2012年3月15日木曜日

卑弥呼時代の国譲り地域



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録26:19頁

 《卑弥呼時代の国譲り地域
 《卑弥呼時代の国譲り地域

 これは『古事記』による定義だが、『日本書紀』ではどうなるだろう?。

 こちらは大己貴に国譲りを迫ったのは、経津(フツ)主と?速日神で、

 経津(フツ)は賦都=フト・フツは布屠で仏であることまではお話しした。

 このフトを名乗りにもつ天皇がある。

 孝霊天皇である。

 「賦斗邇(フトニ)命・太瓊(フトニ)の天皇」である。

 この天皇は倭迹迹日百襲姫=卑弥呼の父である。

 太瓊の瓊はタマで、玉依姫は「魂寄り姫」だから、

 フトタマは「仏の心=仏教精神」の持ち主を意味する。

 彼が熯速日と共に大己貴に要求したのは、葦原中国だった。

 熯はヒ。

 日向から火の国(火の国は肥の国)=熊本県から

 佐賀県・長崎県へと拡大していった国である、

 そこに聳える世界最大のカルデラが阿蘇火山・アソカ山。

 「ヒの国のソナカ=?速日」が、仏教の巨人・アソカ王になぞらえて、

 命名したとするのが一番妥当である。

 だから彼等が次の領土として要求したのは、その行動範囲が示す九州の中、

 それも南は自領だから北九州だったはずで、取っても何のメリットもなく、

 往来にエネルギーを浪費する遠隔地の出雲であったはずがない。

 するとこれまで繰り返しお話しした、

 卑弥呼の死後そこに新たに生まれた新「奴国」が浮かび上がってくる。

 それは下の付図でご覧のとおり「筑後」として実に奇妙な位置に、

 実に不自然こ「割り込んで」いるのである。

 「地図」

 日向の国:薩摩・大隈・日向
 火の国:肥後・肥前(牛津(1))
 豊の国:豊後・豊前(中津(2))
 筑紫の国:筑後・筑前
 新奴国:筑後

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 

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