ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年3月27日火曜日
繰り返し起った「大国主国譲り」の実態
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録26:31頁
《繰り返し起った「大国主国譲り」の実態》
《繰り返し起った「大国主国譲り」の実態》
しかしより精密にイザナギ、スサノオ親子を、
リストにして実在者たちと比定してみると、
親子が逆転することが明瞭に浮かび上がる。
伊声耆(イサナギ)を卑弥呼(アマテラス)の父とすると、
とても中国までは行けないし、
②のように名乗りが親子に分裂してみえる。
また誉津別はスサノオと同じく泣きイサチって垂仁天皇を困らせる。
同じ名をもつ応神天皇は、女王制でなく男王制を開く。
これは大虵を退治たスサノオに一致する。
「名乗りの世襲」は動かない。
また「大国主国譲り」は単一の事件ではなく、
繰り返し起ったことを証言しているのである。
イサナギ 天照大神 スサノオ
① 伊声耆 卑弥呼 伊支馬
② 伊佐智 倭迹迹日百襲姫 伊久米 垂仁天皇の名乗りは親子が重なっている。
③ 印色入日子 倭迹迹日百襲姫 稚武彦
④ 伊佐智 壹與(養女) 誉津別(実子)
この④は、
天照大神とスサノオが、別の母から生まれたことを、明確に示している。
誉津別の母は狭穂姫で火中で死んだ。
火神に殺されたイザナミである。
その後で目鼻から生まれた3貴子は、この壹與たちを意味する比喩である。
決して幼稚なお伽話ではない。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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