ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年11月30日金曜日
沖縄から本土に入ったフェニキヤ人
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録35:27頁
《沖縄から本土に入ったフェニキヤ人》
「沖縄から本土に入ったフェニキヤ人」
もうこれで、
フェニキヤは「船木屋」だと申し上げても、
コジつけとも、
論理の飛躍だともお思いにはならないと思う。
それはまさしく日本語になっているのである。
考えればそれは三千年以上前に日本語化したのだから、
当然のことなのだが、
それが今の標準語と少し、ずれがあるために疑われるのである。
このことは逆に日本語の歴史を考える上では貴重な文化財だということになる。
それを追及してみよう。
フネの部分はフェニだから、エ音が消えている。
このことは我が国の言語分布からみて、
e音の無い沖縄語のためだと解る。
それにはもう一つ根拠がある。
エ音が取れるとフニになるが、
沖縄では現在も船をフニと発音している。
さらにもう一つ沖縄へ先に入ったという理由がある。
それは船乗りのことを
古い沖縄語では
「フ ニ チュ」という。
これは原語を並べてみると、明瞭に語源が浮かび上がる。
「フェニ キヤ」
沖縄語のチは標準語のキであり、
yuはyaと書くと一層よく相互関係が理解できる。
フェニキヤの名が、
三千数百年という歳月を経ても、
一字一音も欠けることなく、
こんなに見事に保存されていたのである。
だからこれもフェニキヤ人が間違いなく沖縄に入り、
以後に本土に入ったという貴重な証拠の文化財なのである。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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