2012年12月22日土曜日

猿田毘古=大人弥五郎=屋久王=スサノオ



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録36:21頁

 《猿田毘古=大人弥五郎=屋久王=スサノオ
 「猿田毘古=大人弥五郎=屋久王=スサノオ

 これで大人弥五郎は、間違いなく猿田彦だとわかる。

 しかし何故?名が違うのだろう?。

 大隅語の発音は「ヤクルドン」である。

 私にはそれは屋久郎ドンと聞こえる。

 こんな顔をした屋久島王といえば、

 そこに杉を植えたスサノオもそれに該当する。

 大隅では弥五郎は武内宿祢だともいう。

 宿弥は高族=カリエンで、

 宝貝を貨幣として中国に売って、

 その富で商帝国=殷を樹立した一族の、長の名乗りである。

 これでフェニキヤ人が屋久島へ来た時期も判った。

 それは縄文杉の年輪と共に

 貝貨幣と殷の発掘物とそこに書かれた文献史料という、

 莫大な物証をもっていたからである。

 屋久郎ドンは海人の王だから、船の王であり、

 海原を支配した神・マカーラでもある。

 その容貌は、まさしく中近東の人である。

 とすれば、

 兜布はフェニキヤ人の船乗りのもので冠の一種だったのである。

 それが冠だった証拠もまた大量にある。

 それは江戸時代まで実用品だった武士の礼装用の冠で、

 浅野内匠守が刃傷の場で額につけているあれである。

 これは新羅の王も全く同じものを着けていたことが、

 出土品の陪葬騎士像ではっきり判る。

 それは兜布とは形が違い、はるかに複雑な形になっているが、

 額の前方の同じ位置に着け、紐を顎で結んで止める。

 兜布を基に考案、心理的効果を狙って改良進化したことが判る。

 《武士の礼装用の冠
 「武士の礼装用の冠

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
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