ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年3月30日金曜日
『兕觥』はどんなに歴史を保存しているか?
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録27:4頁
《『兕觥』はどんなに歴史を保存しているか?》
「『兕觥』はどんなに歴史を保存しているか?」
私(加治木義博)は中国の古代王朝、
殷の最後の皇帝・紂(チユウ)王が美女・妲妃(ダッキ)と
酒池肉林の遊楽にふけった時、
使ったと司馬遷が『史記』の「殷本紀」に書いている
青銅製のジョッキ『兕觥』を秘蔵している。
だから私は3000年以上前の故人だということには絶対にならない。
この常識的なことがわからないのは、余りにも不勉強で非科学的すぎる。
『兕觥』は、まず紂王の時代の銅器製作技術を物語り、
その形態や文様で当時の信仰や呪術とその表現法を教え、
付着物や保存状態で出土地とその環境条件がわかり、
副葬していた墳墓の構造と技術によって、
当時の人の未来に対する予測力と、
保存法を考案した対応能力とがわかる。
またそのサイズによって、
それを酒器として使った紂王の経済状態が読みとれ、
その兕という独特の空想動物の所属が牛の一種とされたことと、
紂の字の発音が「チュウ」であることから、
それは「丑(チュウ)」であって、
紂王の干支を表わしているのだとわかる。
すると「紂=糸の切れっ端」というような名を、
当時の超大国の皇帝が自ら名乗るはずがないこと、
その字は彼を倒した周の人間が、
わざわざ選んでつけた蔑称だったことがわかる。
まだ挙げればキリがないくらい?は「歴史を記録している」。
それは単なる1個の骨董品ではない。
ら私たちは、それが語る能力を徹底的に引き出さねばならないのである。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿