2012年3月31日土曜日

一つの史料が複数の時代の史料になる例



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:5頁

 《一つの史料が複数の時代の史料になる例
 「一つの史料が複数の時代の史料になる例

 それだけでなく私(加治木義博)の兕觥は、それを何故?

 私(加治木義博)がもっているのか?という疑問、

 それは殷の歴史ではなく「新しい歴史」の疑問をもっている。

 いまそれをお話しをすると、

 確かにそれは「複合した歴史の証人」であることが、

 より一層、深くおわかり戴けると思う。

 それは明治の末年に、

 中国の清朝を倒して国民を圧政から開放し、

 民主中国を誕生させた孫文(逸仙)が、

 明治44年に大総統になるや、

 当時中国の骨董商間で最高の貴品とされていたものを自ら選んで、

 わざわざ特使を派遣して、

 私(加治木義博)の祖父に、

 革命援助のお礼として届けてきたものである。

 近代史から見れば、このほうが重要であって、

 兕觥は自身のもつ歴史とは無関係に、中国革命の実体を語り、

 また、ただ単に高価だから選ばれたということが重要な意味をもつ、

 奇妙な歴史的位置も占める。

 この場合は価格が破格の高価だったということだけが問題で、

 その名称も種類も工芸価値も歴史価値も全く問題ではない。

 これでお解りのように、史料の価値というものは、

 それを見る立場、目的、時代、用途によって、どんどん変わる。

 このことを考えずに一面だけを見て評価するのは誤りだと、

 すぐおわかりになったと思う。

 それをさらに印象的にする全く別の視点の例を、

 この機会にもう一つ挙げて、

 より深くものごとを観ることの必要牲を、

 強く訴えることにしたい。

 『参考』
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2012年3月30日金曜日

『兕觥』はどんなに歴史を保存しているか?



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:4頁

 《『兕觥』はどんなに歴史を保存しているか?
 「『兕觥』はどんなに歴史を保存しているか?

 私(加治木義博)は中国の古代王朝、

 殷の最後の皇帝・紂(チユウ)王が美女・妲妃(ダッキ)と

 酒池肉林の遊楽にふけった時、

 使ったと司馬遷が『史記』の「殷本紀」に書いている

 青銅製のジョッキ『兕觥』を秘蔵している。

 だから私は3000年以上前の故人だということには絶対にならない。

 この常識的なことがわからないのは、余りにも不勉強で非科学的すぎる。

 『兕觥』は、まず紂王の時代の銅器製作技術を物語り、

 その形態や文様で当時の信仰や呪術とその表現法を教え、

 付着物や保存状態で出土地とその環境条件がわかり、

 副葬していた墳墓の構造と技術によって、

 当時の人の未来に対する予測力と、

 保存法を考案した対応能力とがわかる。

 またそのサイズによって、

 それを酒器として使った紂王の経済状態が読みとれ、

 その兕という独特の空想動物の所属が牛の一種とされたことと、

 紂の字の発音が「チュウ」であることから、

 それは「丑(チュウ)」であって、

 紂王の干支を表わしているのだとわかる。

 すると「紂=糸の切れっ端」というような名を、

 当時の超大国の皇帝が自ら名乗るはずがないこと、

 その字は彼を倒した周の人間が、

 わざわざ選んでつけた蔑称だったことがわかる。

 まだ挙げればキリがないくらい?は「歴史を記録している」。

 それは単なる1個の骨董品ではない。

 ら私たちは、それが語る能力を徹底的に引き出さねばならないのである。

 『参考』
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2012年3月29日木曜日

出土品が語る年代は何を立証しているのか?



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:3頁

 《出土品が語る年代は何を立証しているのか?
 「出土品が語る年代は何を立証しているのか?

 奈良県のある古墳で土器が発掘された。

 土器は明らかに3世紀半ばのものだと確認できた。

 奈良の古墳は卑弥呼時代から実在していた。

 邪馬台国が奈良にあった証拠だ。

 という説を以前、ご紹介したことがある。

 古墳からは鏡が出土する。

 その鏡は大半が中国製である。

 それには前漢時代のものが多い。

 前漢は紀元前の国だから、

 その古墳は紀元前に造られたのだろうか?。

 鏡はいくらでも伝世するから造って直ぐ副葬されたとは限らない。

 鏡の場合は伝世すると誰もが知っているから、

 その製造年代は古墳の築造年代とは何の関係もないと、割り切っている。

 古墳から出土した土器も同じことで、

 割れ物の土器は伝世しないとは限らない。

 茶の好きな人は利休の愛した茶碗を大切にしていた。

 その人の遺品がその茶碗一つでも、

 それでその遺骨の主が、

 利休時代の人だということにはならない。

 土器も、たとえ古墳が紀元前の土器で埋まっていても、

 それはそこに住んでいた先住民が残したものが混入しただけだと判定できる。

 それは他の古墳群がすべて古墳時代以後のものだと判っているからである。

 この程度のことが判断できずに、

 出土土器の年代だけで、

 それが古墳の築造年代だと即断して発表した発掘者は、

 素人なみの頭しかないというはかない。

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2012年3月28日水曜日

真の『神道』は高度の政治哲学。『記・紀』は憲法



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録26:32頁

 《真の『神道』は高度の政治哲学。『記・紀』は憲法
 《真の『神道』は高度の政治哲学。『記・紀』は憲法

 これでわかるように、在来の学者が神話だとしてきたものは、

 ギリシャ以来の神託であり、予言であり、

 それが的中した「実例集」でもあった。

 『神道』は、国がよりよく発展するための道として、

 何が正しいか、どうするべきかを示す「政治哲学」でもあったのである。

 神託を最上の指針として用いたのはギリシャで、
 
 それをローマ帝国が継承した。

 アポロン神殿のピューティヤは大蛇と共にいた。

 その大蛇をアポロンが退治て国を譲り受けた。
 
 その神託がそのまま出雲の神託として、

 我が国の政治の規範になった。

 それは『記・紀』が共に受け継いだシステムで、

 『記・紀』は憲法であり、

 その法令集だったのである。

 しかし総理が参拝すると、

 大戦の被害国民が過去の日本軍閥の罪過を想い出し、

 轟々たる非難が巻き起こって、

 そのたびに日本人の格が下がるという、

 今の神道の在り方は、真実の『神道』とは余りにも、かけ離れ過ぎている。

 無知の塊りとしか言いようがない。

 「神ながらの道」などと唱えながら、

 その真意を調べもせずに来た商業化した神道には、

 到底、未来はない。

 それは私たちの祖先を辱かしめ、日本人を人類の敵にするだけである。

 心ある神官も信者もともに、是非「言語復原史学」に入会して、

 神が書かせたこの講座で真実の歴史を学び、

 人々を正しく導ける真の救世主になって欲しい。

 それがこの講座の切なる願いなのである。

 『参考』
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2012年3月27日火曜日

繰り返し起った「大国主国譲り」の実態



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録26:31頁

 《繰り返し起った「大国主国譲り」の実態
 《繰り返し起った「大国主国譲り」の実態

 しかしより精密にイザナギ、スサノオ親子を、

 リストにして実在者たちと比定してみると、

 親子が逆転することが明瞭に浮かび上がる。

 伊声耆(イサナギ)を卑弥呼(アマテラス)の父とすると、

 とても中国までは行けないし、

 ②のように名乗りが親子に分裂してみえる。

 また誉津別はスサノオと同じく泣きイサチって垂仁天皇を困らせる。

 同じ名をもつ応神天皇は、女王制でなく男王制を開く。

 これは大虵を退治たスサノオに一致する。

 「名乗りの世襲」は動かない。

 また「大国主国譲り」は単一の事件ではなく、

 繰り返し起ったことを証言しているのである。

   イサナギ  天照大神     スサノオ

 ① 伊声耆   卑弥呼      伊支馬

 ② 伊佐智   倭迹迹日百襲姫  伊久米 垂仁天皇の名乗りは親子が重なっている。

 ③ 印色入日子 倭迹迹日百襲姫  稚武彦

 ④ 伊佐智   壹與(養女)   誉津別(実子)

 この④は、

 天照大神とスサノオが、別の母から生まれたことを、明確に示している。

 誉津別の母は狭穂姫で火中で死んだ。

 火神に殺されたイザナミである。

 その後で目鼻から生まれた3貴子は、この壹與たちを意味する比喩である。

 決して幼稚なお伽話ではない。

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2012年3月26日月曜日

出雲の神々の実体とアジアを教化した卑弥呼仏教


『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録26:30頁

出雲の神々の実体とアジアを教化した卑弥呼仏教
出雲の神々の実体とアジアを教化した卑弥呼仏教

これをリストにしてみると、さらに新たな細部がよくわかる。

卑弥呼は大国主でもある。

天照大神            スサノオ

①  卑弥呼             伊支馬(位宮)

②  倭迹迹日百襲姫         稚武彦

③  倭国尼師(オオクニニシ)     武御雷男

④  八俣大虵            スサノオ

敗者              勝者

スサノオの大虵退治も、

大国主の国譲りも、

同じものを、視点を変えてみたものだったとわかる。

タケビコがタケミカになるのもごく常識的な変化で、

シモコが泄謨觚(シモカ)と書かれている。

タケ美觚津王(チ)と当て字したものがあったのである。

この八俣大虵は、東南アジア一帯に、

7つの頭をもった蛇に守られた仏像として分布している。

これから千手観音の像が派生したことは、比較してみるとすぐわかる。

これは卑弥呼の仏教が、中国からインドへ次第に逆流したことを立証している。

その過程に中国の娘々廟や南海古仏信仰があることもまた有力な証拠になっている。

出雲発の伝承は想像以上に大きな力で、アジアを教化したのである。

「写真」
『日本人のルーツ』58頁
七つの頭をもつ蛇とは何か

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2012年3月25日日曜日

「神国・日本」は真実。それは何故か?


『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録26:29頁

「神国・日本」は真実。それは何故か?
「神国・日本」は真実。それは何故か?

しかし古代日本に、そんな『神託』が必要だったのであろうか?。

神功皇后は武内宿祢を神官にして、自身ピューティヤになって神託を乞い、

仲哀天皇の宿命をたずねたし、

奈良朝になっても、

和気の清麻呂宇佐八幡へ詣でて授かった神託により、

最高権力を握っていた弓削の道鏡を失脚させ排除した。

卑弥呼の倭国も、奈良朝の日本も、

一貫して国政を神託に依存していたことがわかる。

我が国の「神国」とは、この意味の神国だったのである。

では『出雲神話』と呼ばれたものは、神託と関係があるのであろうか?。

それは稗田阿礼というピューティヤが語った物語りだと『古事記』序文が断わっている。

ピューティヤこそ神託を告げる本家であり、専門家だったのだから、

答は明確で疑問の余地がない。

疑いなくそれは神託だったのである。

では、その神託の構造を調べてみよう。

『出雲神話』はスサノオの大虵退治から始まる。

この大虵は今では誰もが、

比喩の表現で架空の存在であり、

私たちはそれがスサノオと争った天照大神のことだと確認済みである。

このスサノオが卑弥呼政権を倒した山上王・位宮であり、

彼が伊久米(伊支馬)伊理毘古伊佐知=垂仁天皇であることも、

伊佐知はイサナチでイサナギ(伊声耆)だとも知っている。

そして彼が卑弥呼=倭迹迹日百襲姫の末弟・稚武彦であることも、また知っている。

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2012年3月24日土曜日

『記・紀』は『予言集』で『神託集』


『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録26:28頁

『記・紀』は『予言集』で『神託集』
『記・紀』は『予言集』で『神託集』

しかし、それはこうした予言や寓話だけの存在しか知らない人の想像でしかない。

現実に実在する数千語の共通語。

ことに色や政治圏を表わす四神と五彩圏の名が

ギリシャ起源だという動かぬ証拠など、

そんな想像では説明がつかない大量の文化と史実を、

私たちはすでに嫌になるほど見てきたのである。

それは少数の商人や難民が持ち込んだものではない。

それなら、民間の片隅の民話としてしか余命を保てないのに、

事実は、支配者・天皇家の歴史として、

『記・紀』という二重正史や、幾種もの史書や

『風土記』になって千数百年の命脈を保ってきたのである。

そしてそこに名を連ねた豪族たちは、

その天皇家や家臣の子孫であることを誇り、強調し続けてきた。

とても難民や商人の持ち込んだ「知識の切れっ端」なんかではない。

それはこの理由によって、

我が国民の中枢を守る『神典』だったのである。

絶対に、在来の神話学者らが唱えたような、

東南アジア民話の「漂着物」などではない。

こうして『記・紀』の内容が、

ギリシャ文化の生んだ知性の産物だったと確認できると、

稗田阿礼の名が巨大な史実を教える証人になる。

その名はピューティヤに対する当て字だ。

ピューティヤの仕事は『神託』だった。

ノストラダムスの『予言集』は、『カピトーリウム神託集』の翻訳だった。

『記・紀』は『神託』の倭国版と日本版だったのである。

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2012年3月23日金曜日

八咫烏まで登場する歴山大王東征


『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録26:27頁

八咫烏まで登場する歴山大王東征
八咫烏まで登場する歴山大王東征

こう解ると、「神武東征」も、複数の史実と一致していて、やはり同じ機能をもっている。

それはアレクサンドロスの東征にまで合い、どちらもミケヌから出発したことになっている。

大王は若死にした点がちがうが、

ペルシャ皇帝から、インドのマカダ王に至るま、

次々に長髄彦たちを破って、即位してその皇位につき君臨した。

大王は、ペルシャ皇帝を攻めるために、

はるばる南へ迂回してエジプトのシバの神殿に参詣して勝利を祈ったが、

その途中で大砂嵐に遭い、全滅の危機にさらされた時、

一羽のカラスが現われて道案内したので危機を脱した。

神武天皇が南へ迂回して熊野に詣で、

八咫烏の案内に救われた話まで一致しているのである。

この一致は、畏友・岡本健一教授らの研究によって、

まだまだ大量の共通点が見つかっている。

古代の我が国にギリシャ文化が花咲いたことは、

どこから見ても疑いようのない事実なのである。

もちろんそれを、文化だけを誰かがもってきた借用文化で、

もってきたのはギリシャ人とは限らないという考え方もなくはない。

「画」八咫烏

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2012年3月22日木曜日

大国主から武御雪男神までいるギリシャ神話


『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録26:26頁

大国主から武御雪男神までいるギリシャ神話
大国主から武御雪男神までいるギリシャ神話

だから母が父を倒せと命じて、それを実行したクロノスとゼウスが、

父の後を継いで君臨する繰り返しは、

まるでアレクサンドロス王家の悲劇の歴史を、

繰り返し「予言」しているように見える。

また我が国では、そのウラノス、クロノス、ゼウスの名を、

大国主、大黒、武御雷と翻訳した

「支配者の国譲りを物語る寓話」を、

『記・紀』の冒頭に掲載している。

これは死んだ妻を冥界へ尋ねていくオルペウスとイザナギの話とともに、

ギリシャ神話が重要な役割を果たしていることの証しである。

しかし、国譲りは輸入神話ではなく史実だという答を次々に見た。

それは3世紀の「卑弥呼=天照大神と位宮=スサノオ」との史実と、

7世紀の蘇我入鹿の建武王殺しと、

蘇我馬子の崇峻天皇殺しにまつわる政権独占の史実と、

天智天皇の大化大戦による倭国政権敗北と国譲りの史実。

また先にお話しした5世紀の倭王・興=安康天皇=百済・蓋鹵王の敗北による、

大阪府から出雲への逃亡者の史実とも合っている。

これは一体?何という!歴史書なのか?!。

何故?私たちの先祖は、こんなものを書き残したのであろう?。

その答は、もう解った。

イザナギ夫妻の「国生み」も大国主の「国譲り」も、

『ノストラダムスの予言集』と同じく

「予言」だったのである。

だから『予言集』の大地震の予言詩が、

関東大震災、阪神淡路大震災、新潟県中越大震災に、

ぴったり的中したように、複数の事件を予言していたのである。

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2012年3月21日水曜日

ギリシャの大国主国譲りと歴山大王家の悲劇


『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録26:25頁

ギリシャの大国主国譲りと歴山大王家の悲劇
ギリシャの大国主国譲りと歴山大王家の悲劇

大国主に戻ろう。

前にも少し触れたが、 

ギリシャ神話の天・ウラノスを父に、

地・ガイアを母に生まれた子・クロノスは、

母の頼みで父の性器を切り取って捨てた。

そして冥界の王・ハデスや海神の王・ポセイドンたちを生ませたが、

クロノスは自分の子に滅ぼされるという予言を信じて、

生まれた子供を皆、飲み込んでしまった。

次にゼウスが生まれたのを飲もうとしたとき、母は偽って石を飲ませた。

ひそかに成長したゼウスは、クロノスに味方するテイターンたちと、

雷を武器に戦って、クロノスに天の支配権を譲らせた。

これを大国主の国譲りと比較すると、

クロノス=黒主、ゼウスは御雷(ミカヅチ)に合う。

またその名も暗黒の空の主が「黒主・クロノス」で、

そこを電光で照らすのが「照主(ぜうす)・ゼウス」ということになる。

これには、さらにさかのぼって、

クロノスが譲らせた大国=天国の前王もウラノスだから、

ウは大(ウ)、ラは国(ラ)、ノスは「の主(ス)、または主(ヌシ)」である。

この徹底した一致は、ギリシャ神話が大国主国譲りと無関係だと考えることを許さない。

この類似には更にギリシャ史が絡(から)んでくる。

それは最も有名な史実、アレクサンドロスの両親の、

戦争か愛かの深刻な争いである。

そして父は母に暗殺された。

これは我が国でも、イザナギ・イザナミの国生み哲学論争に姿を変えて、

深く根を下ろしているのを見た。

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2012年3月20日火曜日

秦王国は下関。俀(ダイ)国は四国以外にはありえない


『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録26:24頁

秦王国は下関。俀(ダイ)国は四国以外にはありえない
秦王国は下関。俀(ダイ)国は四国以外にはありえない

ここで大学院講義録26号で始めて確認できた五彩圏時代の我が国を、

『隋書』を再読してもう一度振り返って見よう。

煬帝(ヨウダイ)裴輩世清を我が国に派遣して八幡浜で俀王に会わせた。

コースは都斯麻(対馬)国、一支(壱岐)国、竹斯(筑紫)国で、

その東に秦王国があり、

「竹斯より東は皆、俀国に附庸する」と書いている。

秦王国以東が俀国の仲間で、それ以外は違うことを、わざわざ書いているのである。

秦王国はシムノオ=シモノだから下関。

そこから十余国経て達した海岸に上陸した。

そこに俀王の迎え阿輩臺(アフ・トイ・阿部鳥)が儀杖を引き連れて出迎えたという。

彼の船は博多から関門海峡を通って周防灘に入り、

海岸伝いに宇部・防府・徳山・光・上関・柳井・屋代島・中島・松山・伊予の十余国を経て、

長浜(難ガ波国(ながはま))海岸へ上陸したのである。

壱岐や下関が一国だった都市国家時代なのだ。

裴世清の書く「国」は幕末の60余州のような大きなものではない。

仮にそうだとすれば下関以後、これまで上陸海岸とされてきた大阪市の難波までは、

周防・安芸・備後・備中・備前・播磨の6カ国しかない。

幕末でも船旅の旅程は輩世清の時とほとんど変わらない。

裴世清が訪れた俀国は、東西五月行、南北三月行の四国以外には存在しえない。

近畿は東西南北同距離で、地形も違い、海も全くない奈良に俀国があったとは、

空想することさえ難しい。

『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』 

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2012年3月19日月曜日

名乗りと地名との偉大な歴史価値、再確認


『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録26:23頁

名乗りと地名との偉大な歴史価値、再確認
名乗りと地名との偉大な歴史価値、再確認

それには「名乗り」のもつ地名、国名、個人名を正確に把握して、

その持ち主と時代とを確実にしなければならない。

領土は世襲されるから、同一の名乗りが倭め五王のそれのように、

複数人のものである場合があるからである。

しかし注意すれば、複数にみえても全体が同じという場合は先ずない。

倭の五王のそれは、名乗りの最後にある個人名が変化しているので、

別人だとわかるだけでなく、

それで『記・紀』の誰の名乗りか、正確に比定することができた。

こうして僅かな変化を読み取れば、人物の差、時代の差が読み取れる。

あわてて早呑み込みせずに、慎重に比定しなくてはならない。

名乗りは名詞だから、記述のように長々と書き並べるわけにはいかない。

そこで頭文字だけにしたり、代表的国名だけにしたりしてあるし、

文字も様々な当て字が統一なく使われている。

だが対照できる記録によって、なぜ省略したのか、

その理由や心理まで読み取れるし、その増減で、記録にない変動も見える。

地名が移動の跡を記録しているのも常識だ。

現在の地名とも深く繋がっているから、

どこで起った事件か具体的に特定できる。

『記・紀』のような文献だけが文化財なのではなく、

いま使っている地名もまた貴重な文化財なのである。

だから地名は簡単に変更してはならない。

むしろ改悪地名の復元こそ必要なのである。

『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』 

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2012年3月18日日曜日

復元史学の中枢、英知の宝庫[6W]


『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録26:22頁

復元史学の中枢、英知の宝庫[6W]
復元史学の中枢、英知の宝庫[6W]

『古事記』と『日本書紀』による記事の差が、どれくらい大きな違いを秘めていたかが、

これでよくお判りになったと思う。

しかし、こんな復元が、何故?できるのだろう?。

それは名乗りが領地名や国名といった

「史実に基づく文化財」で組み立てられているからである。

それを名乗るには、その背景に人間の葛藤がある。

それを名乗る地位に生まれ、

または手にいれた歴史がある。

それがその名乗りの持ち主らが体験した事件=史実を、

① 「どこで=地域」        Where

② 「誰と誰が=人間関係」     Who

③ 「いつ=時代」         When

④ 「何を=事件」         What    

⑤ 「どうしたか=行動と結果」   Which

⑥ 「その後どうなったか=余波」  How

と記録しているので、それを見事に取り出せるのである。

もちろん、それは名乗りだけでは判らない。

それと同じ事件を記録したものがあってこそ、

比較して重ね合わせることができるのであり、

本講のような復元像が取り出せるのである。

そして名乗りは改めて「動かぬ証拠」になる。

この6つの「疑問=Wh…?」はマスコミ記者の取材常識である「6W」である。

それは現代も歴史の第一線で活躍している不動の事件発掘技術で、

それはまた、

私たちの言語復元史学の中枢機能である

「正確な史実の復元」を可能にする英知の宝庫なのである。

常に活用して「落ち」がないようにして戴きたい。

『参考』
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