ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年3月31日土曜日
一つの史料が複数の時代の史料になる例
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録27:5頁
《一つの史料が複数の時代の史料になる例》
「一つの史料が複数の時代の史料になる例」
それだけでなく私(加治木義博)の兕觥は、それを何故?
私(加治木義博)がもっているのか?という疑問、
それは殷の歴史ではなく「新しい歴史」の疑問をもっている。
いまそれをお話しをすると、
確かにそれは「複合した歴史の証人」であることが、
より一層、深くおわかり戴けると思う。
それは明治の末年に、
中国の清朝を倒して国民を圧政から開放し、
民主中国を誕生させた孫文(逸仙)が、
明治44年に大総統になるや、
当時中国の骨董商間で最高の貴品とされていたものを自ら選んで、
わざわざ特使を派遣して、
私(加治木義博)の祖父に、
革命援助のお礼として届けてきたものである。
近代史から見れば、このほうが重要であって、
兕觥は自身のもつ歴史とは無関係に、中国革命の実体を語り、
また、ただ単に高価だから選ばれたということが重要な意味をもつ、
奇妙な歴史的位置も占める。
この場合は価格が破格の高価だったということだけが問題で、
その名称も種類も工芸価値も歴史価値も全く問題ではない。
これでお解りのように、史料の価値というものは、
それを見る立場、目的、時代、用途によって、どんどん変わる。
このことを考えずに一面だけを見て評価するのは誤りだと、
すぐおわかりになったと思う。
それをさらに印象的にする全く別の視点の例を、
この機会にもう一つ挙げて、
より深くものごとを観ることの必要牲を、
強く訴えることにしたい。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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