ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年12月16日日曜日
「江田」は高貴な姓・地名。歴史の真価
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:15頁
《「江田」は高貴な姓・地名。歴史の真価》
「「江田」は高貴な姓・地名。歴史の真価」
「エデン」は、チグリスとユーフラテス両大河の恵みを受けて、
その下流域に生まれた、アラブには希にみる木々の繁る楽園だった。
そこが豊かな都を支え、
世界最初の大国ウバイドになったことは、少し考えればわかる。
エデンとはウバイドそのものだったのである。
そこから出た人々は、大移動先でもまた、よく似た楽園を求めて、
そこに首都を置き、そこをエデンと呼んだ。
それは我が国では後に江田(エデン)と当て字されたが、
首都が移動した跡はエダと発音が変えられた。
だから江田という地名で今なお残っているのだ。
エダと発音が変わっても、
関西の語尾のナアをノオと言い、ヤをヨという関東で、
語尾のaがoに変わった江戸(エド)の名が、
列島東半の首都名として幕末まで残ったことで、
それがエデン⇒エダ⇒エドと変化した我が国最古の都名だったことがよく判る。
だから江田(エデン)を名乗りにもつ江田氏は、
太古の支配者の末裔だと斬言できる。
なぜなら、ウバイドのエデンは万世一系の天皇家の出発点である。
そこから分かれたことを枝分かれしたというのは
「江田分かれ」と同音・同意である。
だから「枝」という名詞は江田(えだ)から生まれたことが解る。
またこの「枝」という名詞は、木の「部分」を示すからスサノオに結びつく。
エデンの名は、フェニキヤ人が杉や檜と共にもってきた証拠なのである。
《エデンの園》
「エデンの園」
《江田(エデン)》
「江田(エデン)」
《エデン⇒エダ⇒エド》
「エデン⇒エダ⇒エド」
《江田氏》
「江田氏」
《江田分かれ》
「江田分かれ」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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