ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年3月25日日曜日
「神国・日本」は真実。それは何故か?
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録26:29頁
《「神国・日本」は真実。それは何故か?》
《「神国・日本」は真実。それは何故か?》
しかし古代日本に、そんな『神託』が必要だったのであろうか?。
神功皇后は武内宿祢を神官にして、自身ピューティヤになって神託を乞い、
仲哀天皇の宿命をたずねたし、
奈良朝になっても、
和気の清麻呂は宇佐八幡へ詣でて授かった神託により、
最高権力を握っていた弓削の道鏡を失脚させ排除した。
卑弥呼の倭国も、奈良朝の日本も、
一貫して国政を神託に依存していたことがわかる。
我が国の「神国」とは、この意味の神国だったのである。
では『出雲神話』と呼ばれたものは、神託と関係があるのであろうか?。
それは稗田阿礼というピューティヤが語った物語りだと『古事記』序文が断わっている。
ピューティヤこそ神託を告げる本家であり、専門家だったのだから、
答は明確で疑問の余地がない。
疑いなくそれは神託だったのである。
では、その神託の構造を調べてみよう。
『出雲神話』はスサノオの大虵退治から始まる。
この大虵は今では誰もが、
比喩の表現で架空の存在であり、
私たちはそれがスサノオと争った天照大神のことだと確認済みである。
このスサノオが卑弥呼政権を倒した山上王・位宮であり、
彼が伊久米(伊支馬)伊理毘古伊佐知=垂仁天皇であることも、
伊佐知はイサナチでイサナギ(伊声耆)だとも知っている。
そして彼が卑弥呼=倭迹迹日百襲姫の末弟・稚武彦であることも、また知っている。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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