ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年11月23日金曜日
「紫衣」は、渡来を疑う論拠を消滅する
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録35:18頁
《「紫衣」は、渡来を疑う論拠を消滅する》
「「紫衣」は、渡来を疑う論拠を消滅する」
こうして挙げて来た高度の共通点=史実の証拠は、
しかし言語だけであり、
それもまた移住先の言葉に抹殺されてしまうから、
その量は当然、激減している。
他には証拠はないのであろうか?。
フェニキヤ人たちが扱っていた商品の中に、
彼等から以外、
絶対に入手できなかった特珠な染料の一種がある。
なぜ?他では手に入らないのか?、
それは地中海岸の属国・ツロ特産だった、
ツロツブリという巻貝の一種が
ごく微量内臓する柴紅色の色素で染めた織物が、
その色彩の良さはもちろん、
その希少牲から宝石のように珍重されて王侯の衣服の必需品になり、
彼等はその採集と製法を極秘にして巨利を得ていたからで、
海の富は貝貨だけではなかったのである。
そんな紫の衣服など、少数の富める国の王侯が、限られた人々にだけしか見せず、
それらの国以外には無いはずなのに、それが我が国には古代から実在して、
「紫衣(しい)」と呼ばれて高貴の式服とされてきた。
それらの紫衣はツロ紫染めだったとは限らないが、
「紫衣」の名に恥じない色合いはもっていたのである。
この事実は、
フェニキヤ人が我が国まで来なければ
絶対にあり得ないことが理解できる知性人には、
これを杏定して彼等の影響を疑う論拠は、
消滅して残らなくなってしまう。
『ツロツブリ・巻貝』
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
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