ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年11月26日月曜日
スサの王を日本列島へ移住させた大動乱
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録35:22頁
《スサの王を日本列島へ移住させた大動乱》
「スサの王を日本列島へ移住させた大動乱」
しかし今から三千何百年か前、
フェニキヤ人スサノオは何故?交易でなく、
木の種子をもって我が国へやってきたのだろう?。
答は彼の教えにある。
彼は「我が子孫は船をもたなくてはいけない」と教え、
我が国にだけ植物を移植したのだから、
彼は日本列島を基地にして、海運や交易事業を継続し、
子々孫々まで永住するために来たのである。
それは当時シリアなどに都市国家群をもち、
繁栄の極にあったフェニキヤ人が、
なぜか選りに選って、
世界の東端の、絶海の孤島といいたい程の
この日本列島に住もうとやってきたということである。
そして韓国には種子を蒔かず我が国にだけ蒔いたというのだから、
これは熟考した上での決定的行動である。
一体、何がそうさせたのであろうか?。
今から3200年前のB.C.E.1200年、
エジプト第20王朝のラムセスⅢ世が、
そのシリアを征服し、
他の植民地から救援に駆けつけたフェニキヤ人たちも次々に撃破された。
全く同時にギリシャのトロイヤ侵略も進んだ。
フェニキヤ人の楽園が大動乱のうちに奪われて行ったのである。
それはもちろん遠く離れたスサにも伝わった。
やがてはスサも同じ惨劇に見舞われると予測したスサの王は、
遠隔の安全地帯にあって、
好条件の揃った希にみる楽士だと知っていた日本列島への移住を、
熟慮の末、実行に移したのである。
「フェニキヤとスサとウバイドの位置」
《フェニキヤとスサとウバイドの位置》
「フェニキヤとスサとウバイドの位置」
《エジプト第20王朝のラムセスⅢ世》
「エジプト第20王朝のラムセスⅢ世」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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