ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年11月9日金曜日
インダス文明のルーツ常識を覆したパーリ語
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録35:3頁
《インダス文明のルーツ常識を覆したパーリ語》
「インダス文明のルーツ常識を覆したパーリ語」
ウバイドから出発した人々が、
モヘンジョ・ダロへ入ったことの証拠の数々は、
大学院講義録33でご説明したが、
その一帯の地域が何故?
今もインダスと呼ばれているのか?は、
まだ未説明だし、
それがウバイド女帝国の一部だったという
決定的な証拠もまだ提示していなかった。
メソポタミヤにはウバイド以後、
多数の分国が生まれて、
それぞれ特徴のある政体をもったが、
そこで栄えた国々の大半は武装した男系国家が多く、
インダス地方に侵入したのも、
その武力によるものだろうというのが、
世界の学者の常識になっていた。
これではどんなに遺跡文化が共通していても、
インダスはウバイドの遷都先だと主張するには決定的証拠に欠ける。
だがこの欠陥を埋めるものが、パーリ語の中に見つかった。
パーリ語の「インダ」は『女帝』という意味である。
インダスとは女帝の国という名の広大な地域を意味している。
ではインダスという地名はパーリ語によって命名されたのか?。
ウバイドは8000年前で、
インダス文明は約5300年前、ずっと後だから、
インダという女帝国家が先にあって、
男帝国家群と対照されて「女帝国家」という特色が
際立つ時代に入ったために、
インダス文明よりもさらに後世の言語であるパーリ語中に、
インダ=女帝国家という新語が加わったのだという筋道は、誰にもすぐ判る。
『ウバイド文化』
『モヘンジョ・ダロ』
『インダス文明』
『パーリ語』
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
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