2012年3月3日土曜日

四国にあった「俀」国の決定的証拠群



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録26:7頁

 《四国にあった「俀」国の決定的証拠群
 《四国にあった「俀」国の決定的証拠群

 ついでにお話ししておくと、この「ダイオー」は、

 あくまで中国人向けの代名詞であって、

 こちらで日常、使っていたのではないことも、その『隋書』に書いてある。

 そこには

 「倭王、姓は阿毎(アメ)、字(あざな)は多利思比孤(タラシヒコ)、阿輩鶏弥」

 と呼ばれると書いてある。

 阿輩鶏弥の輩はファイで「フ」、鶏はケイで「キ」への当て字だから「アフキミ」、

 今なら「オーキミ」だ。こちらでは普段、「大君」と呼んでいたのである。

 すると「大=倭」だから、「倭君」でもあった。

 それはまた阿輩と阿波が共に「アファ」=「オー」であり、

 そこに君臨した仁徳天皇の「倭讃王」が倭オー・讃ササ・王キ=大雀であり、

 倭=オー=ウ・讃=サ・王=ギで、兎とも呼ばれたことも教えてくれる。

 この天足彦(アメタラシヒコ)天皇は、

 倭=宇和(愛媛県)から倭=阿波(徳島県)の領主で、

 どれをみても「四国の王として君臨している」という名乗りの持ち主なのである。

 それを『隋書』の次の正史『旧唐書』

 「倭国は…東西・五月行。南北・三月行」という長方形で表現しているが、

 これは東西南北が皆、区切られていることが重点で、

 日本列島には四国以外に、これに該当する地域はない。

 まさか聖徳太子が四国にいたとは…?とお疑いの方は、

 当時の天皇たちが道後温泉利用した

 『日本書紀』の記事をお読み戴きたい。

 『参考』
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