2012年12月31日月曜日

大理想はウバイドのイサナミから



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録36:30頁

 《大理想はウバイドのイサナミから
 「大理想はウバイドのイサナミから

 その大理想とは、

 ウバイドで確立した女帝制度の根底にあるもの、

 人類はすべて母たちの腹を痛めた分身だという認識である。

 そして女帝から観れば万民は全て我が子だという母性本能の昇華が、

 のちに紛争解決のためには死を選んだ卑弥呼の偉大なる慈悲として、

 彼女を観世音菩薩として崇める新宗教感にまで高め、

 それは全中国からインド周辺諸国にまで広まって、

 太陽の国の女帝からの連想で、

 「天照大神=太陽」の光鉾(こうぼう)を

 全世界に差し伸ベる母性の手と観想して、

 巨大な慈悲とそれを具体的に行動に移す諦観と手段と文化を、

 器具、物体を握り締めた手の像で示す、

 新たな仏像「千手観世音菩薩像」を生み出したものでもある。

 その淵源はウバイドが富み栄えるにつれて、

 利権の奪い合いが発生し、

 母性愛だけでは治世が難しくなったとき、

 民を守るには暴力もやむを得ないとするイサナキと、

 絶対平和を主張するイサナミが対立。

 分離していった男帝制国家と、

 初志を貫いた女帝制ウバイドとに主権が分かれた、

 この大理想は、

 そのイサナミから延々と承け継いだものなのである。

 それは天智天皇に破られたが短期で復元し、

 以後、幕末までは曲りなりに維持してきた。

 今では人々も成長して世界国家を夢見はじめた。
 
 果たして人類はどちらを選ぶのか?。

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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2012年12月30日日曜日

神社参拝を激減させる佐伯説と亜流



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録36:29頁

 《神社参拝を激減させる佐伯説と亜流
 「神社参拝を激減させる佐伯説と亜流

 だが、この宗教家という点では、

 佐伯教授の景教徒説も同じである。

 なぜそれが間違いなのか?。

 それが大変な時代錯誤以下、

 多くの真実を見落とした迷説だったことは、以上のとおりだが、

 雅楽の東儀氏も秦民の子孫であると認め、

 誇りに思っていると言われた。

 それは大半の神官家が秦氏の一族で構成されていて、

 その祖先が始皇帝だからなら解る。

 だが佐伯説が本当なら、

 同族との争いに負けて流れて来たユダヤ人の子孫で、

 神社は神官の金儲け宗教だということになり、

 参拝する人を激減させることは間違いない。

 佐伯説と、

 それを宣伝して一般読者を迷わせてきた頭記の本の著者らには、

 さらにより大きな見落としがある。

 それは一神教のユダヤ教やキリスト教からは、

 絶対に神道は生れないからである。

 その理由は、

 一神教は僅かな主張の差で、同族同宗でも仇敵視し、

 皆殺しにした偏狭な宗教だからだ。

 景教徒もその実例だし

 『旧約聖書』自身が誇らしげにそんな虐殺を記録しているし、

 フランスなどで実行された魔女狩りは隠しようもない。

 この正反対に八百万の神を祭るのが天皇家の神道である。

 その実例が秦氏で、重要な神職を全部任せ、

 行事も祭礼や山車(だし)を

 インドや東南アジアなどから偏見なく取り入れている。

 それは秦氏が持ってきた秦(シン)の宗教より、

 遥かに高く強力な大理想が、

 根底にあるためなのである。

 『東儀氏』
 《東儀氏
 「東儀氏

 『ユダヤ教』
 《ユダヤ教
 「ユダヤ教

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 《キリスト教
 「キリスト教

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 《景教徒
 「景教徒

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 「旧約聖書

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 《神道
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 「八百万の神

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2012年12月28日金曜日

その文化は、むしろ徐福のもの



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録36:27頁

 《その文化は、むしろ徐福のもの
 「その文化は、むしろ徐福のもの

 ただ始皇帝の何世孫といっても単純ではない。

 何といっても阿房宮に美女三千を侍らせた男である。

 それに行方不明とは言っても、徐福が数千人の人を連れて、

 我が国めざして来たというのも事実である。

 その時は皇女が来ていて、

 南中国では、天照大神がその皇女だということになっている。

 その後の海上交通の発達を考えると、

 情報は充分届くから、在来のような隔絶感はない。

 それなのに彼等の消息は、不明のまま現在に至っているのだ。

 これは秦氏が除福たちではないと誤認された場合しか、あり得ない。

 でなければ人口の少なかった時代に、

 数千人の大群が行方不明になれば、

 それこそ全世界にニュースになる。

 それは電波はなくても船があったからだ。

 船のサイズは小さくても、

 大学院講義録35のフェニキヤの船の壁画でご覧のような大船が、

 始皇帝(B.C.E.221年即位)より前のB.C.E.700年には、

 世界の海を走り回っていたのである。

 スサノオはそれよりもさらに千年ちかく前に我国まで来ていた。

 こうした事実を在来の教師たちが知らなかったために、

 誤った世界観しかなかったに為ぎない。

 それなのにニュースにならなかったのは、

 徐福たちは難民として

 「新羅」に住みついたので誰にも特別視されずに済み、

 安全を見極めてから秦氏として、

 応神天皇十四年に来朝帰化し、

 太秦(うずまさ)の号をもらう程に改めて繁栄を極めたのである。

 《パーリ語辞典
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2012年12月27日木曜日

真実、秦氏は間違いなく始皇帝の一族



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録36:26頁

 《真実、秦氏は間違いなく始皇の一族
 「真実、秦氏は間違いなく始皇の一族

 中国の県は郡の下にあるから、

 我が国の今の県のように大きくはないが、

 それでも百二十七県の人民といえば、大変な数になる。

 それが真実だったことは、

 普通なら肩身が狭く、ひっそりと消滅してしまうのが一般の、

 哀れむべき流れ者だったはずの彼等の子孫が、

 我が国の土着名門の子弟よりも裕福に栄え、

 はるかに多くの記録を残している事実が、強く立証している。

 その人達が普、功満王、融通王を始皇帝の子孫と認めていたのである。

 そして王の指示に従って、不安を乗り越え、危険を冒して、

 未知の、遠い、しかも絶海の島国へ大移動してきたのである。

 その引率者が偽者の王であると知っていたら、とてもついてはこない。
                      
 もとは王族だといっても

 秦(シン)が滅びて漢になり、

 それも前漢が滅びて後漢になり、

 三国時代になり、

 五胡十六国時代になり、

 それが互いに食い合って昨日の勝者は

 今日は敗者といった未曾有の大動乱時代である。

 それなのに一度ならず、二度までも我が国へ帰化して来たというのは、

 引率者の祖先、始皇が、かつてない巨大な帝国を築いた余光が、

 まだ強かったためだとみる以外に理由は考えられない。

 また天皇も必ず真偽を確かめたはずである。

 大乱の時代に異国から大群が押し寄せるのを許すのは、

 充分な配慮の結果なのである。

 《パーリ語辞典
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2012年12月26日水曜日

秦(はた)氏は始皇帝の子孫



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録36:25頁

 《秦(はた)氏は始皇帝の子孫
 「秦(はた)氏は始皇帝の子孫

 こうして徹底的に、

 秦氏はユダヤ人ではなく、

 景教徒でもなかったことが立証され続けると、

 では彼等は何だったのか?という最終的な疑問に行き着く。

 この答もまた、やはり『日本書紀』に詳しく書いてあるし、

 『新撰姓氏録』などにもその子孫たちの消息が詳細に記録されていて、

 『書紀』が書く素性が真実であることを、大量に立証し続けている。


 『日本書紀』誉田(応神)天皇十四年の二、

 《応神天皇十四年(癸卯二八三)是歳》

  是歳。

  弓月君自百済来帰。

  因以奏之曰。

  臣領己国之人夫百二十県而帰化。

  然因新羅人之拒。

  皆留加羅国。

  爰遣葛城襲津彦。

  而召弓月之人夫於加羅。

  然経三年、而襲津彦不来焉。

  「是の歳、弓月君 百済より来帰。

   因って奏して曰う。

   臣、己れの韓の人夫、百二十県を領して帰化せんとす。

   然るに新羅人これを拒むに因りて皆。

   加羅の国に留めらる。

   これを聞いて天皇は葛城襲津彦を加羅に派遣し、

   弓月の人夫を召させたが、

   三年を経ても襲津彦は帰って来なかった。

 『日本書紀』


 『新撰姓氏録』左京諸蕃上。

  左京 諸蕃 漢 太秦公 宿禰

  秦始皇帝三世孫孝武王之後也。

  男功滿王,足仲彥天皇【謚仲哀。】

  八年來朝。男融通王,【一云弓月王。】譽田天皇【謚應神。】

  十四年來朝,率廿七縣百姓歸化,獻金銀玉帛等物。

  大鷦鷯天皇【謚仁德。】御世,以百廿七縣秦氏,分置諸郡,即使養蠶織絹貢之。

  天皇詔曰:「秦王所獻絲綿絹帛,朕服用柔軟,溫煖如肌膚。」仍賜姓波多。

  次登呂志公、秦酒公,大泊瀨幼武天皇【謚雄略。】

  御世,絲綿絹帛委積如岳,天皇嘉之,賜號曰禹都萬佐。

  「秦の姶皇帝の三世孫・孝武王の子・功満王、仲哀天皇八年来朝帰化。

   その子・融通王(弓月君)、応神天皇十四年来朝帰化。太秦公宿弥の祖也。」

 『新撰姓氏録』

 『三代実録』巻四十四元慶七年(八八三)十二月廿五日丁巳

  左京人従五位下行下野権介秦宿祢永原・従五位下守大判事兼行明法博士秦公直宗、

  山城国葛野郡人外従五位下行音博士秦忌寸永宗、

  右京人主計大充正六位上秦忌寸越雄、左京人右衛門少志秦公直本等、

  男女十九人、賜姓惟宗朝臣。永原等自言。

  秦始皇帝十二世孫、功満王子、融通王之苗裔也。

  功満占星之意、深向聖朝、化風之志、遠企日域。

  而新羅邀路、隔彼来王、遂使衛足之草、空「宮」无仰陽之心。

  属天誅伐罪、官軍掃塵、通率百廿七県人民、誉田天皇十四年歳次癸卯、是焉内属也。


 「元慶七年十二月、右京人・秦宿祢永原、秦言。

  秦氏は秦の始皇十二世孫・功満王の子・融通王の苗裔で、功満は占星して翌朝に深向、

  遠く日域を志したが、新羅が路をはばみ王都を隔てしも、陽を仰ぐ心、空しからず、

  天誅くだって罪人を伐ち、官軍塵を払って、

  百二十七県の人民、誉田天皇十四年、歳次・癸卯、ここに内属し焉わる也。」

 『三代実録』

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2012年12月25日火曜日

フェニキヤ文化の東方伝播コース



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録36:24頁

 《フェニキヤ文化の東方伝播コース
 「フェニキヤ文化の東方伝播コース

 図: メソポタミア文明の東方伝播

 「彩文土器のコース」
 《彩文土器のコース
 「彩文土器のコース

 ≪海上≫

 ◇フェニキヤ・ハッスーナ(5000B.C.)→バクーン・スサ(4000B.C.)→アラビア海→

  スリランカ→インド洋→マレー半島・マラッカ海峡→南シナ海→台湾→琉球→南部九州→
 
  北部九州→日本本州・朝鮮半島

 ≪陸上≫

 ◇フェニキヤ・ハッスーナ(5000B.C.)→アルボルズ山脈・イラン(ドルメン)(4500B.C.)→

  中国領・トルキスタン(3900B.C.)→フェルガーナ→ヤンチャオ・迎韶(4000~3000B.C.)

 ◇フェニキヤ・ハッスーナ(5000B.C.)→バクーン(4000B.C.)→シスターン(4000B.C.)→

  ハラッパ・インダス文明(3500B.C.)→中国領・トルキスタン(3900B.C.)→

  フェルガーナ→ヤンチャオ・迎韶(4000~3000B.C.)


 ◇フェニキヤ・ハッスーナ(5000B.C.)→バクーン(4000B.C.)→シスターン(4000B.C.)→

  ハラッパ・インダス文明(3500B.C.)→東インド(ドルメン)→東南アジア(ドルメン)→

  浙江省(ドルメン)→ヤンチャオ・迎韶(4000~3000B.C.)

 『フェニキヤ』
 《フェニキヤ
 「フェニキヤ

 『ハッスーナ』
 《ハッスーナ
 「ハッスーナ

 『バクーン』
 《バクーン
 「バクーン

 『スーサ』
 《スーサ
 「スーサ

 『アラビア海』
 《アラビア海
 「アラビア海

 『スリランカ』
 《スリランカ
 「スリランカ

 『インド洋』
 《インド洋
 「インド洋

 『マレー半島』
 《マレー半島
 「マレー半島

 『マラッカ海峡』
 《マラッカ海峡
 「マラッカ海峡

 『南シナ海』
 《南シナ海
 「南シナ海

 『台湾』
 《台湾
 「台湾

 『琉球』
 《琉球
 「琉球

 『南部九州』
 《南部九州
 「南部九州

 『北部九州』
 《北部九州
 「北部九州

 『日本本州』
 《日本本州
 「日本本州

 『朝鮮半島』
 《朝鮮半島
 「朝鮮半島

 『アルボルズ山脈』
 《アルボルズ山脈
 「アルボルズ山脈

 『トルキスタン』
 《トルキスタン
 「トルキスタン

 『フェルガーナ』
 《フェルガーナ
 「フェルガーナ

 『迎韶』
 《迎韶
 「迎韶

 『シスターン』
 《シスターン
 「シスターン

 『ハラッパ』
 《ハラッパ
 「ハラッパ

 『インダス文明』
 《インダス文明
 「インダス文明

 『東インド』
 《東インド
 「東インド

 『東南アジア』
 《東南アジア
 「東南アジア

 『浙江省』
 《浙江省
 「浙江省

 ◆セットになった(彩文土器文化)

 1 彩文土器
 《彩文土器
 「彩文土器

 2 甑形土器(こしき)
 《甑形土器(こしき)
 「甑形土器(こしき)

 3 石包丁
 《石包丁
 「石包丁

 4 土・石製腕輪
 《土・石製腕輪
 「土・石製腕輪

 5 日乾し粘土のコマ
 《日乾し粘土のコマ
 「日乾し粘土のコマ

 6 イネ(英国のマロワン氏アッシリアの稲発見)
 《イネ(英国のマロワン氏アッシリアの稲発見)
 「イネ(英国のマロワン氏アッシリアの稲発見)

 7 ドルメン(支石墓)
 《ドルメン(支石墓)
 「ドルメン(支石墓)

 8 女神像
 《女神像
 「女神像

 9 言語
 《言語
 「言語

 10 文様
 《文様
 「文様


 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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2012年12月24日月曜日

古代の文化・文明は一方通行ではない



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録36:23頁

 《古代の文化・文明は一方通行ではない
 「古代の文化・文明は一方通行ではない

 こうして名乗りや称号を分析してみると、

 それらがどの地域で使われ、

 記録されたかがよくわかるものが多い。

 このことも言語復原史学の機能の一つである。

 この地域の差は、形の上でも現われる。

 たとえば兜布のもとになった一本角は、

 夥しい変異を生み出しているから、

 それを入念に観察すると、

 それがどこからどこへ伝播したかという伝播ルートが分かる。

 一本角はバビロンの神・マルドゥクの神竜像や、

 そのイシュタル門のレリーフにも明瞭にみられるから、

 インドのマカーラが先ではない。

 在来の古代交通観とは違って、交通・通商は質も量も速度も大きかった。

 文化の伝播は決して一方通行ではない。

 下の写真も、

 商人や宗教家が、

 往復とも商品や思想を運んでいたことを物語っている。

 「一本角」
 《一本角
 「一本角

 「マルドゥクの神竜像」
 《マルドゥクの神竜像
 「マルドゥクの神竜像

 「イシュタル門」
 《イシュタル門
 「イシュタル門

 「インドのマカーラ」
 《インドのマカーラ
 「インドのマカーラ

 3 仏壇飾り(ネパール)
 《仏壇飾り(ネパール)
 「仏壇飾り(ネパール)

 4 玉製一角獅子(中国)
 《玉製一角獅子(中国)
 「玉製一角獅子(中国)

 5 麒頭(中国明代)
 《麒頭(中国明代)
 「麒頭(中国明代)

 6 神棚用コマイヌ(日本江戸時代)
 《神棚用コマイヌ(日本江戸時代)
 「神棚用コマイヌ(日本江戸時代)

 7 麒麟燭台(日本江戸時代)
 《麒麟燭台(日本江戸時代)
 「麒麟燭台(日本江戸時代)

 8 シンハ(ネパール)
 《シンハ(ネパール)
 「シンハ(ネパール)

 9 螺角獅子頭(日本江戸時代)
 《螺角獅子頭(日本江戸時代)
 「螺角獅子頭(日本江戸時代)

 10 麒頭(中国唐三彩) 
 《麒頭(中国唐三彩)
 「麒頭(中国唐三彩)

 11 麒頭(中国隋唐時代) 
 《麒頭(中国隋唐時代)
 「麒頭(中国隋唐時代)

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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2012年12月23日日曜日

解けた「宿祢とは何か?」という謎



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録36:22頁

 《解けた「宿祢とは何か?」という謎
 「解けた「宿祢とは何か?」という謎

 このことで、もう一つ国史の中で大きな位置を占めている「宿祢」とは、

 どんな意味をもっ名詞かという謎が解けた。

 武内宿林はスサノオで、

 屋久島に初めて杉を植えた人物だ王であったことは間違いないから、

 古代皇族の名乗りにたくさん見られる

 「足」や「根」の称号で呼ばれても不思議ではない。

 「祢」は、その「根」とみて間違いない。

 では「宿」は何のことか?。

 鹿児島語では杉は「スッ」である。

 そして宿もまた「スッ」である。

 指宿は「イブスッ」と聞こえる。

 「宿祢」も、「杉根」も、どちらも「スッネ」である。

 ただ杉根は、「杉の木の根っこ」ではなくて、

 「杉の王」を意味していたのである。

 こう解ってみると

 スサノオ=猿田彦=大人弥五郎=武内宿祢の関係は、

 同一とみて微動だもしない。

 それはもちろん名乗りの上だけのことで、

 屋久島にレバノン杉を植えたスサノオと、

 壱与=神功皇后を助けた武内宿弥は時代が千年も違い、

 別人であることはいうまでもない。

 宿祢と同じものに「足尼」がある。

 こちらはソクニだから大隅人だとソクはスッになる。

 ニもネの大隅語。

 これはスッネという発音を聞いて、

 大隅人が当て字をつけたものという ことになる。

 さらに南九州ではスッネは

 「少ない」でもあるから少名彦名の命でもある。

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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2012年12月22日土曜日

猿田毘古=大人弥五郎=屋久王=スサノオ



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録36:21頁

 《猿田毘古=大人弥五郎=屋久王=スサノオ
 「猿田毘古=大人弥五郎=屋久王=スサノオ

 これで大人弥五郎は、間違いなく猿田彦だとわかる。

 しかし何故?名が違うのだろう?。

 大隅語の発音は「ヤクルドン」である。

 私にはそれは屋久郎ドンと聞こえる。

 こんな顔をした屋久島王といえば、

 そこに杉を植えたスサノオもそれに該当する。

 大隅では弥五郎は武内宿祢だともいう。

 宿弥は高族=カリエンで、

 宝貝を貨幣として中国に売って、

 その富で商帝国=殷を樹立した一族の、長の名乗りである。

 これでフェニキヤ人が屋久島へ来た時期も判った。

 それは縄文杉の年輪と共に

 貝貨幣と殷の発掘物とそこに書かれた文献史料という、

 莫大な物証をもっていたからである。

 屋久郎ドンは海人の王だから、船の王であり、

 海原を支配した神・マカーラでもある。

 その容貌は、まさしく中近東の人である。

 とすれば、

 兜布はフェニキヤ人の船乗りのもので冠の一種だったのである。

 それが冠だった証拠もまた大量にある。

 それは江戸時代まで実用品だった武士の礼装用の冠で、

 浅野内匠守が刃傷の場で額につけているあれである。

 これは新羅の王も全く同じものを着けていたことが、

 出土品の陪葬騎士像ではっきり判る。

 それは兜布とは形が違い、はるかに複雑な形になっているが、

 額の前方の同じ位置に着け、紐を顎で結んで止める。

 兜布を基に考案、心理的効果を狙って改良進化したことが判る。

 《武士の礼装用の冠
 「武士の礼装用の冠

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
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 『言語復原史学会:画像』

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2012年12月21日金曜日

兜布のルーツと一本角文化の様相



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録36:20頁

 《兜布のルーツと一本角文化の様相
 「兜布のルーツと一本角文化の様相

 その実物や関連資料のレプリカなどは、

 私(加治木義博)も多数コレクションしていて、

 拙著『日本人のルーツ』(保育杜カラーブックス・1980年刊)に、

 代表的な写真が掲載してあるので、是非ご高覧を賜わりたいが、

 ここにはその一部を掲載しておく。

 その一本角は小さく、まさに兜布を頂く位置に生えている。

 ことに鹿児島県大隅町の、大人弥五郎どん祭りの、この面のものは、まさに兜布そっくりである。

 図:大人弥五郎の巨面
   《大人弥五郎の巨面
   「大人弥五郎の巨面

 図:ジャワ・バンカラン
   《ジャワ・バンカラン
   「ジャワ・バンカラン

 図:一本角の鬼
   《一本角の鬼
   「一本角の鬼

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
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2012年12月20日木曜日

史学の証拠になるもの、ならないもの



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録36:19頁

 《史学の証拠になるもの、ならないもの
 「史学の証拠になるもの、ならないもの

 現在、イスラエル人が頭に着けているからといって、

 それで「兜布はイスラエル人のものである証拠だ」という類いの論文に、

 よくお目にかかるが、その程度ではいけないということが、

 このフェニキヤ海人のものだった、という結果でよく解る。

 それは少し考えれば当然のことで、

 いま私たちは洋服を着ているが、

 先祖は西洋人だという証拠にはならない。

 これと同じことは、辞書や百科事典でも起る。

 この兜布とは何なんだろう?と辞書を引くと、

 「修験者のかぶる小さい頭巾。

  山中遍歴の際、瘴気に触れるのを防ぐ為に被るという。

  法身不変を表示する黒白の布で造り、

  十二因縁に象って十二の襞(ひだ)を設け、

  紐で顎に結びとめる」と書いてある。

 だが、それは頭巾にしては余りに小さく、またなぜ?
 
 頭を覆わずに額に着けるのか?という肝心の理由が書いてない。

 ところが、

 私たちは、それは海人たちのものだと知っから、

 この疑問にも正しく答えることができる。

 沖縄の語源・ウチナーは大天で天竺、すなわちインドから来ているが、

 そのインドの海に注目すると、海の聖獣はマカーラである。

 これは神々の王・ビシュヌーの化身の一つだが、

 その特徴は額にある一本角である。

 中国ではその一本角が死者を護る象徴とされ。

 人面や獣の頭につけられた副葬品が多数出土している。

 《海の聖獣はマカーラ
 「海の聖獣はマカーラ

 《一本角
 「一本角

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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