2012年3月20日火曜日

秦王国は下関。俀(ダイ)国は四国以外にはありえない


『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録26:24頁

秦王国は下関。俀(ダイ)国は四国以外にはありえない
秦王国は下関。俀(ダイ)国は四国以外にはありえない

ここで大学院講義録26号で始めて確認できた五彩圏時代の我が国を、

『隋書』を再読してもう一度振り返って見よう。

煬帝(ヨウダイ)裴輩世清を我が国に派遣して八幡浜で俀王に会わせた。

コースは都斯麻(対馬)国、一支(壱岐)国、竹斯(筑紫)国で、

その東に秦王国があり、

「竹斯より東は皆、俀国に附庸する」と書いている。

秦王国以東が俀国の仲間で、それ以外は違うことを、わざわざ書いているのである。

秦王国はシムノオ=シモノだから下関。

そこから十余国経て達した海岸に上陸した。

そこに俀王の迎え阿輩臺(アフ・トイ・阿部鳥)が儀杖を引き連れて出迎えたという。

彼の船は博多から関門海峡を通って周防灘に入り、

海岸伝いに宇部・防府・徳山・光・上関・柳井・屋代島・中島・松山・伊予の十余国を経て、

長浜(難ガ波国(ながはま))海岸へ上陸したのである。

壱岐や下関が一国だった都市国家時代なのだ。

裴世清の書く「国」は幕末の60余州のような大きなものではない。

仮にそうだとすれば下関以後、これまで上陸海岸とされてきた大阪市の難波までは、

周防・安芸・備後・備中・備前・播磨の6カ国しかない。

幕末でも船旅の旅程は輩世清の時とほとんど変わらない。

裴世清が訪れた俀国は、東西五月行、南北三月行の四国以外には存在しえない。

近畿は東西南北同距離で、地形も違い、海も全くない奈良に俀国があったとは、

空想することさえ難しい。

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