ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年3月14日水曜日
タケミカヅチは八咫烏(やたがらす)の孫。事代主は蘇我大王
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録26:18頁
《タケミカヅチは八咫烏(やたがらす)の孫。事代主は蘇我大王》
《タケミカヅチは八咫烏(やたがらす)の孫。事代主は蘇我大王》
では出雲へ隠棲した大国主とは、一体?誰だったのであろう?。
もう一度、登場人物たちの名乗りを詳しく分析してみよう。
建卸雷男神の「建御」は、彼に命令した高木の神と共通の名乗りをもっている。
建=高だから御・ゴ=木・コである。
この高木は大隅語だとタケチだから武内である。
武内ヌ大臣はタケチヌウミ。
京都下鴨にある賀茂御祖(みおや)神社の祭神・賀茂の建角身命もタケツヌミで、
同じ名乗りだとわかる。
すると天照大神と高木の神のセットは、
神功皇后と武内宿祢のセットだったことが判るのである。
この建角身命は神武天皇を先導した頭八咫烏(やたがらす)として有名である。
八咫はハタ。
武内宿祢の子に羽田(ハタ)八代(ハタ)宿弥がいる。
頭八咫烏は羽田韓子(カラス)だったのである。
この建角身命の孫が賀茂別雷命で、
上賀茂の賀茂別雷神社に祭られている。
建御は武内・雷は雷、男神は日子=別(ビチ)で、
建卸雷男神は完全に賀茂別雷命なのである。
彼は八重事代主に迫って国を譲らせた。
八重はハエでもあり、大隅語ではハエは「速い」である。
事はジ。日はジツで、八重事は「速日」に合う。
代はダイ=大。主は王でもある。
この事代主は恵比寿(エビス)として知られている。
関西では「十日えびす」を祭る。
十は「ソ」日は「カ」で速日・蘇我・ソナカ。
八重事代主は蘇我大王であってヤエコトシロヌシではない。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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ウワイト(倭人):大学講義録
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