ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年3月24日土曜日
『記・紀』は『予言集』で『神託集』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録26:28頁
《『記・紀』は『予言集』で『神託集』》
《『記・紀』は『予言集』で『神託集』》
しかし、それはこうした予言や寓話だけの存在しか知らない人の想像でしかない。
現実に実在する数千語の共通語。
ことに色や政治圏を表わす四神と五彩圏の名が
ギリシャ起源だという動かぬ証拠など、
そんな想像では説明がつかない大量の文化と史実を、
私たちはすでに嫌になるほど見てきたのである。
それは少数の商人や難民が持ち込んだものではない。
それなら、民間の片隅の民話としてしか余命を保てないのに、
事実は、支配者・天皇家の歴史として、
『記・紀』という二重正史や、幾種もの史書や
『風土記』になって千数百年の命脈を保ってきたのである。
そしてそこに名を連ねた豪族たちは、
その天皇家や家臣の子孫であることを誇り、強調し続けてきた。
とても難民や商人の持ち込んだ「知識の切れっ端」なんかではない。
それはこの理由によって、
我が国民の中枢を守る『神典』だったのである。
絶対に、在来の神話学者らが唱えたような、
東南アジア民話の「漂着物」などではない。
こうして『記・紀』の内容が、
ギリシャ文化の生んだ知性の産物だったと確認できると、
稗田阿礼の名が巨大な史実を教える証人になる。
その名はピューティヤに対する当て字だ。
ピューティヤの仕事は『神託』だった。
ノストラダムスの『予言集』は、『カピトーリウム神託集』の翻訳だった。
『記・紀』は『神託』の倭国版と日本版だったのである。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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