ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年12月23日日曜日
解けた「宿祢とは何か?」という謎
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:22頁
《解けた「宿祢とは何か?」という謎》
「解けた「宿祢とは何か?」という謎」
このことで、もう一つ国史の中で大きな位置を占めている「宿祢」とは、
どんな意味をもっ名詞かという謎が解けた。
武内宿林はスサノオで、
屋久島に初めて杉を植えた人物だ王であったことは間違いないから、
古代皇族の名乗りにたくさん見られる
「足」や「根」の称号で呼ばれても不思議ではない。
「祢」は、その「根」とみて間違いない。
では「宿」は何のことか?。
鹿児島語では杉は「スッ」である。
そして宿もまた「スッ」である。
指宿は「イブスッ」と聞こえる。
「宿祢」も、「杉根」も、どちらも「スッネ」である。
ただ杉根は、「杉の木の根っこ」ではなくて、
「杉の王」を意味していたのである。
こう解ってみると
スサノオ=猿田彦=大人弥五郎=武内宿祢の関係は、
同一とみて微動だもしない。
それはもちろん名乗りの上だけのことで、
屋久島にレバノン杉を植えたスサノオと、
壱与=神功皇后を助けた武内宿弥は時代が千年も違い、
別人であることはいうまでもない。
宿祢と同じものに「足尼」がある。
こちらはソクニだから大隅人だとソクはスッになる。
ニもネの大隅語。
これはスッネという発音を聞いて、
大隅人が当て字をつけたものという ことになる。
さらに南九州ではスッネは
「少ない」でもあるから少名彦名の命でもある。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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