ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年12月19日水曜日
兜布とフェニキア人・猿田毘古に由来
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:18頁
《兜布とフェニキア人・猿田毘古に由来》
「兜布とフェニキア人・猿田毘古に由来」
山伏スタイルが何時からのものかは判らないが、
修験道(しゅげんどう)に代表される
山岳信仰は沖縄の民俗宗教である「御岳(うだち)詣り」がもとで、
それがトカラ列島などに広まって
種子島、屋久島、硫黄ガ島などの「岳(だけ)登り」になり、
鹿児島の金峰山(きんぽうざん=日置(ひおっ)郡金峰町(きんぽうちょう))で
春秋の彼岸に山焼きをしたという伝承がある。
これは京都の大文字などの送り火と同じで、
蔵王権現の社、妙見堂、文殊堂、蔵王権現別当寺、金峰山観音寺金蔵院などがあるので、
奈良県の吉野の蔵王信仰が伝わったものと思われているが、
この山は金山であり、
太古から航海の座標として遣唐使の往来にも重要な役割を果たしており、
山焼きも船への信号の名残だが、奈良の金峰山(きんぶせん)は山名にも理由がなく、
南海一帯の御岳(うだち)詣りのほうが先である。
それは海人たちの座標に対する感謝と尊敬を表す信仰で、
それが出身の異なる海人たちの、
ポセイドンやアフロディテ、ビシュヌー、マカーラといった海の神話伝承と合体し、
神道や密教や民間信仰と集合して、
修験道(しゅげんどう)という単純怪奇な感じの
独特の信仰形態を作り上げたのである。
金峰町の社寺は、
もちろん後世に、由緒を尊んで逆移入されたものだ。
山伏の兜布は猿田毘古=天狗に由来する。
砂漠のシルクロード経由のユダヤ人のものではあり得ず、
海人で植林に山へ登ったフェニキヤ人のもの以外あり得ない。
《山伏スタイル》
「山伏スタイル」
《御岳(うだち)詣り》
「御岳(うだち)詣り」
《岳(だけ)登り》
「岳(だけ)登り」
《大文字などの送り火》
「大文字などの送り火」
《ポセイドン》
「ポセイドン」
《アフロディテ》
「アフロディテ」
《ビシュヌー》
「ビシュヌー」
《マカーラ》
「マカーラ」
《トカラ列島》
「トカラ列島」
《硫黄ガ島》
「硫黄ガ島」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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