2012年3月8日木曜日

俀(ダイ)国と大黒と大国の登場人物の凄い一致



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録26:12頁

 《俀(ダイ)国と大黒と大国の登場人物の凄い一致
 《俀(ダイ)国と大黒と大国の登場人物の凄い一致

 また先に不明の「多・弗・利」を「タフトイ」に対する当て字としたが、

 それがここでは「経津(フツ)(これは賦都)」=弗として出てくる。

 フト・フツは布屠(フト)で仏(フツ)である。

 これだけ完全に揃えば、

 この部分が『隋書』中の俀国の記事だということは、

 直ぐわかるはずである。

 この熯速日神の子が武甕(みか)槌の神(武御雷(ミカヅチ)男神)だから、

 泉蓋蘇文(イリガスミ)=入鹿に殺された建武王であり、

 武甕槌が最も有名なのは、

 高皇産霊尊の命令で出雲の五十田狭の小汀で、

 大国主に国譲りを迫ったことである。

 するとこの建と、速日の速は、素戔鳴の尊の名乗りについた建・速に一致するから、

 さらに真相が見えてくる。

 国譲りは太古の事件記録ではなく、

 俀国の入鹿太子を巡る事件の記録だったのである。

 ダイコクが大黒になったのであり、

 それにはさらにもう一つの意味が重なっている。

 それは高句麗が五彩圏の「黒の国=クロアチア」で、

 その王は当時の習慣で大黒と略称されたからである。

 こうわかると大国主をめぐる様々な別名は、出鱈目に呼ばれたものではなく、

 それぞれに深い意味と史実があり、それらは多くの人々が、

 深い関心をもって語って聞かせ、語り継ぎ、記録に残した。

 「史実」に使われていた名詞群だったことがわかる。

 そしてこれによって、今の主題である「大国主」の実体が、

 明確に姿を現わしてくることが期待できる。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
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