2012年3月4日日曜日

明快な邪靡堆=八幡浜、では太子は聖徳太子か?



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録26:8頁

 《明快な邪靡堆=八幡浜、では太子は聖徳太子か?

 《明快な邪靡堆=八幡浜、では太子は聖徳太子か?

 では都はどこにあったのだろう?。

 『隋書』は「邪靡堆に都する」と書いている。

 隋唐音では「邪」はヤ。

 「靡」はハイで「ハ」への当て字。

 「堆」はタイで「タ」への当て字で、ヤハタなのである。

 宇和町の北には海に面した八幡浜市がある。

 『隋書』はそれを「魏志の、いわゆる邪馬臺だ」と書き添えているが、

 これはヤハタとヤバタとで同じ都だと、早とちりしたことの証拠である。

 注意が必要なのは「ヤマト」とは読んでいないことである。

 「靡」にはハイ・ヒの音はあるが、「マ」の音は絶対にない。

 また「堆」にはタイ・ツイの音ならあるが「ト」の発音はない。

 「邪靡堆」は、どんなにしてもヤマトとは読めないのである。

 では、太子「為利歌弥多弗利」の名は誰を意味するのだろう?。

 岩波文庫の解説では

 「不詳。事実は聖徳太子をさすわけである。

  和歌弥多弗利(ワカミタヒラ稚足)とでも解すべきか。

  ワカミトホリ(若い御世嗣)の説もある」(昭和40年版)。

 1990年版では

 (和歌弥多弗利か。ワカミタヒラ・稚足、

  ワカミトホリ・若い御世嗣、ここでは聖徳太子)とある。

 この訳者は原文の「名太子為利歌弥多弗利」を

 「太子を名づけて利歌弥多弗利と為(な)す」と訳している。

 他の場合は「姓・阿毎」「字・多利思比孤」だから、

 これも「名・太子為利歌弥多弗利」である。

 「為」は当て字で、絶対に「〇〇〇と為す」とは読めないのである。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 

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