖像と説いたウシャス神名にも係わり、

 大神神社に関連する。

 さらにインドラ神の協力者であることもその係わりの強さを示す。

 円盤は太陽光の放射を表徴させたものであると考えられる。

 櫛山古墳まどから出土した円盤は

 ヤーダヴァ族(登美族など)の系譜の遺品で

 あることに相違あるまい。

 この「円板」はいわゆる「御諸」を表わしているのかもしれない。

 インドラ神は雷神で積雲 mih(migh)-māla の神であり、

 それは同神の首輪(花輪)である。

 御諸が「環」であることは前章で述べた。

 そうすると円盤が大物主神の象徴であると理解される。

 ただし「双孔」であることに疑念は残る。

 そこで別の面から解釈を述べておきたい。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2015年3月18日水曜日

狗奴国⑥

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:865頁

 第十三章 「倭人伝」 
 
 狗奴国⑥

  ヤハウェの示す力にはインドラ神と同じ影がある。

 モーセはエジプトの王の前で持っていた杖を投げると蛇になった。

 また、その杖で水に触れるとエジプトの水という水が

 全て赤い血の色となり飲めなくなった。

 赤い御幣を玄関入口に立てるというのは

 ユダヤ教の仕方である。

 ヤーダヴァ族である登美族が

 メソポタミアから受け継いできた宗教的慣習であろう。

 赤御幣の形は「雷光、稲妻」を模したものとみられる。

 他の神社では白紙で作られるが、

 その形はやはり同様の稲妻状である。

 つまり赤御幣はインドラ神の武器である金剛杵(vajura)の

 象徴で倭族の伝統「帛」と習合したものである。

 ヴァジュラは本来棒または槌で「杵(きね)」であった。

 「杵」はエローラ石密第四窟に浮彫りされた

 「ドウルガー女神像」では「棍棒」となっている。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
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 鳥居のルーツ

狗奴国⑤

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

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 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:863・864頁

 第十三章 「倭人伝」 
 
 狗奴国⑤

  「きぬ」は今でも大神神社の隠れた信奉の象徴である。
 
 それは「赤御幣」である。

 「幣」は「ヘイ」だが、また「キヌ」でもある。

 「説文」に「幣、帛也」とあり、

 幣帛(みてくら)とも表わされる。

 帛は絹布であるが、「丹書して神を祠るきぬ」であり、

 またの名を「繒」という。

 その元祖を第9章中国の祝祭と皇帝「中国の祝祭」で

 三星堆遺跡の祭祀に関係して説明した。

 倭族の古来の伝統が三輪山では生きているのである。

 この赤(丹)色の御幣は災難よけを主旨に

 大神神の憑り代として参拝者に授けられている。

 御幣は信奉者各家の入口に立てられ、

 玄関から禍事災難を入らせないという。

 家の入口に赤いものを立てるのは

 メソポタミアを発祥地とする

 ヘブライ人の慣習でもある。

 第5章「旧約聖書」創世記の「ヤハウェ神とモーセ」で

 説明した「出エジプト記」第12章に主ヤハウェがモーセに向って

 告げる正月には各家ごとに小羊を一頭取らなければならないとし、

 「イスラエルの会衆は皆夕暮れにこれを屠り、その血を取り、

  小羊を食する家の入口の二つの柱と鴨居に

  それを塗らなければならない。

  そしてその夜、その肉を火に焼いて食べ、

  種入れぬパンと若菜を添えて食べなければ「ならない」

 とある事情に合致する。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
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