2012年11月12日月曜日

ウバイドは「遷都」し続けたのか?



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録35:6頁

 《ウバイドは「遷都」し続けたのか?
 「ウバイドは「遷都」し続けたのか?

 これで「何故?ウバイドの移動は遷都なのか」、

 とその理由がお解り頂けたと思う。

 それをいま少し補強すると、それは女帝国の膨張であって、

 意識した移住でも、遷都でもなく、

 さらなる繁栄のための、開拓の連続だったのである。

 それまでの生活圏の外に新たな農耕敵地がみつかると、

 人々はそこへ移住して水源を調査し、田畑の設計をして、開拓にとりかかる。

 その間の食料や、衣料、農機具、生活用具といったものは、

 指導者が供給し、補給し続ける。

 それを担当する役人が必要になり、役人の給与も必要になる。

 こうして納税の原形として雇調制度が生まれてくる。

 ウバイドではそれが8000年前には出来上がっていて、

 開拓地の拡大とともに、政府も女帝も遷って行ったのである。

 この発想は農業本来のものではない。

 羊などの食用獣を放牧して、食草を追って移動し続けるシステムが基礎にある。

 居住には簡易なテント状のものが敵している。

 わが国の居住遺跡が、円形の基礎を残し、支柱を斜めに組み合わせて、

 上端を縄で束ねてあるのは、

 樹木の豊富な我が国式のテント建築なのであって、

 決して貧困のせいではなかったのである。

 それは農耕生活に入る前の放牧生活の知恵の活用であり、

 皇室が欧米の絢爛豪華な大宮殿と異なる質素な木造家屋を選んできたのも、

 全てこの歴史の証人なのだ。

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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 『言語復原史学会:画像』 
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