ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年3月29日木曜日
出土品が語る年代は何を立証しているのか?
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録27:3頁
《出土品が語る年代は何を立証しているのか?》
「出土品が語る年代は何を立証しているのか?
奈良県のある古墳で土器が発掘された。
土器は明らかに3世紀半ばのものだと確認できた。
奈良の古墳は卑弥呼時代から実在していた。
邪馬台国が奈良にあった証拠だ。
という説を以前、ご紹介したことがある。
古墳からは鏡が出土する。
その鏡は大半が中国製である。
それには前漢時代のものが多い。
前漢は紀元前の国だから、
その古墳は紀元前に造られたのだろうか?。
鏡はいくらでも伝世するから造って直ぐ副葬されたとは限らない。
鏡の場合は伝世すると誰もが知っているから、
その製造年代は古墳の築造年代とは何の関係もないと、割り切っている。
古墳から出土した土器も同じことで、
割れ物の土器は伝世しないとは限らない。
茶の好きな人は利休の愛した茶碗を大切にしていた。
その人の遺品がその茶碗一つでも、
それでその遺骨の主が、
利休時代の人だということにはならない。
土器も、たとえ古墳が紀元前の土器で埋まっていても、
それはそこに住んでいた先住民が残したものが混入しただけだと判定できる。
それは他の古墳群がすべて古墳時代以後のものだと判っているからである。
この程度のことが判断できずに、
出土土器の年代だけで、
それが古墳の築造年代だと即断して発表した発掘者は、
素人なみの頭しかないというはかない。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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