2012年3月17日土曜日

武甕(みか)槌(武御雷(ミカヅチ))は一人ではない


『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録26:21頁

武甕(みか)槌(武御雷(ミカヅチ))は一人ではない
武甕(みか)槌(武御雷(ミカヅチ))は一人ではない

オオマは倭国(オオマ)・大国(オオマ)への当て字。

糸井・イトイは伊都王(イ)である。

この皇后の正式の名乗り「渟名底仲姫」は

ヌナソコナカツヒメ=奴・娜・襲・高・中津女王である。

奴国・娜・蘇奴国と牛(ソ)津・高良=高麗の所有者で、

中津に都する女王という名乗りである。

だからこの部分の大己貴は、

北九州王の難升米・ナのツミ・娜の津見=大間宿祢以外にはない。

これだけ完全に揃えば、この部分が、

先に見た『隋書』中の俀国の記事とは全く別物だということは直ぐわかる。

『隋書』のそれは7世紀の四国での事件だった。

こちらは3世紀の北九州の事件なのである。

四国のほうは、熯速日神の子が武甕(みか)槌の神(武御雷(ミカヅチ)男神)だから、

泉蓋蘇文(イリガスミ)=入鹿に殺された「建武王」だが、

『日本書紀』の登場者では蘇我馬子に殺された崇峻天皇に当たる。

それは四国の西部、いまの愛媛県八幡浜市での事件だったのである。

北九州の方は、それより 350年前の人物である。

経津主は「賦斗邇命・太瓊の天皇=孝霊」で卑弥呼の父である。

卑弥呼の弟でタケのつく皇子は、稚武彦一人だけである。

彼は高句麗山上王・位宮だから、

タケヒコというのは、高彦=高句麗王のことだとわかる。

すると稚・ワカはワケ・別で、ベツ→ビチ→日木(チ)→ヒコ→日向。

稚武彦とは、

「日向から高句麗までを持つ日子」

(卑狗=ピク=土地の測量単位=その支配者=領主)という名乗りだとわかる。

『参考』
『言語復原史学会:Web』
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