2015年3月21日土曜日

男王卑弥弓呼と孝霊天皇①

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ※Matのジオログ

 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:868・869頁

 第十三章 「倭人伝」 
 
 男王卑弥弓呼と孝霊天皇①

  倭人伝は「狗奴国の男王卑弥弓呼」と記す。

 「卑弥」は「卑弥呼」と同じで「ヒミ」で、

 「呼」も同様「コ」とするが、

 「弓」は漢語で gong であるので

 「ヒミクコ」ないし「ヒミキュウコ」となる。

 この卑弥弓呼名を日本の資料に発見することができた。

 磯城郡川西町唐院に鎮座する比売久波神社がそれであが、

 諸資料に祭神名が記されているものの

 実際のところ不詳である。

 同社の祭事は「奉幣神事」といい、

 例年10月18、9日に奉幣お渡りの儀式を行う。

 御幣がその中心に据えられた祭儀で「きぬ祭」である。

 同社の東側隣り島ノ山古墳の出土品のうちに車輪石がある。

 石製の楕円板で櫛山古墳の円盤(腕輪)と同様

 放射状に波打つように浮彫りが施されているが、

 中央の穴が小さく石製部分が幅広い。

 そのため車輪に似ていることから名付けられている。

 同古墳は古墳時代中期の初め

 5世紀前半の造成と推測されており、

 櫛山古墳よりは150年程後になることからすると、

 この車輪石は円盤の変形したもので

 比売久波神社の「御幣」であったと考えられる。

 その出土品は石製刀子、勾玉、菅玉など祭祀性が強い。

 同様の車輪石は奈良市佐紀町の日葉酢媛陵とされる

 佐紀陵山古墳からも三個出土している。

 日葉酢媛命は垂仁天皇の皇妃で、

 同古墳の造成時期は4世紀末から5世紀初めに想定され、

 島ノ山古墳と同時代である。

 同陵近くには歌姫町の添御縣坐神社が鎮座する。

 添は曾布、繒で「幣」のことであった。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ
 

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