ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年11月18日日曜日
想像以上に濃い倭人と殷とギリシャの血縁
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録35:13頁
《想像以上に濃い倭人と殷とギリシャの血縁》
「想像以上に濃い倭人と殷とギリシャの血縁」
この巫女の神託はギリシャ文明の特徴でもある。
その中でも最も有名なそれはデルポイの神殿に三脚の鼎(かなえ)を据えて、
それに乗った巫女のピューティヤが口走る託宣を、
付き添いの巫女が書き留めるもので、
今でも中国南部から東南アジアにかけて勢力をもつ宗教『天道』などで、
台に乗って催眠状態になった少女巫女が、
専用机に敷いた細砂に杖で文字を書くのを、
介添えの巫女が紙に写しとるシステムと全く同じである。
そして我が国では
『古事紀』の序文に登場する「稗田阿礼」がこれと同じことをするし、
その稗田阿礼という当て字の文字は、
ピューに稗、テーに田、エヤに阿礼(あや)の字を当てて、
その筆者が大隅人だったことまで解るので、完全にビューテイヤに合い、
これもギリシャ文化が古代の我が国に実在した重要証拠郡中の、
決定的な一つに数えられるのである。
またそのピューティヤが神託に際して、
必ず腰かけた「青銅の鼎」は、
殷の国器と呼べるほどの特異な器物である。
それがデルポイ神殿で重要な役割を担っていたという証拠は、
殷とギリシャの血縁や往来が、
実に密接なものだった事実を教えてくれる。
そしてさらにギリシャ人が、我が国に太鼓の言語を残した程、
移住して来て溶け込んだ大きな史実は、
この殷との共通点の濃度を見れば、
予測を遥かに超えた必然的なものだったのである。
『ピューティヤ大祭』
『デルポイ神殿』
『天道 (新宗教)』
『青銅の鼎』
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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