ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年12月1日土曜日
フェニキヤ人来住は史実だという証拠群
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録35:28頁
《フェニキヤ人来住は史実だという証拠群》
「フェニキヤ人来住は史実だという証拠群」
その「フェニ キ」が、
もう一方では「船木=フナキ」という姓などの名詞になっている。
これはキ音があるので沖縄以外の土地のものである。
南九州には「無い」を
「ネ」と言う土地と、「ナカ」と言う土地とがあった。
今では様々な言葉が混用されていて、
どこのものか断定できないが、
山根と山名という姓があり、
鹿児島県に阿久根、大根占があり、
熊本県に玉名市があるから、
フナは熊本語とみても大きな間違いはない。
それはさらに次の事実を証言している。
それは名詞語尾の「キ」は
イサナキのキと同じで王称だということである。
だからフナキは船王(キ)であって、
海人王を意味していたのである。
『住吉大社神代記』には
船木 連(むらじ) 宇麻呂は
神功皇后に舟を造って奉ったので、
船木姓を賜わったとある。
その所領の船木村は播磨の国、明石郡にあり、
遠祖は大田田根子の児、神田田命とあるので、
彼はインド経由で来た一族だったことが解る。
カンダタという名は、
有名な仏教説話『蜘蛛の糸』の主人公の名である。
スサノオはフェニキヤのスリランカ拠点から、
カンダタという名のインド人を乗せてわが国へ発たのである。
神田田命は所領・九万八千町余の大富豪だったともあるから、
フェニキヤ流の経済学は、ずっと後世まで健在であり、
また履中天皇の妃・太姫郎姫(いらつめ)と高鶴郎姫との父が
フナキワケ王と読める名をもっている。
これらもフェニキヤ人の来住が史実だったことの不動の証拠なのだ。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿